その、温度が


“――手塚ぁ”

少し得意気に、けれど温かみを帯びたトーンで俺を呼ぶ。その声が、好きだった。

ただテニスが好きで、強くなりたいだけだった。
それがいつしか人に憧れを抱かれるようになり、羨ましがられるようになり、妬まれるようになり。

そんな時、跡部景吾だけが、俺と対等だった。
上でもなく、下でもなく。友人であり、味方であり、好敵手であり。
俺の力を認め、同じものを背負い、そしていつだって強くて美しかった。


俺にとって苦しいのは敗けられないことではない。敗けた時に、泣けないことだ。
感情を表に出すタイプではない俺には、難しかった。

“手塚ぁ、俺がお前を完膚なきまでに叩きのめしてやるよ。俺の前で泣けよ。”

跡部の言葉にきっと深い意味などなかっただろう。
けれど、今までそんなことを言ってくる奴などいなかった。本気で俺を潰そうとする奴など。


“手塚ぁ、お前の頼みなら何だって聞いてやるよ。”

俺に手を貸そう、助けてやろうなんて奴などいなかった。俺だから、なんて思いあがるわけではない。
跡部はきっと誰が相手でもそういうことが出来る奴なのだ。


だが。

“――跡部”

俺の紡ぐこの3文字にいつしか宿った温度など、誰が知るだろうか。
俺自身にも解らない。

夜明けの、濃紺と薄明とが混じり合ったようなこの感情を。
友情と呼ぶには熟れ過ぎている、恋情にも似た、この感情を。



今、現実を前にして、俺は何も出来ない。
何も出来ないけれど。

この温度全てが伝わってしまっても構わない。
俺を忘れて、置いていかないでくれ。

「跡部」

その一言だけを呟いて、祈るように華奢な身体を抱き締めた。


すっぽりと腕の中に収めた彼からは、やわらかな花のような香りがした。
初めて嗅ぐその香りに、何だか胸が痛む。


「何だよ、どこか痛いのか?・・・手塚ぁ」



くすりと笑う気配。
無意識にあげられたであろうその手は、俺の左肘に添えられていて。


まるで朝露を愛でるような優しくて温かな手つきに、さらに胸は悲鳴を上げた。
じわじわと迫る痛みに耐え、彼を抱く腕に力を込めた。

ぎゅ、と音がしそうなほど、強く。
どうか、どうか届いてくれ。



しばらく俺の腕の中に大人しく収まっていた跡部が、ふと身じろいだ。

「・・・・何か、何かが俺を呼んでいる・・気がする・・・」



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