二音で広がる世界

 手を出してしまいそうな欲求を抑えつけ、なんとか彼女を家へ送り帰したのは、もう何日前のことだろう。海が近いこの街ではすっかり風が冷たくなっていた。
 インスピレーションが湧きあがるままに依頼されていたラブソングの作曲に夢中になっていたら、うっかり学校へ行くのを忘れていた。
 ようやく完成した楽曲を携え、車の鍵を手に取る。何故か分からないけれど今日は家に車があった。もしかしたら親が乗り忘れたのかもしれないと呑気なことを考えながら学校へと向かうことにした。
 家を出たは段階では気付かなかったが、もう昼はとっくに過ぎているらしい。まもなく西日が差すような時間だった。放課後ならあんずをすんなり見つけられるだろうと、安易に考えていた少し前のおれを殴りたい。学校に着いたがどうにも様子が変なのだ。どことなく静寂が支配しているような、そんな違和感が渦巻いている。

「……はっ、みんな宇宙人に連れて行かれた!?うっちゅ〜!」
「そんなわけないでしょ」

 雲一つない空へと叫ぶと同時に背後から容赦ない言葉が飛んできた。

「セナ!!おはよー!うっちゅ〜!!」
「はいはい」

 振り返ると支給されているユニット衣装に身を纏ったセナがいた。今日は何かあるのか……?そういや、連絡が来ていたような気がするけれど、ずっと放置して内容まで見ていない。まぁ、レッスンがあるのならあんずもいるだろう。

「あ、一応言っておくけど、あんずはいないからねぇ」
「なんで!あ、やっぱり待って!妄想する!!」

 安易に答えを求めるな、おれ!なんであんずがいないんだ?あれか、おれが作曲に夢中になりすぎてあんずのことないがしろにしたから?でも、それだけで学校を休むような奴じゃないはず!想像だけど!えぇっと、他に考えうることは……と、あんずのこととなると普段とは違う部分が高速回転する。

「だって今日学校休みだしぃ〜?」
「……?」

 セナの言葉でぴたりと止まる脳内モーター。学校が休みだなんて、登校しているセナが何を言っているんだ?と目で訴えかけると盛大にため息をつかれた。

「今日はKnightsのユニット練習とミーティングって連絡したでしょ?」
「なるほど!見てない!」
「ちょっと!!」

 怒られたけれど、見ていないものは見ていない。嘘をつくのはもっと悪い。だから間違ってはいないと自分を納得させる。学校へ来たのは無駄足か……これからあんずの家に行くなら連絡をしないといけないしどうしようか。あんずがいないという事実でやる気のメーターがマイナス方向に振り切ってしまった。

「いいから、行くよ!王さま!」
「いやだ!行かない!!」

 こんなに低いモチベーションで練習もミーティングにも出たくなどないと駄々をこねると無理やりスタジオまで連れて行かれそうになる。セナもだんだんスオーに感化されてきたんじゃないだろうか?この前まで味方だと思っていたのに!

「うー!新しいセナの"武器"やらないからな……!」

 自棄になって吐き捨てた言葉にセナは足を止めた。条件つけるなんてちょーうざい!なんて悪態をつかれたけれど、いくらおれのKnightsだからって無条件に武器が手に入ると思ってたら大間違いだ。
 今のおれはあんずに会いに行くためなら何だってする、そう今心に決めたから。ブツブツと文句を言いながらも仕方なさそうにおれを解放してくれたセナに礼を言って学校を後にした。
 そのせいでセナは妄想するまでもなく、スオーに小言を言われるだろう。セナにしてみれば雛鳥がぴーちくぱーちく喚いているだけだろうけれど。

 思考回路を学校から切り離してあんずの行方を想像する。学校にはいないと言っていたし、家にでもいるだろうか。ただ、どこかへ出かけている可能性もあるから連絡も入れずに彼女の家へ行くわけにはいかないと頭を悩ませ、結局は一度家へ帰ることにした。

「……お?」

 思わず声が漏れる。家の前に普通ならばいない人物がいた。車に乗っていても見間違えることはない。そこには髪を緩く結った見慣れた制服姿の彼女がいた。

「えっと、ちょっと待って!考えさせて!」

 誰に言うわけでもないのに大きな声が出る。セナが教えてくれたように今日は休日なのだ。自分のように間違えて学校へ行った身でなければ、わざわざ制服を着る理由なんてない。
 急いで車を停めて降りたおれに気がついたのか彼女は小走りで駆け寄ってきた。

「月永先輩っ」
「あんず!」

 小走りで近寄ってきたあんずに挨拶をすると少し困った顔をした後、同じように返してくれた。小走りの勢いのまま抱きついてくれるのかと思ったけれどそんな都合のいい話はなく、飼い主にじゃれ付く小動物のようにキラキラした目を向けたあんずはピタリと俺の前に立ち止まった。その様子がどこか愛おしくて頭の上にぽんと手を置いてやると驚いたのか、その場で用件を告げて帰るというのだから面白くない。
 付き合って数日。実際にはほとんど会うことのない空白期間だったにせよ、触れられることに慣れていないからと驚かれるのは、少し傷つく。そういう不満気な表情をすれば更にあんずがあたふたしてしまうのは分かっているのだけれど。

「家に上がっていって」

 いつまでも家の外でこうしているわけにはいかないと彼女の手を引き、家の中に招き入れる。玄関に靴が出ていないのを見て、両親が妹を連れて出て行ったのかと理解する。また二人きり……抑止力がなければあんずに何かしてしまいそうな自分が信用できなかった。

「お邪魔します。あと、先輩お出かけしてらしたんですよね。おかえりなさい」
「……うん」

 なんだかそう言われると付き合ったばかりの恋人同士じゃなくて、結婚したばかりの新婚夫婦みたいだとは思ったが口には出さず、あんずのことを少し見つめた後ただいまと応えた。
 昨日の夜まで作曲をしていたせいで少々部屋は散らかっているが適当に座る場所を用意して彼女の隣に座る。そして腰を落ち着けたところで一番の疑問をぶつけた。

「そういえば、おれに何か用?」
「いえ、そういうわけでは」

 用事があるわけではないのにそれこそ本当に何の用だと頭を捻った末に、この間の依頼の進捗を聞きに来たのかと尋ねるとそれも違うと返される。ちなみにそれは完成していて、あとは目の前のあんずに渡すだけなのだがまあいい。
 あの……、と続きを教えてくれるように静かに声を上げるあんずに耳を傾け、いったい何を聞かせてくれるのかと先を促してやる。

「理由なく先輩に会いに来たらご迷惑ですか?」

 その言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
 どうして、あんずはそういうことをさらっと言ってしまうのだろうか。恥ずかしさから俯いてしまう彼女の耳元で嬉しいと一言、自分の赤くなった顔を見られないように囁いた。
 ぷつんと切れてしまった理性の糸を払い除けるようにゆっくりとあんずを押し倒すと、ふわりと舞うシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。自分が使っているそれとは違う香りにどぎまぎしてしまうのは、おそらく仕方のないことだと思う。
 ただ、年上の男として床じゃなくベッドに押し倒してあげるくらいの余裕があればよかったのだけれど、生憎こんなに可愛いあんずを目の間にしては無理だった。

「先輩……」

 不安と羞恥で潰れてしまいそうな彼女の声でハッとする。家に入る前から羞恥心で逃げ出しそうになっていたあんずは身を固くして組み敷かれたまま微動だにしない。
 大丈夫と伝える代わりに柔らかく微笑みかけ、髪を優しく梳いてやる。今はまだ怖がらせるつもりも傷付けるつもりもない。

「あんずが嫌がることはしたくない。でも触りたいしキスとかしたい。おれ、どうしたらいい?」

 自分が今どんな表情をしているのかも分からないけれど、おそらく情けない顔をしているだろう。目を合わせて素直な気持ちをぶつけても彼女は何も言わないまま、おれの目を見つめ返している。
 触れあって、キスをして、許されるのならその先にだって進みたい。仕方なく許されるのではダメであんずも心からそう思ってくれないとそこへは進めない。

「……いちいち、聞かないでください」
「え?」

 聞き間違いかと思うような言葉が聞こえてきた気がした。

「月永先輩のお好きなようにしてください。だって私は……」

 先輩の彼女だから、とこの距離だからようやく聞こえるような小さな声で頬を赤らめながら呟くあんずの髪を梳く手がぴたりと止まり、全身の血が沸騰したような感覚が自分自身を襲う。どうして、あんずは男を煽るようなことをさらりと言ってのけるのか。いや違う、あんずにこんなことを言わせているのは他ならぬおれだし、そういう聞き方をしているからこう答えるのかと納得した。
 今か今かと目を瞑り、おれの行動を待つあんずの身体を手を引いて起こしてやるとどうしてという顔をされた。

「……女の子がそういうこと言っちゃいけませんー」
「ええっ!?」

 普段決して大きな声を出さないあんずが大きな声を上げるということは、もしかしたら期待とかしていたのかもしれない。けれど――、

「きゃっ!」
「……うん」

 手以外のところに触れるとこのザマ。朱が差している頬を撫でてやれば、恐怖じゃなく本当にただの羞恥心からなんだろうけれど、悲鳴に近い高い声を出される。
 さっきだって頭を撫でてやるだけで顔を赤らめて帰ろうとしていたし、キスをしたときには心臓が壊れてしまうなんて言っておれを翻弄してくれた。

「あんず」
「うう……」

 ちょっと低い声で名前を呼んでみるとビクッと肩を震わせこちらを窺うあんず。初々しい反応も可愛いけれど触れられること慣れてもらわなければ、この先の楽しいこと――と思っているのはおれだけかもしれないけれど進めない。

「おれに慣れて。まずは名前で呼んでみて」
「え……レオ、先輩?」

 呼ばれなれていないからかくすぐったく感じるけれど、あんずの口から紡がれた音だと思うととても心地がいい。ああ、インスピレーションが湧いてきた。アダムとイヴ、お前たちが惹かれあったきっかけもこんな些細なことだったのか?妄想が広がっていく!あんずのお陰でいい曲が書けそう!

「うん!もっと呼んで!レオって呼んで!」
「……はい、レオ先輩」
「あんず、大好きだっ!」

 おれは満足して、照れ臭そうにはにかんだ彼女の身体を強く抱きしめた。




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