雪の日に思う | ナノ
雪の日に思う

 太陽の国でも雪は降る。それは海を隔てた国に住むヴィットリオも理解している事だった。住んでる国は所謂地中海性気候にあり、冬でも温暖で霜が降りたり雪が降ることは稀なのだが、ある年に大雪が降りしきり、雪に慣れてない街中がパニックに陥ったのだ。今でも思い出す、まるで初めて月面に降り立った宇宙飛行士がごとく、真っ白な地面に最初に足跡をつけた感動、街中の子供達に混ざって身分関係なく雪合戦に興じた子供時代の楽しい思い出を。
 そして同じ気候にあるパルデアもまた、雪が降る時は降る国なのである。婚約者であるベルタことベルタリーデ嬢を訪ねて冬のある日にテーブルシティに足を踏んだ彼が翌朝見たものは、鉛色の空から白い雪が降りしきる極寒の洗礼だった。
「ナッペ山の辺りならまだしも、この街で雪が降るなんて中々ないぞ」
「確かに、温暖な地域だしな」
「まあ昼ごろには雪も止むみたいだし、一緒に街を歩こう!な!」
 無邪気な男児は落ち着きを覚えた大人になり、今となっては珍しい雪を見ても感動よりも面倒くささが勝り、屋内であっても視覚的な寒さに一層身を震わせるばかりだ。ただ、愛する相手が雪を見たいと言うなら話は別で、ベルタの邸宅で熱々のコーヒーを飲み干しながら、ヴィットリオは彼女の提案に頷くのだった。
『近年稀に見る大雪でパルデア航空は全便が欠航となり、チャンプルタウン近郊では数百台の車両が雪に阻まれ立ち往生しています。その列は十数キロに渡って形成されており……』
 ベルタの言う通り雪は昼過ぎには止み、陰湿な色の空も雲が残りつつ晴れやかな青へと変わっていた。 テレビのニュースに耳を傾けつつ、ヴィットリオが屋敷の二階から地上を見下ろせば、子供も大人も白に染まった空間を珍しがって浮かれ遊んでいる姿が見える。大通りを見れば車やバスが思うように進めず阿鼻叫喚となった光景が映るのだが、それはそれとして滅多にない大雪で街は良い意味でも悪い意味でも混乱していた。
「何ぼーっとしてるんだ、行くぞヴィットリオ!」
 はっとして声の方へ顔を向けると、ベルタが灰色の毛糸の帽子とマフラーを身にまとい、厚手のコートを着込んだ姿で立っていた。今にも外に飛び出しそうな彼女を宥め、ヴィットリオも彼女に負けず劣らずの防寒着に袖を通す。ベージュ色のダウンジャケットと手袋に、深緑のチェックのマフラー姿。加えてジャケットの下には何枚も服を着込み、背中にはカイロを貼ったので、今の彼は戦場で鎧を着込んだ武者の心境だった。今ならどんな冬将軍が来ても牙や爪を振るえそうな気がする。もっとも、今それらを振るうとすればベルタに危害を加える輩になってくるのだろうが。
「何も無ければ良いのだが……」
 仮にも貴族の令嬢である女性だ、彼女自身も悪漢に立ち向かえるだけの強さを有しているとはいえ、許嫁となれば不安を覚えるものがあった。まして快活で無邪気な振る舞いは、悪いものを引き寄せる可能性も十分に有り得る。
 その不安は無意識のうちに彼女の手を固く繋ぐ形で表れた。ベルタはヴィットリオが指を絡ませた瞬間どきりとし、まだ室内であるにも関わらず顔を赤くしてみせたが、首を振って平常心になったところで外に飛び出す。
「い、行くぞ!」
 こうして二人連れだって足を踏み入れた雪のテーブルシティは、先程以上に混沌の様子を見せていた。階段や坂が目立つ街故に、氷に足を取られて転倒する者、スキーやスノーボードを持ち込んでウィンタースポーツをやり出す者、あちこちで雪かきに追われる者もいれば、かき集めた雪で雪だるまを作り出す者もいる。
「ベルタは何をやりたい?」
「そうだな、暫くは街を散歩して……どこかのバルで休むのはどうだ?」
 ヴィットリオにとって、ベルタの提案は有難い話だった。寒さが苦手で動きが鈍くなるヴィットリオにとって、体が温まっていない状態でいきなり何かするのは難しい話である。だからこそ比較的穏やかな行動を取るのが負担にもならず、丁度良かった。
 慎重に階段を下り、町の中央にある広場へ向かうとそこは最早老若男女の遊び場と化していた。子供達が雪合戦をしていると思えば、少し離れた場所でソリ遊びをする親子もいる。皆ここぞとばかりに雪を満喫している様子に、思わずヴィットリオもマフラーの下で微笑みを浮かべる。相変わらず外は寒く、白い息を吐き、鼻を赤くさせながらカイロを貼ってきたかどうかを疑ってはいるものの、これだけ騒がしい街は幼少の楽しい思い出を呼び起こすものとなっていた。
「懐かしいな、私も昔国に雪が降った時はああして遊んだものだ」
「そうなのか?てっきり大人しくしてそうなイメージがあったんだが」
「私も子供の頃は風の子だったんだ、確かに寒かったが、遊びたい気持ちが強かったんだろうな」
 ふうん、と神妙な顔つきで頷くベルタに、そう言えば小さい頃の話をあまりしていなかったなと気付く。彼女にとってヴィットリオは穏やかで誠実で、雪の日でも屋内で仕事や勉学に励んでいそうなイメージしかなかったのだろう。ふっと笑ってヴィットリオはベルタの手を引き街の散策に戻る。話の流れでベルタが幼少時代の雪の思い出語りを始めたのを聞きながら。


 何事も無いまま散策が一段落し、安堵しながら広場に戻ってきたところでベルタは広場の一角にあるバルを指差した。時計塔で時刻を確認すれば、休憩にも程よい時間帯である。ヴィットリオが笑顔で彼女に答えたところで、二人は遊び疲れた者たちの集い場となっているバルの扉を開けた。
「私はホットミルクにするが、ヴィットリオはどうする?」
「コーヒーのウイスキー割りがあれば良いんだが」
「コーヒーを酒で割るのか!?胃を悪くしそうで怖いな」
「そうでもしないと寒さが抜けないからな……」
「歩き回って暖かくなったんじゃないのか?」
 いや、とヴィットリオは首を横に振る。寒がりな体を温めるには、あと街を数周しないといけないだろう。自分一人ならば休憩なしで歩き回っても良かったが、ベルタがいる以上ペースを合わせるのが最優先である。そうなればやる事は一つ、別な方法で冷え切った身を溶かすまでだった。
 結局コーヒーのウイスキー割りなんてものは無い、と言われ普通のエスプレッソを頼む羽目になったのだが、暖かい飲み物があるだけでも心持ちは違ってくる。
「そういえば」ベルタと自分のコーヒーを見比べ、ふとヴィットリオが呟く。「昔もこんな事があったな」
「何かあったのか?」
「……いや、今のは独り言だ」
 ホットミルクを両手で抱え、きょとんとしたベルタの愛らしさに頬を緩ませつつ、ヴィットリオは目を逸らす。今思い浮かんだ記憶を彼女に話せば、まだ色恋など知らぬ頃の話であってもどこの女の話だと唸り声をあげてしまい、折角の雰囲気が台無しになってしまうだろう。だが雪深い日にバル(自国ではバールという)でホットミルクとコーヒーを傾けた光景は、これが初めてではないのである。
 一度記憶を思い起こせば幻想はすぐ頭全体に膨らんだ──これもいつぞやと同年の子供時代の話である。確か大きな広場で体力の続く限り雪遊びに興じ、へとへとになった状態で休める場所を探していた時のこと。「ホットミルクあります」の文字につられて入ったニャルマーの看板のバールにその女性はいた。当時イワンコだった自分の憧れの姿をした、榛色のセミロングの髪に青い瞳を持つルガルガンの店員は、エプロンをなびかせながらくるくると忙しく仕事をこなしていた。
「少年、お疲れのようだな」
 屈託のない表情で湯気の立つホットミルクを差し出され、目を輝かせる自分を愛おしげに眺める姿。配膳が一段落し、休憩だと言ってエプロンを取ると自分用のコーヒーを持って隣の席に座った。
 それから、何を話したのかは具体的に覚えていない。天気の話や近所の噂等、ありきたりな事だったのかもしれない。それでも活発な装いにカラッとした笑顔、中性的な言葉遣いは不思議と安心感とときめきを男児だった心に芽生えさせた。一回り大きな美人な女性に優しくされれば男児なら誰しも考える話だろう。特にヴィットリオは実母への良い思い出が無いに等しい。そんな中で優しい言葉を投げかけ、頭を撫でてくれた名も知らぬ彼女の存在は暫く大きなものとなっていた。だから雪の日以降も王子としての勉強や用事に追われていた時も、広場の一角のバールを思い出すと頑張れた気がしたし、暇な時間には銀貨を握りしめてバールで食事を取っており、この生活は半年後に彼女が結婚で店を離れるまで続いたのだった……。
 ところで、とヴィットリオは隣で満面の笑みでホットミルクを飲むベルタに目線を移す。彼女の快活さはどこか思い出のバールの店員を呼び起こさせるものがあるな、と今更ながら気付いたのだ。エメラルドグリーンの瞳をいたずらっぽく揺らめかせ、ぐいぐいリードしていくベルタのチャーミングさは惚れた理由の一つなのだが、どうやら自分の好みは昔と変わらないらしい。そこまで考えるとなんだかおかしくなって、思わずふっと微笑がこぼれる。
「ヴィットリオ、どうした?」
「何でもない、ちょっと思い出しただけさ」
 無論、思い出にずっと浸ろうとは考えていない。現在愛しているのはいずれ夫婦になると決まっている目の前の彼女だけであり、今も次に彼女と何をしようかぼんやり考えている。過去は過去として大事だが、目の前に向き合わずして何ができようか。
 ベルタがいればもう少しだけ寒空と雪の中を歩ける気がする。彼女に次はどこへ行こうか、と話しかけようと身を乗り出すと生憎ベルタは住民と思わしき子供達と何かを話し合っている最中だった。チャーミングで面倒見が良い故に街の住民から慕われる彼女は、テーブルシティ内でも人気を誇っている。一体彼らとどんな話題に花を咲かせているのか、エスプレッソを飲み干してヴィットリオは頭の耳をベルタの方に向ける。そして、言葉を失った。
「ヴィットリオ、今から子供達と雪合戦に行ってくる!」
「えっ」
「すまない、審判を任されてしまってな……その間バルの中で待っててくれないか」
「待て」ベルタが心配な気持ちでヴィットリオは続けた。「私も共に行こう」
「本当か?」
「えっお兄ちゃん何するの?一緒に雪合戦する!?」
 勢いで口にしてしまった言葉だが、ベルタも子供達も驚きと喜びに満ちた表情でこちらに注目していた。暖房の効いたバルとエスプレッソのお陰で体は十分温まっている。子供相手だから全力は出せないものの、たまには童心に戻ってはしゃぎ回るのも悪くは無い。ジャケットを羽織り、マフラーを巻いて席を立つ。
「悪いなヴィットリオ、でも一緒に雪合戦ができるなんて嬉しいな」
「ふふっ、まだ風の子だった記憶が残ってるみたいだからな。これくらい上等だ」
 先に店を出た子供達に続いて店を出ると、足元の雪が太陽光を反射してきらめく光で一瞬怯む。そうだ、雪というものはそんな物だった。きっとこんな些細な事も含めて今日の出来事もいつか笑って思い返せる話となるのだろう。ベルタがいて自分がいて、ある年の楽しい雪の日の思い出として今後も刻み込まれていくのだ。苦手な冬なのに、愉快な気持ちになってヴィットリオはベルタと共に子供達の元へ駆け出した。

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お久しぶりの色々小説お題ったー(単語)で「「白」「雪」「はつこい」がテーマのヴィットリオの話を作ってください。」なんて出たモンだから、クソ暑い時期に冬の話を書くことになりました。これでも数ヶ月前に歯をガチガチ言わせながらウォルターとシノノメさんが寒空の下で震える話を書いていたんだぜ……?時の流れェ。
イタリアもスペインも首都圏辺りは雪が降らないところなので、雪が降ったらてんてこ舞いになりそうだなと思いながら調べてたら、本当にその通りで混乱しているニュースが出てきたんですが、雪だー楽しい!て大人も子供もはしゃぎ回ってる写真も同時に出てきて微笑ましくなりました。
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