大いなるレガシー | ナノ
大いなるレガシー

 なぜ俺がエルミニアさんの店を訪れるとちょくちょくルドヴィコさんに出くわすのか、その理由は分かっていない。当初はまるで思考を読まれているようで不快だったが、今は偶然という言葉で片付けても良い範疇だと思っている。何故なら客足が少なさそうな時間を選んで行くなんて、俺も彼も考えそうな事だからだ。
 だから今日もエルミニアさんにデコパージュとして作ってもらいたい紙を見つけて意気揚々と店に飛び込んだ瞬間に、その紫の髪と大きな尾が真っ先に視界に入った時もそんなものかと考え、早々にエルミニアさんの姿を探し始める。
「エルミニアさんなら、急な依頼を持ち込まれて奥でアクセサリーを作っているよ」
「ははあ」
 そしてエルミニアさんの姿が無い時にルドヴィコさんから理由を聞くのもあるあるの一つとなっている。偶然を繰り返した結果、俺達はある程度気軽に話し合える関係となったのだ。最初は職場の噂で聞いた「凄腕の元王宮魔術師で、呪術に長ける荘厳で長命な魔法使い」であった印象も、今は穏やかで親しみやすい小説家くらいに軟化している。そんな彼とエルミニアさんがかつては主従だった、なんて過去は未だ半信半疑であるが。
「折角デコパージュにしてもらいたい物があったのに」
「金取られるよ?」
「それも承知の上っすよ」
 無論、相応の対価を払うつもりで持ってきた物が今日はあった。是非とも壁掛けにして飾っておきたいイラスト、『ローズドメイの名前』という漫画の、店舗限定のおまけで付いてきたカラーのペーパーである。
 壁一面に飾られたエルミニアさん手製のデコパージュの壁掛けに釘付けなルドヴィコさんの横を通り過ぎ、誰もいないカウンターの前にたどり着くと、カウンターにその紙を置く。繊細かつ耽美な絵柄で描かれた主人公と、主人公を囲むように散りばめられたバラのイラストは、エルミニアさんもきっと気に入るだろう。仕事続きで申し訳ないが、その分金以外の対価も弾もうと思う。例えば隠れ家のレストランに連れて行くとか、ちょっと穴場の劇場を紹介するとか。
「それは……」ルドヴィコさんの顔がこちらを振り返る。
「『ローズドメイの名前』のイラスト。ルドヴィコさん知ってます?この漫画」
「いや、僕はあまり漫画を読まないからなんとも」
「漫画を読まなくても、昔の小説が原作だった言ったらどうです?」
 ふわっとルドヴィコさんの尻尾が揺れ動く。相手の関心を誘ったのを確認できれば、つい口は漫画の宣伝のために動いてしまう。
「今流行りの漫画っすよ!二百年くらい昔の『沈黙のバラ』って小説をコミカライズ化した話で、カロスに昔いた義賊を主人公にした歴史ものの漫画なんです。作者がえらくこの小説を気に入って漫画にしたっていうから、結構作画にも話にも気合が入ってて」
「『沈黙のバラ』ねえ」
「ああ、原作もこの漫画の売り上げに合わせて最近売れ始めてるみたいっす」
 長命なルドヴィコさんなら読んだ事もあるのかもしれない。拳を口元に当てて考え込むような表情で作品を思い出そうとする彼を眺めながら、そうだと原作者の名前を付け加える。
「沈黙のバラ、確か作者はリベッツィオ・トンマーゾって名前だったような」
 はっとルドヴィコさんの目が大きく見開いたような気がした。気がしたのは彼の表情がいつもと変わらぬ穏やかさと冷静さを保ったままだったからだ。相変わらず姿勢を崩さないまま、目を閉じてより思考にのめり込むような姿を見せる。だが俺は彼の感情表現の方法をもう一つ知っていた。バフバフとせわしなく振られる大きな薄紫の九本の尻尾は、一本だけ短い尻尾も合わせて明らかに彼が動揺していることを周りに伝えていた。かなり振れ幅大きく、近くのテーブルに置かれた商品を弾き飛ばしかねない勢いでうごめく尾はそれこそ漫画のようで、見てて大変愉快な光景だったが、本人がそれに気付く素ぶりを見せないのも笑いがこみ上げる要因で、思わず口に手を当てて吹き出すまいと抑える。俺に大きな尻尾がなくて良かった、と思いながら。
「知り合い?」
「……いや」
「……本人?」
 まるで観念した犯人のように、ルドヴィコさんが小さく頷いた。


「昔のペンネームは覚えているけど、作品は覚えてなかったんだ。ペンネームから大まかな時期は分かるけど、いつこんなのを書いたんだろうって考えてて……」
 この当時は忙しかったんだ、と遠い目で語るルドヴィコさんと、あからさますぎて呆れた笑いしか出なくなった俺を仕事終わりに見る羽目になったエルミニアさんは何を思ったのか。店の奥から現れた彼女は俺達の様子をひとしきり眺めて動揺はしないが、それでも何があったのかは想像つかなかったようで、俺はこれまでの経緯を彼女に話す事になった。
「あら良かったじゃないルドヴィコ、自分の作品が誰かの心に響いたらいいなっていつも言ってたわよね」
「確かに言いましたけど……」
 恥ずかしそうに頭を掻く相手にエルミニアさんがくすくす笑う。エルミニアさんの好きそうな滑稽なシチュエーションが繰り広げられる中で、ふと俺はペーパーを横目に考える。原作者本人がまだ生きているなら、権利関係を明確にする必要があるのではないか?昔こそ長命種は奇異な存在としてコミュニティから排除されやすい運命にあったが、どんな者でも共存していける現代社会なら受け入れられるに違いない。彼が原作者と明かせば相応の権利を享受できて良いのではなかろうか。
「これ、原作者がルドヴィコさんなら公に明かせば良いんじゃないっすか?著作権の問題とかありますし、上手くいけば印税も入るんじゃないかと」
 ところが返ってきた反応は意外なもので、ルドヴィコさんは眉間にしわを寄せると重々しい様子でこう口を開くのだった。
「確かにそうしたい気持ちもあるけど、それ以上に僕は自分の素性を悟られずに作家として活動したいんだ」
 同意を求めている訳ではないが、エルミニアさんの様子を見れば彼女はさして驚かず、でしょうねという表情でじっと彼の顔を見上げている。
「長く生きていると、自分を大っぴらに開示するより最低限だけを明かして生きている方が何かと楽だからね。それに既に独り立ちして、僕が忘れるくらい経った作品に対して、親がとやかく言う筋合いも無いだろうし」
「じゃあその作品が悪意に晒されたとしたら?こう、パチモンの作品が出回るとか、変に改悪されるとか……」
「流石に作品が踏み躙られるような事があれば名乗りをあげるかもしれないけど、現状何も無いなら、このまま見守るくらいが丁度良いと思うな」
 彼の言葉はどこまでも冷静だった。自分の生み出した作品に対してよくここまで突き放した態度が取れるものである。ただそれもまた彼の自作品の愛し方だと捉える事にした。その存在を忘れていたと言いつつ、自分の小説が誰かに刺さった事を少なからず喜んでいたのだから。
「平和なままであると良いわね」
「それに今から作者生きてますよーって言っても、証拠を集めるのがとてつもなく大変なのは見えてますし」
 ルドヴィコさんはこれまでの原稿の原本を保管していないと言っていた。当時持ち込んだ印刷会社の手に渡ったきりだったり、生活苦の時期に売り払ったり、様々な事情があって殆ど手元に無いと以前聞いた通りなら、それもそうだなと頷く。かえってややこしい事態になる可能性があるのを失念していた。全く、長命とは面倒臭いものである。
 苦笑するルドヴィコさんを前に、俺はこれ以上この話題を引っ張る気力を無くしていた。それより俺はエルミニアさんの店を訪れた理由があったのだ、と思い出し漫画本のペーパーをエルミニアさんに渡したところでこの話題は終息を迎える。
「ところで、その漫画は面白いのかい?」
 最後に、ルドヴィコさんは店を出る前にこう俺に尋ねた。店に着いた時にあれだけ語った面白さを再び語る気力は残っていなかったし、ルドヴィコさん相手なら最低限の言葉だけで充分だと思った。
「漫画の作者は原作者を大変リスペクトしてますよ」
「そっか……じゃ、読んでみようかな」
 こうしてその日はそれだけ言い残し、尻尾を揺らしながら陽光照らす外へと去るルドヴィコさんを見送りながら、俺はエルミニアさんにデコパージュ制作の約束を取り付ける会話に戻ったのだった。


 陽もすっかり傾き、退勤後の会社員が酒を片手にバールの外で溢れかえる街中を、俺は高揚する気持ちを隠せないまま走っていた。
 今日は『ローズドメイの名前』の新巻が発売される日なのだ。労働から解放された心地よさと話の続きを読める待ち遠しさを隠すなんてできっこない。職場と自宅の道中にある大型の書店に勢いよく入店すると、足は無意識に漫画のコーナーに向かっていた。ブルスケッタをつまみにワインを飲みながら読む漫画はさぞかし面白い事だろう。いや、面白いと確信が持てる。平積みされた新巻の山を目にすれば浮き足立った気持ちはますます抑えきれず、新巻にスキップで駆け寄り、一番上の本を取ろうと右手を差し出したその時。
「あっ」
 ほぼ同時に声が上がった。俺と同時に上の本を取ろうとした右手の主を見上げれば、それはこの前漫画の話題でひとしきり盛り上がった相手で。
「さ、先どうぞ」
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
 なんとなく気まずい思いを抱えながら先に上の漫画を取ると、ルドヴィコさんがその下の漫画を手に取る。漫画をあまり読まないと言っていたはずの彼が、自分から漫画を購入しようとするとは!その光景は新鮮に見えた。
「結局読んだんすね」
「面白くてさ……漫画だって舐めてた自分を殴りたいよ」苦笑混じりに頬を掻きながら本の表紙に視線を落とす。「時間を忘れる程本に熱中するなんて久々だった」
 なんとなく彼がまだ話したそうだったので。漫画をレジに通して書店を出た後も、俺とルドヴィコさんは並んで夕刻の街を歩いた。夜の蒼と太陽の橙が入り混じる今の時間は幻想的で、思っていることがポロッと口から出そうな気がした。
「そう言えばこんな話を書いたなって懐かしくなったし、現代に蘇らせてくれた作者に感謝したくなったよ」
「巻末にお便りの宛先が載ってますよ」
「無論、読んだその日に送ったさ!」
 浮かれ騒ぐ住民の中であっても彼の荒い鼻息がこちらにも聞こえてきそうだった。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。その横を俺は肩をすくめながら歩を進める。
「本当なら金一封でも同封したいところだったけど、流石にそれはやめたよ」
「まあ作者がびっくりしますからね」
「でもそうする価値はあの作品にあるよ。あれだけ臨場感と魅力的なキャラクターを描き切ってるなんてそりゃ人気が出るなって思ったし、肉付けされた部分も作者のセンスが上手く出てて何て言うか、ある種の芸術を見たようだった!」
 興奮気味に語るルドヴィコさんは最早ただの一読者となっていた。今この場で彼が原作者だと言っても信じてくれる相手なんて何人出てくるやら。
「もうこの漫画家オリジナルの作品でいいやってなってしまってさ」
「しっかりして下さい、原作あっての作品っすよこれは」
 自分より背の高い相手の背中を強めに叩きながら俺は更に彼の話に耳を傾ける。本人がこれだけ楽しんでいるようなら、当事者じゃない者は静観に徹するのが一番である。原作を買って久々に自分の作品を読み返そうか、と嬉しそうに話すルドヴィコさんの揺れる尻尾が俺の足に当たり続けているのも、この満面の笑みを見ていれば許せる気になれた。実はどさくさ紛れで一本尻尾を踏み付けてしまった事だって、今の彼なら笑って見ぬふりしてくれるだろう。それとももう数本踏んで彼がどんな反応をするかも観察してみようかしら。
 黒に染まりつつある空を眺めながら、この高揚感に浸り続けるのも悪くは無いなと思いつつ、俺は相変わらず早口で話し続けるルドヴィコさんに相槌を打った。

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長く生きてればルドヴィコの身にこんな話があってもおかしくないんじゃないか、という話でした。
獣耳や尻尾の子が、すまし顔でも耳や尻尾は素直……てシチュエーションからしか得られない栄養がある。
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