Same here



後ろ手でドアを閉めると廊下はもう薄暗かった。

電気がついているのは、今なまえが立っている真上と右側の階段の照明だけ。
立っている足元から徐々にグラデーションは濃くなっていき、左側の廊下の奥はもう真っ暗だ。
途中にある消火機器の赤いランプだけが煌々と光っている。


普通ならばまだ電気のついている右側の階段を通って帰るだろう。
しかしなまえはB棟の教室に忘れ物を取りに行く予定があった。
B棟へは左側の廊下の突き当たりにある階段を通った方が断然近い。

なので迷わず方向転換をして、真っ暗な廊下を歩き始めた。


夜の学校は何だかドキドキする。


なまえは帰宅部なので、真っ暗になるまで学校に残った事は数えるほどしかない。
完全下校は7時だが今はもう10分も過ぎていた。

窓の外から中庭を挟んで反対側にあるC棟を見ると、職員室だけ明かりがついており先生達の様子が丸見えだ。
一般教室に生徒の姿は全く無く、戸締りも終わったのか全部の教室が消灯されていた。


先生に見つかれば注意を受けるかもしれない。

見つかったら怒られそうな先生の名前を頭に浮かべながら歩調を速めた。






ガラッという音を立てて教室の戸を開く。

運良くなまえのクラスの教室は施錠されていなかった。
杜撰な学級委員に今回ばかりは感謝しよう。


窓際の自分の机まで歩いて行き、横に掛けてあった手提げバッグを持ち上げる。
中身のお弁当は空なので見た目よりも随分軽い。


「お前ら早く帰れよー」


窓の外の自転車置き場から、聞きたくない声が微かに聞こえてきた。
進路指導の植村だ。

「やばいな、急ごう・・・」


回れ右をして後ろのドアから出ようとしたその時。

廊下から足音が響いてきた。

それはだんだん近づいてきて、間隔が早いのでどうやら走っているらしい。
音の大きさからして女子生徒じゃないだろう。


瞬時になんと言い訳しようか考え始めた。

しかし良い言い訳を思いつく前に、後ろの引き戸がガラリと開く。

adidasのジャージ姿で肩にタオルをかけた少年が少し驚いた様子で立ち止まった。


よかった、先生じゃない。


・・・というかこの人は


「なまえ?」

「英士!」


戸を開けたのは大きなスポーツバッグを肩から下げた英士だった。
そっか、だから足音が大きかったんだ。

ひとりで納得していると英士が教室の中に入ってきた。

「帰宅部なのにまだ帰ってなかったの?」

やっぱりこの質問は先生じゃなくても皆するみたいだ。
相手は英士だし、この際正直に言おう。

「進路指導室でいろいろ資料を読んでたらね、眠くなっちゃって・・・いつの間にか寝てました」

「HRが終わってからずっと?」

「うん」

呆れの混じった息を吐くと、英士は額を小突いてきた。

「それで忘れ物を取りに来たとかでしょ」

「うん、お弁当箱。英士も忘れ物?」

英士は自分の机の傍まで歩いていき、机の中に手を入れて何かを探し始めた。

「俺はルーズリーフ。科学のレポートが明日までだったから」

ビニールの包みがパリパリという音を立てて引き出しから出てきた。

「帰るよ、なまえ」

「うん」

二人で軽く戸締りをしてから廊下に出た。

窓の外は濃紺の空に星が瞬いており、廊下は変わらず薄暗い。

良く分からない胸騒ぎがしてくる。

今はさっきよりもずっと鼓動が早くなっていた。

電気のついていない薄暗い教室でも、英士はやっぱりカッコよかったから。


「走るよ」

「え?」


上履きから靴に履き替えると、隣で待っていた英士がなまえの右手を掴んで急に走り出した。
なまえも通学鞄を持ち直して慌てて後に着いていく。

昇降口から外に出ると校門は目の前に見えた。
外灯には虫がたかっていて、その明かりで校門の前に立つ教員が照らされている。


「「さようなら」」

「おぅ早く帰れよー」


校門を抜けて一つ目の角を曲がり終えると英士はやっと立ち止まる。
なまえにあわせて速度を抑えて走ってくれたのだろうが、通学鞄が重くてさすがに少し息が上がってしまった。

「植村も早く帰りたいのかも、走らなきゃ怒鳴られるんだ」

なまえの手を離すと、英士は大きなスポーツバッグを肩に掛け直した。

「英士。手、大丈夫?」

急に掴まれた時に爪で引っ掻いたのではないかと心配だった。

「大丈夫」

微かに口角を上げるだけの笑顔が久しぶりで思わず見とれてしまった。

二人並んで歩道を歩き始める。

周囲に人の姿は無く、部活生も殆ど帰ってしまったらしい。

「今までサッカー部の練習につきあってたの?」

「うん。選抜の練習もあるから今日で最後だったけど」

英士は普段クラブユースの練習に通っているが、休みの日に時々サッカー部の練習に参加することがある。
都大会の本戦が始まるので学校側も本腰を入れているのだろう。

もちろん試合には出れないが、顧問の先生より巧いので的確に指示が出せるようだ。
協力している分だけ内申も良くなるらしい。

あからさまに先の見えた返答をされることはわかってたけど、呆れられるのも良いと思って訊いてみたのだ。


英士と二人で帰るのはすごく久しぶり。


最後に一緒に帰ったのは先月始めのテスト期間だった。
クラブユースの練習が中止になるのはテスト前の7日間だけなのだ。

それ以外はHRが終わるとそのまま電車で練習施設まで移動している。

昼休みも他の男子生徒と食事をするか宿題を片付けたり勉強をしているので、近頃は毎朝HR前に軽く挨拶をしたり、掃除の場所が同じな時に言葉を交わすぐらいになっていた。

ただの友達よりも浅い関係なんじゃないかという不安が首を絞めてくる。



「選抜、どんな感じ?」

「うん。結人や一馬もいるし、それなりに楽しい」

「監督、美人さんなんでしょ?結人君が言ってたよ」

川崎ロッサの試合を何度か観に行ったことがあり、一馬君や結人君とも顔見知りになっていた。
つい先日ショッピングモールで買い物をしていた時に友達連れの結人君とばったり会ったのだ。

「うーん・・・美人だけど少し気が強そうな感じ。それに曲者っぽい」

それって英士のことじゃんと思わず笑いそうになったけど、久しぶりの帰り道に喧嘩は避けたいので相槌をうつだけにした。


裏道の住宅街なのでこの時間帯は全く人気が無く、家々の外灯の光で二人の影がいろんな方向に伸びていた。

足を一歩踏み出すごとにいくつもの黒い足がアスファルトに映し出される。



どうしよう。


何を話せばいいだろう。


あんなにいろいろ話したかったのに。

久しぶりだから何だか緊張してしまう。



薄い灰色の壁の向こうに赤い点滅信号が見えてきた。

なまえはそのまま真っ直ぐ進むが、英士はあそこから右に曲がる。



もっとゆっくり歩きたい。

さっき通り過ぎた公園で引き止めればよかった。



「なまえ?」

道路側を歩いていた英士が急に立ち止まった。

「具合悪いの?」

訝しげに眉を寄せて覗き込んでくる。


「うん」って言おうか・・・

そうしたらもっと私のことを気にかけてくれるかもしれない。

でもそんなことして英士に気を使わせるのも悪いし、なんだか嫌だ。


「大丈夫だよ、何でもない!」

にこっと笑って首を振った。

「ならいいんだけど」

英士は不思議そうに首をかしげると前方の点滅信号を見つめた。

あっさりと視線が自分から反れた事が思っていた以上にさびしい。


道路の反対側の壁に黄色いライトが反射し、向こう側から自動車が走ってきた。

英士は黙ってなまえの手首を掴むと、車に引かれない様に白線の内側まで避ける。

車はそのまま速いスピードで走り去っていった。

赤いテールライトが徐々に遠くなっていくのを二人黙って見送る。

隣に立つ英士へ振り返ると、まだなまえの手を掴んだまま此方を見ていた。


「ありがと」

「うん」


お互いに次の言葉を発することなく、短い沈黙が流れた。


「あのさ、今週の土曜日の午後に高校生と練習試合があるんだけどなまえも見に来る?一般も観戦できるから」

チラリと視線を斜め上に上げて、思いついた様に英士が沈黙を破る。

「うん、行きたい!」

なまえの返事を聞いて英士は微かに微笑んだ。
スポーツバッグからプリントを取り出して渡してくる。

「最後になまえが俺の試合見たのっていつだったっけ?」

「この前のクラス対抗の球技大会だと思う」

「その時よりもずっと面白い試合になるから楽しみにしてて」

自信満々に言ってのける英士が大好きだ。

強がりでもなんでもなくて、本当にそうなるからこそはっきりと言えるのだろう。

受け取ったプリントを四つ折にして大事に鞄に仕舞うと、隣で待っていた英士がわずかに眼を見開いた。


「なまえの肩に何か付いてる」

「え、やだ!早くとって!」


英士はスポーツバッグを道路に置くと、なまえの右肩にかかった髪をはらった。

虫が大嫌いななまえは小さな蛾やハエも怖くてその場から逃げ出す程だ。

何が付いているのかとドキドキしながら待っていると、英士はくすっと笑ってなまえの肩に手をかけた。


「?」


英士の顔を見ると、瞬きもせずに此方を見つめている。


切れ長な目の奥の黒い瞳から熱を感じる。


なまえよりも背の高い英士はそのまま前屈みになり、額が重なった瞬間真っ黒でサラサラとした前髪がなまえの前髪と混ざり合った。


いきなりのことで両肩に力が入るなまえをくすっと笑う英士。


夏なのにやけに冷たい唇が触れ合い、お互いの息が交じり合う前に再び離れた。


また遠くからエンジン音が聞こえて、よく見る配達業者の車が二人を追い越していく。



「大丈夫?」

「いきなりだからびっくりした」

「“いきなり”だから良いんでしょ?」


道路に置いたスポーツバッグを持ち上げて肩に架けると、英士は涼しげに笑って見せた。

「家の前まで送っていくよ、久しぶりだし」

なまえの右手を掴むと何事も無い様にまた歩き出す。


英士の性格だからそれ以上は言わないけど。



さっきのキスはお互いの気持ちを確かめ合うのには十分だった。



赤色の点滅信号が英士の横顔を赤色に染めている。


なまえの鼓動と同じ間隔で


繰り返し繰り返し


赤く照らしていた。


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