違えた先の未来

 サー・モードレッド・ジュニア。
 一度だけ呼ばれたことがある私が何者であるかを知るための大切な名前。私をそう呼んだ人は『しまった』という様な顔をして、その後リツカたちに連れて行かれた。
 サー・モードレッドがどんな人物なのか調べてもカムランの丘でその生涯を閉じた叛逆の騎士という当たり障りのないことしか書いていない本ばかりで私の知りたいことは書いていない。パソコンで調べたって出てこないんだもの。きっと、あのイケ好かない探偵が私の知りたいことが書いてあるものを隠したに違いない。だってここで一番信用できない人物は彼だと私の第六感が告げているんだもの。疑う余地はない。
 ジュニア、ジュニア、ジュニアってみんなバカの一つ覚えみたいに私のことをそう呼ぶから知りたかった。本当に私は彼の子供なのかどうか。

 何もない部屋の中、聞こえてくるのは規則正しい機械音。ぱちりと目を開けて、瞳に映るのは何の変哲もないもない真っ白い天井だけ。
 窓もない部屋で私を生かすためだけに張り巡らされたたくさんの管に絡めとられて、一人でベッドから体を起こすこともままならないまま一日を無為に過ごしている。
 いつもであれば、リツカやマシュが一日一回は私と話をしたりするために部屋へと来てくれるけれど、数日前からそれもパタリとなくなってしまった。そういう時の二人はレイシフトでこのカルデアから遠く離れた地へ赴いている、と理解はしているが物寂しい気持ちは晴れない。
 私にはレイシフトがどういうものなのかまでは教えてくれないけれど、様々なお土産話を聞かせてくれるだけで十分……なんて『お利口さん』なことは言えなくていつも二人に文句ばかり言って困らせていた。
 ああ、もう、退屈で退屈で死んでしまいそう。私だって外を存分に走り回ってみたい、と思うことのどこがわがままなのか。同じような年の頃の子供は外を駆け回っているというのに、私はずっとこの部屋の中。

「……楽しいことないかな」

 動き回れるわけでもない、介添えがなければ本棚から本を取ることもできない。そういう時にやることはただ一つ、ベッドサイドのキャビネットの中に大事にしまいこんだ赤いブローチを磨くこと。これだけはマシュが私の手の届くところに置いておいてくれていた。
 真ん中にドンと構えた赤い宝石は毎日磨いているおかげで一点の曇りもなく私を映している。うん。今日もきれい――なんだけれど少しだけ宝石が台座から浮いていることに気が付いた。
 落としたりしていないのに、昨日だって変わらずに磨いていたのにどうして気が付かなかったんだろう。このブローチはとても大事なもの、と教えられた。だからその通りに大事に扱ってきたはずなのに、どうしてという気持ちがあふれて胸が苦しくなってくる。
 どうして、どうして、どうして、どうして――私の胸の苦しさを表すように繋がれた管の先の医療機器がけたたましい異常音を発する。私は狂ったように台座から宝石を取り外そうと爪を立てた。
 ガリガリと爪が引っ掛かっては欠けていったがそんなことはどうでもいい。やっとの思いで分離させたブローチはポスッとベッドの上に落ちて、合間からひらりと紙片が舞った。

『今夜、○○の奥から2番目の部屋で、このブローチを捧げよ。さすれば、汝の待ち人来る』

 どきりと胸が跳ねた。私が望む人がこのブローチを触媒にして呼び出せるなんて、そんなこと本当にあるのだろうか。いや、分からないけれど試してみてもいいんじゃないだろうか、と心の中に淡い期待の光が灯る。
 カルデアの外に出るわけではないのだから見咎められることだってないと思う。この衝動を私は抑え込むことができなかった。


 準備は整った。時刻はいわゆる丑三つ時。
 私は一人、召喚装置のある部屋の前に立って握った赤いブローチに力を込める。これはリツカもマシュもレイシフトでいない、今じゃないとできないことなんだ、決して悪いことをしている訳じゃないと竦む自分の足を激励した。
 ああ、でも、やっぱり。足が震えるのはいつものことだし、震えを止めるのは無理かと苦笑が漏れる。生まれつき身体の弱い私が、繋がれた管を取っぱらい自分の部屋を飛び出して出歩いているバチが当たったんだ。きっとそう。白い部屋から出ることを許されるのはリツカたちがいる時だけだから。
 よたよたと歩くと櫛で梳いたばかりの父譲りのピンクブロンドが揺れる。父のことは話でしか聞いたことがないから、ここの職員さんたちに『似ている』なんて言われてもこれっぽっちも心に響いてこない。顔は母方の祖父に似ているらしい。あまり母に似ていると言われないのはなんとも複雑な気分だった。
 一歩ずつ歩みを進めてなんとか部屋の中に入っていく。その場に座りこんでしまいたい衝動に駆られながらも、私は目の前の召喚装置をキッと睨みつける。
 ここで自分に負けては私の夢は叶わない。私はローブの中に突っ込んでいた紙片をぐしゃりと握りつぶし、口を開いた。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ――」

 すうと息を吸って、カルデアでの召喚には不要な呪文を唱え、触媒として言われたとおりにブローチを捧げる。魔法陣を描く事は出来なかったけれど形だけでも本来の召喚に近づけたかった。どれもこれも本で得た知識。ここはそういう場所だったから、私は同じ年の頃の子よりも確かな知識を持っていると自負していた。
 救われた世界に安堵した英霊達は座へと還った。なのに私はこうして座へと還った英霊を再び呼ぼうとしている。とんでもないエゴだ。

「――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 その刹那無風の空間に風が生まれ、髪が揺れた。目を開けているのもつらいくらいの眩い光の先に雄々しい甲冑を身につけた騎士が現れた。
 ああ!ああ!成功した!まさか、本当に成功するなんて!
 私は息をするのも忘れて、現れたばかりの騎士の元へ歩み寄る。足元が覚束ないけれど、そんなことは関係ない。一歩踏み出すのもやっとだって時間がかかったって知ったことか。

「……やった!」
「――召喚の寄るべに従い参上した。問おう。お前がオレの、マスターか」

 重たく響く金属音。非情なまでに冷たい声色。品定めをするように私を見下ろす瞳。
 ああ、そうだった。そうだったんだっけ。忘れていた。ちゃんと書いてあったじゃない、私、忘れていた。
 ――然し、座より呼び出された者に汝の記憶はない、と。

「あ、あぁ……わたし、あの」
「どうなんだよ?」

 痺れを切らした騎士は乱暴に剣を床へと突き刺し、私は喉の奥からは引きつった声が漏れた。どうしよう、私、怖い。
 会いたかった人にようやく会えたというのに話すこともままならない自分の情けなさと、あるはずがないと分かっていても剣を目の前にしてしまうとどうしてもそれで殺されてしまうのかもしれないという不吉な考えが頭をよぎってしまう。
 とうとう張りつめていた緊張の糸が切れた私の体はぐにゃりと曲がり、その場に倒れ込んでしまった。そして、私はそのまま意識を手放した。

 抱きかかえられる感覚を心地いいなんて思ったことは今までに一度もない。朦朧とする意識の中で私は、この温かくて優しい手は誰なんだろうとそればかり考えていた。
 部屋の外で倒れると、スタッフさんたちが少し迷惑そうに私のことを抱きかかえるのが嫌だった。そういうのはやっぱり分かってしまうもので、倒れた私が悪いのにスタッフさんたちに悪態をついてはまた困らせてしまっていた。ああ、ごめんなさい。
 でも、どうせならこんなふうに優しく抱きかかえて運んでくれたっていいのに。そうしたら、私だってワガママ言ったりしないのよ。


 次に目を覚したときにやっぱり一番先に目に飛び込んできたのは真っ白い天井だった。どこで何をして、どうやってここに戻ってきたのか分からないことが多くて、私の頭は考えることを放棄したのだろう。ぼんやりと目に入る光景だけが私の世界なんだと暗に言われている気がして心の奥が黒い何かに埋め尽くされていきそうだった。

「なぁ……目が覚めたか?」

 何か言いたげなエメラルドの瞳に射抜かれて私はジッとその声の主の目を見つめ返す。確かに目は覚めたけれど、今の私には言葉を発するどころか指一本動かすことも困難に近いほど消耗しているのだ。まぁ、疲労感自体は一晩寝たら回復はするんだけど。

「急に倒れたら驚くだろ。自己管理くらいちゃんとしとけよ」
「……」
「……なんか言えよ、気味わりーな」
「…………ごめ、な……さい」

 私が謝ると、ベッドサイドの椅子に腰掛けた彼女は舌打ちをして私から目を逸らした。言葉には棘があるけれど言うほど怒ってなさそう、というのが印象で私はホッと胸を撫で下ろす。けれども、どうしたものか。彼女と一体何を話せばいいんだろう。
 サー・モードレッドに一目会いたい、その一心で魔道書も読み漁ってこうやって召喚にも成功したというのに肝心の話題もないなんて我ながら呆れてしまう。会いたかったよ。ずっとずっと。だって、私が物心つく前にお父さんもお母さんもいなくなってしまって、私寂しかった。

「あーもう!悪かったから。泣きそうな顔すんなって……オレのこと目で追ってないでいいから寝てろ。な?」

 黙ったままの私に痺れを切らした彼女は体を向き直して、私の肩をガシっと掴んだ。ちょっと痛い。さすがは叛逆の騎士様。筋力B+だけある、とどうでもいいことを考えてしまう。

「……こもり、うた」
「調子に乗ってんじゃねぇよ、ガキが。寝ろって言ってるだろ」

 ただ少しわがままを言ってみたかった。ちょっとした興味、好奇心。
 親子だった時間なんて一分もなかったかもしれないけど、応えてくれるかななんて期待してみたかったの。でも、それはあっさり裏切られてしまって、私の心は萎びた花のように頭を垂れてしまった。
 やっぱり、都合がいいよね。こんなこと。分かっていても試してみたかったの。その結果、自分が苦しい思いをしても良かった。
 ごめんなさい。私の口はそれしか言えなくなってしまったように同じ言葉を繰り返した。

 月が隠れてまた太陽が朝を連れてくる。
 一夜空けて、夜中の出来事は夢だったのだろうかと自分の胸に手を当てるが現実を知るには目の前の安楽椅子で寝こけている彼女を見るほうが早い。それにしても、なんでこの部屋にいるんだろう。
 またカルデアに来たのだから、他の面々に会いに行ったりすればいいのにと可愛げのないことをぼそりと口に出してしまう。その刹那、ギシリと軋む安楽椅子に心臓が跳ねた。もしかして、今ので起こしてしまったのだろうか。
 息を殺して恐る恐る様子をうかがってみても特に動きはなく、さっきのはただの身動ぎだったようだ。ふう、と息を吐いて少し状況を整理してみよう。
 さて、目の前にいる彼女はどっちだろう。お父さんなのかお母さんなのか、そもそも本当にサー・モードレッドなのだろうか。疑問は尽きない。
 クラレントっぽい剣を持っているからサー・モードレッドなのはたぶん間違いない。彼女、と直感的に思ってしまったけれどすごく体型が華奢なだけの男性でお父さんだったらとか、言動が荒々しい男勝りな女性でお母さんだったら、とか考えたけどなんとなく後者な気がしてくる。それにしても安楽椅子なんて不安定なところでよく眠れるなぁ、この人。

「メリークリスマス!ジュニアちゃん!ダディからのクリスマスプレゼントは喜んでくれたかなァ!?」
「呼んでないし、うるさいし、勝手にお部屋に入ってこないでほしい」
「んーー厳しい!!まるで年頃の娘のようだネ!」

 バンッと勢い良く扉を開けて入ってきたロマンスグレーの眼鏡面をジーッと睨みつける。娘だなんてヒドイ話があるだろうか、孫と爺ほどに年が離れているというのに。
 私が不機嫌そうな顔を彼に向けると、まるで困った子を相手にするようにワシワシと頭を撫でられた。

「おやおや、ジュニアちゃん……"お母さん"に会えて嬉しくない?嬉しくないわけないよネ?ずっと会いたがってたんだし」
「趣味悪いね、ダディ」

 貴方が書いたんでしょう……座より呼び出された者に汝の記憶はない、って。それに私の魔力じゃ彼女を何日もカルデアに引き留めておけないもの。
 それから、未だに目を覚まさない彼女を一瞥し、私は上体を起こしてベッドに座り直した。ああ、少し喉が乾いた。

「そうでもないサ……一つだけジュニアちゃんに面白い話をしてあげようか」
「いらないから出ていって」
「そう言わずに、ね?」

 ダディが備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターが入ったペットボトルを取り出して私に手渡す。よっこいしょと腰掛けたパイプイスが僅かに軋む中、私は彼の言葉に耳を傾けた。

「マスターたちが君に大切にしなさいと言いつけている赤いブローチはあるネ?そう、それだよ、それ」

 昨日、召喚の触媒に使用したブローチをローブから取り出して手のひらに乗せると彼は大きく頷いた。ブローチに嵌められた宝石は今日も変わらず綺麗に輝いている。

「そのブローチ、なんと!実は!!……なんの聖遺物でもない!ただのそこら辺に売ってるブローチなのサ!!」
「いや、それは知ってる」
「えぇー……でも正真正銘、君の父親のもの。そして、それで彼女が呼び出される……なんとも運命的だとは思わないかネ!?まさしく、愛!」

 まるでシェイクスピアのように大仰に手を広げて語る彼に私は言葉を失った。愛だ、恋だ、なんて調べたサー・モードレッドの資料の中にはなかったから。

「『愛』だぁ?くだらねぇ。減らず口叩いてねぇでとっとと失せろ」
「おっと!くわばらくわばら……」

 いつの間にか安楽椅子から起きてきた彼女はドンッとダディが座るパイプイスを蹴る。鬱陶しそうに手をひらひらさせて、ダディを追い払った彼女は我が物顔でその空席に腰を下ろす。
 はぁーと深くため息をついて頭を振る彼女にかける言葉を私は持ち合わせておらず、ミネラルウォーターが入ったペットボトルを差し出すがいらないとにべもなく断られてしまった。そんな状況にますます私は居心地が悪くなって自分の部屋なのに肩を縮こまらせて彼女の様子をうかがった。

「――なぁ、マスターはどう思う?」
「え?」
「オレはまぁ、運命なんてモンは信じちゃいねぇが、縁なら確かにあると思うよ……」

 不意に問いかけられて私は言葉を詰まらせる。
 それがどういう意味なのか私にはよく分からなかった。彼女が私の手のひらに握られた赤いブローチに目を落として、寂しそうにそう呟くのを私は黙って聞いていた。





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