この気持ちに名前をつけるなら
付き合って一ヶ月は経っただろうか。女はそういう記念日を大事にするとナルが言っていたような気もするけれど、付き合った日が何日だったかなんてはっきりとは覚えていない。その日はあんずを放っておいて半日寝ていたわけで、おれにとっても大事な日ではあるけれど同時に申し訳なくて忘れたい日でもあった。
夏の終わりに出会ってからどんどん季節が進んで、すっかり冬になった。息が白くなるほど寒くて、外にいたらすぐに手がかじかんでペンを握る手が痛痒くなる。どおりで今までのように湧き出るインスピレーションをこの世に書き留められないと思った。
まぁ、話は逸れたけれど、あんずはそういうことをいちいち祝いたい性分なのだろうか。妄想してもこればかりは本人に聞かなければ分からないのが残念で仕方ない。安易に答えを求めるのはもっと嫌だが仕方ない。
「あんずは何ヶ月記念日とか祝いたい?」
脈絡もなく自分の隣で大人しく衣装作りに励む彼女に声をかける。すると少し悩んだように間を開けてあんずがそうですねと肯定の言葉を紡いで内心ドキリとする。
あんずが悲しむことはしたくない。祝わないことで悲しむというのなら、可能な限り祝って出来ることなら笑顔でいてもらいたい。けれども季節が進むことさえこんなにも早く感じるのなら、これから長く共に歩いて行くあんずと一ヶ月ごとにお祝いをしていたらキリがないと思うおれはどこか常人とは違うのだろうか。
ちらりとその表情を覗き見た彼女はオレの視線に気付いたようでクスリと笑う。
「でも、月永先輩と一緒にいられるのならお祝いなんてしなくても構いませんよ」
「どっち!?あとおれのことはレオって呼んでって言ってるだろ?」
「そうでした……レオ先輩」
ああ、名前を言い直してはにかむあんずが可愛いのが悪い。スタジオじゃなければ欲望に忠実になって宇宙を想像していたかも知れない。寒いだろうと足にかけてやったおれのパーカーが邪魔だけれども、他のメンバーにあんずの柔らかな肢体を見られるのは我慢ならない。
せめて黒いタイツをはいてくれれば、とも思うが束縛するようなことを言いたくない。ジレンマだ。
「……」
ガチャリと扉が開いたがおれたちの様子を見て無言を決め込んでいる相手に声をかける。
「セナ、冷気が入るから早く入れ」
「うわぁ……王さまが真面目なこと言ってる」
心外だと頬を膨らませる。おれだって真面目なことを言うときくらいあるぞ。だいたいにして、あんずが風邪でも引いたらどうする?おれがあんずに会えなくなるだろうに、セナはそんなことにも気付かないのか?
「セッちゃん入り口でつっかえないで〜。早くおこたに入りたい……」
「ダメ。クマくんこたつに入ったら寝るでしょ」
スタジオにこたつがあるなら、あんずを入れておけばよかった。そうしたら寒い思いをすることもなかったろうに、本当にこういうところに気がまわらない。
少しでもスタジオ内の設備を気にも留めていたら、気が付いたのにと内心舌打ちする。
「じゃあ、あんず〜膝枕して〜」
「うん、いいよ」
おれは耳を疑った。
あんずがなんの躊躇いもなく快諾したこともそうだけど、リッツには敬語を使っていないということに驚いた。留年しているとはいえ、リッツもおれやセナと同じ年齢なのに……と恨みがましく彼女の方を見たところで既にこたつへと向かった後でその視線には気付きもしない。
唯一おれの視線に気がついたセナは意味ありげにニヤリとしていた。
「面白いもの見ちゃったぁ」
「ナル!」
「さぁて、アタシもコタツに入りましょーっと」
遅れてやってきたナルにまで意味ありげに笑われて気分が悪い。自分にも執着心や独占欲があったのかと認識させられているようで、あんずたちを追いかけたナルから目を逸らした。
気持ちを入れ替えて一曲書き上げて、ようやく周りをみたら他のメンバーと楽しげに談笑するあんずの姿が見えた。正直、いい気持ちはしない。自分以外の他の誰かにそんな顔を見せないでほしいと黒い感情がふつふつとわき上がる。
「一段落ついたのなら、どうぞこちらへ」
「いい。行かない」
ふわりとあんずが微笑んで手招きするのだって、いつもならかわいい!愛してる!と飛びつくような出来事なのに、今日はそういう気分になれない。
みんなどうしたんだ?リッツがあんずの膝枕で寝てるのは許せないけど、本当に許せないけどいつものことだとして、ナルもスオーもそんなにあんずにくっつく必要ないだろ?セナに至っては女の子に興味なんてないと思っていたのにこれは裏切りだ。
「意地張ってないでこっちにきたらぁ?」
「張ってない!今!新しいインスピレーションが湧いてきたところだから!」
セナに図星を突かれて少しむっとして言い返す。意地は意地でも男の意地だから引いちゃだめな気がする。あとインスピレーションが来たのは間違いないけど、今この感覚でそのまま書いたらどろどろした黒い曲になりそうだから書きたくない。
見ないようにしているけれど、あんずのことが気になる。絶対誰かしらあんずにベタベタ触れたりしているはず。気が気じゃないし、いいかおまえら、あんずはおれの彼女なんだぞ!と声を上げたらいいんだろうが出来ない雰囲気がこの部屋にはあった。
「ほんと素直じゃないよねぇ、王さま」
なんてぼそっと呟かれたけれど知ったことじゃない。下校時間になればあんずを独り占めできる。それだけを思って床に広げた五線譜にペンを走らせ続けた。
「……先輩?」
それからどのくらい経ったのか、心配そうにおれの顔をのぞきこむあんずと目が合って、ようやく下校時刻になったことに気がついた。
窓の外を見れば、夕日が沈みかけている。他のメンバーもみんな帰ったのか二人きり。そうか、今はおれとあんずしかここにいないのかと認識したとたん、先ほどまで奥に押しやっていた黒い感情がまたふつふつとわいてきた。
帰らないと、と次の言葉を紡ごうとした彼女の口を塞ぎ少し乱暴に床に組み敷いた。
「ん、……ふむぅ……う」
舌を絡ませながら彼女の胸に手を……と思ったけれど、そこでやめた。
これ以上は学校でやると我慢が利かなくなる。その先に進むのはまずいと唇を離してやるとそれまで息が苦しかったのか肩で息をしているあんずを見て申し訳なくなった。のろのろと彼女の上から退いて、座らせてやる。ああ、制服乱さなくてよかったと自分のなけなしの理性を褒めてやりながら。
「ごめん、先帰って」
「レオ先輩……」
先に帰ってと言うのも無責任だよなー、薄暗くなるまで居残らせておいて、とも思うがもう少し落ち着かないと外に出られそうもない。
あぐらをかいてキュッと下唇を噛む。処構わず本能のままにあんずへと向かってしまう、自分も普通の高校生男子なのだ。
「嫌です」
「……は?」
「一緒に帰りましょう」
何を言われているのか分からず、間抜けた声が出る。おれがこんなにも理性と格闘しているっていうのに、どうしてそう可愛いことを言って煽るんだと理不尽な怒りが湧き上がる。そもそもこんな強引な手段に出たのもおれにやきもちを焼かせるから、だし……?
「やきもち……?」
「やきもち焼いていたんですか?」
「なっ、ちがっ……!」
心の中に浮かんだ言葉がぽろりとこぼれ、あんずに受け止められる。
そうだったんですね、なんてくすくす笑うくらいならいっそのこと殺してくれ、と思う。今度のお休みの日にはいっぱいべたべたしたり、手料理を食べてもらったり、あと膝枕もしないといけませんね?なんて楽しそうに言うな。どちらかといえば、あいつらにそれをするのをやめてくれ。
「……嬉しくないですか?」
「嬉しいけど、違う。嬉しいけど!そうじゃない!」
一体どこでこんな積極性を身に着けてきたんだと、まるで幼い子供に言うように揶揄されながらおれは頭を抱えた。
[mokuji]