SUMMER

 もうすぐ夏が始まる。
 始まるといっても卒論だ就活だと『自分』のことに追われて、夏そのものを満喫する余裕も時間もないかもしれないけれど、と意を決して真夏の太陽がきらめく校舎の外へと一歩踏み出した。
 歩きだして数分もしない内にサンサンと降り注ぐ陽気にうんざりした。じっとりと汗ばみTシャツが体に張り付く。今なら厳しかった先輩が言っていたことが分かる気がする。やっぱり日本の夏は嫌いだ。私は日傘の一つでもカバンに忍ばせておくべきだったと後悔した。

 あの時、高校生だった私は誰かのために何かをするのが好きだった。誰かの役に立てているという実感が、それこそ生きている意味なんじゃないかなっていうくらいに安心できて好きだった。
 今はどうだろう、とふと思う。卒業してからもこまめに連絡を取っていた後輩たちも卒業して、今や普通に、ごく当たり前のように、テレビの向こうの人になっていた。
 物理的な距離は遠くなってしまったけれど、心は近い場所にいられるかななんて甘いことを考えていた時期もあったけれど、私達はちゃんとアイドルと一人のファンになっていた。これでいい。少し、ほんの少しだけ寂しいけど、これが正しい距離感なんじゃないかなって思うからこれでいい。そのせいで真っ昼間から陰気な空気出してちゃダメだと分かってはいても、ついため息が漏れてしまう。
 昨日の夜に当時の同級生から送られてきたメッセージに既読をつけてしまったことが悔やまれた。

スバル『そうだ』
北斗『なんだ』
スバル『同窓会をしよう……☆』
嵐『わざわざ?仕事で会うじゃない』
スバル『分かってないなぁ、オカマさんは』

 同窓会なんてスバルくんたちは相変わらず仲が良さそうで楽しそうだなって思いながら、メッセージを眺めていたら手元が狂ってしまったのだ。そのあと慌ててスマートフォンを放り投げて寝てしまったから事の顛末までは見届けていないけれど。
 そのスマートフォンが再びメッセージの通知で震えたのは、汗だくになりながら家についてシャワーを浴びた後のことだった。

スバル『あれ!?既読が全員分ついてる!』
晃牙『あ?それがなんだってんだよ』
真『それってあんずちゃんも見たってこと、だよね!?』
スバル『そうそう!てことは、あんずも同窓会来るよね!?』
北斗『?もう見てないみたいだぞ』
真『そんなぁ……』

 同じ間違いを二度しないように今度はこっそりとメッセージを追うべくスマートフォンに指を滑らせた。話題は私が既読をつけてしまったことで私も同窓会に来るかもしれない、ということだった。
 文面から伺う限りスバルくんや晃牙くんは私の知る姿とあまり変わらないように思う。でも、どうしてという疑問が一緒に浮かぶ。
 なんで今も私をその輪の中に入れてくれるんだろう。

スバル『久し振りにあんずに会いたいな☆』
真『あんずちゃん嫌じゃなかったら同窓会来てね!』
真緒『お前らあんまりあんずのこと困らせるなよ?』
北斗『通知でうるさくさせてすまない。出欠の連絡だけは俺に頼む』

 トリスタのみんなにとって私はまだ仲間なのかな、まだ私が側にいることを赦してくれるのかな、そう思うと胸の奥が少しだけあったかくなった。卒業後いろいろあったし、疎遠になったものだとばかり思っていた。
 私は簡単に同窓会に参加する旨をメッセージに残すことにした。
 もちろん、悩んだ。本当に行っていいのか、会いたいという言葉に甘えてもいいものなのかと。でも、やっぱりそれ以上にメッセージのやり取りを見ていると私もみんなに会いたくなった。


***


 九月に入って、夏の暑さが若干やわらいできた。そうは言っても、やっぱり半袖は必須で扇子で首元を煽るような気温なのだけれど、先月に比べると幾分かはマシになった、ような気がする。 
 今日は待ちに待った同窓会の当日。あの頃は寝不足を隠すためにしかしていなかった化粧をして、Knightsが宣伝をする少し大人っぽい赤みの強い口紅を塗った。私はこれに似合う大人の女性になれたんだろうか、と自問しながら鏡とにらめっこを続ける。
 エアリーなビジューのついたブラウスが窓から入る風に揺れる。今日着ていく洋服はこれでいいだろうかと急に不安になってきた。
 参加すると言ったあと、嵐ちゃんから個別にメッセージが飛んできてお買い物デートのお誘いがあったり、真くんにご飯に誘われたり、晃牙くんからライブに来ないかと誘われたり、全部断ったにせよ……いろいろありすぎた。せめて、嵐ちゃんからのお誘いは断らなければよかったのかもしれない。
 ちょっとその対応で疲れちゃったけど、断りを入れるとみんな私も忙しいよねと納得して引き下がってくれた。相変わらず仕事漬けだと思われているようで苦笑いしか出てこないけれど、まぁいいや。

「もう行こう、かな?」

 服装についても一人で悩んでいても仕方ないと割りきって誰もいない部屋に行ってきます、と声をかけて陽が傾きかけた外へと出た。

 待ち合わせの時間よりも早くお店の近くについた私は、一人スマートフォンを眺めていた。改めてメッセージを確認してみると、みんな仕事終わりに合流するという形を取るらしい。夏目くんやみかくんは今日は来られないようだ。やっぱり売れっ子は忙しいみたい。
 それにしても張り切りすぎた。まだ誰も来ていないだろうし、何をして時間を潰そう。

「……もしかして、あんず?」

 懐かしい声色で名前を呼ばれて、振り返ると卒業以来会っていなかった今をときめくアイドルがいた。目深に帽子を被って、眼鏡をかけて変装していてもすぐに彼のことが分かった。
 真緒くん、と名前を呼ぼうとしたら彼はいたずらっぽい笑顔を浮かべて、シィーっと人差し指を口元に当てて静かにするようにとジェスチャーをした。それを見て私は慌てて口をつぐむ。そうだ、今の彼は気軽に外で名前を呼べる相手じゃなかった。

「とりあえず、先に店入ろうぜ」

 言葉を発してもいいのか分からず、こくこくと頷いて真緒くんの数メーター後ろをついて歩いて店の奥へと入っていった。
 店内は完全に個室になっていて、他のお客さんにも会わないようにと配慮がなされていた。芸能人が御用達にするようなお店だけあって、その辺はしっかりしているし、何より内装がおしゃれでちょっとした隠れ家のようだった。
 普通の大学生が来るには場違いな雰囲気が立ち込めているのはおそらく気のせいではないだろうなと唇をきつく結んだ。

「キョロキョロしてどうした?」
「えっ、いや……なんか場違いな感じがして」
「くくっ……なんだよ、それ」

 おかしいと言わんばかりに目を細めて笑う、真緒くんに少しむくれてみせる。何も笑うことないじゃない、と不満をぶつけるとごめんごめんと軽く頭をポンポンとされてしまった。私はまるで高校時代と変わらない彼との距離感にどうしたものかと戸惑ってしまい、慌てて話題を変えた。

「と、とにかく!部屋の中に入ろう?」
「そうだな。真はもう来てるだろうし」

 一番奥の部屋のドアノブに手をかけて、中に入ると彼の言うとおり中には真くんがいた。

「あんずちゃん!!なんで衣更くんと?もしかして、衣更くん抜けがけしたの!?」
「違うって。そこで会ったから一緒に来ただけ」

 興奮気味に問い詰めてくる真くんに困ったように真緒くんが首を竦めて、それを肯定するように私は頭をブンブンと縦に振った。
 部屋の中はここに来るまでに通った場所とは雰囲気がまた違って、普通の居酒屋さんのようにも感じる。私は入り口のところでいそいそと靴を脱いで、小上がりになっている席へと向かった。

 それから少しも経たないうちに凛月くんや嵐ちゃん、弓弦くんなど懐かしい顔がどんどんと部屋に入ってきた。卒業以来会っていなかったけれど、テレビや雑誌でその活躍を見ていたからかそれほど長い間会っていなかったようには思わず、気分としてはあの頃の延長のようでそれだけでとても楽しくなってきた。
 気がつけば、参加を表明していた人がほとんど到着して主役を待つのみになっていた。

「ごめんっ、お待たせっ!」
「おせーぞ、明星」

 満を持して、勢いよく部屋に入ってきたスバルくんに一斉にみんなの視線が集まる。昔のままのキラキラした彼の姿に私は目を奪われた。同時にこの世界には変わらないものもあるのかと、感動を覚えた。

「とりあえず、ビールで乾杯しよっ!」
「「おー!」」

 スバルくんの号令に反応するみんなのノリの良さすら微笑ましくて私も手を叩いた。その間にさらっと全員分のビールを注文した嵐ちゃんを横目で見ながら、仕事終わりのみんなを労った。
 女として、あの女子力というか気遣いは見習わざるをえない気がする。反省。
 届いたビールをみんなの前へとさり気なく配って対抗してみたものの、彼には仕事を取っちゃったわね、とクスリと笑われてしまって恥ずかしさだけが残った。

「よぉし!それじゃあ、みんなお疲れさまっ☆」
「かんぱーい」

 主役の乾杯の音頭と共にグラスがカチャりと小気味のいい音を立てた。

 それから二時間が経過したあたりにはスバルくんと晃牙くんにしこたま飲まされて、うきゅ〜と潰れた真くんがごろんと床に転がっていた。意外とみんなお酒に強いらしく、目に見えて変わった様子はない。
 あの頃は私にべったり甘えていた凛月くんも夜だし、お酒が入っているしと調子がいいらしい。ただ頼んだレッドアイが気に入らなかったらしく真緒くんに押し付けていてるところを見るに相変わらずそうだなと苦笑いがこぼれた。
 そんな様子を横目に私は真くんの介抱に専念することにしてカバンの中から扇子を取り出した。パタパタと赤くなった顔を扇いであげると風を感じたのかうっすらと瞼を開けて、エメラルドのような瞳がぼんやりと私の輪郭を捉えていた。

「気分はどう?お水飲む?」
「うん……」

 体を起こした真くんにお水の入ったグラスを手渡すと危なっかしい手つきながらも受け取り、こくこくと喉を鳴らしてお水を飲んでくれた。少しは落ち着いてくれたらいいのだけれど、と心配そうに見ていると空のグラスを持ったままコテンとまた横になってしまった。
 私はかなりセーブしていて乾杯のビールのあとには、カシオレを一杯頼んでそれっきりだった。女の私にお酒を勧めるのが憚られるのかみんなも飲むように言わないし、他のカクテルも注文しづらくて気がついたら真くんが持っていたグラスと交換するように緑茶を注文していた。
 ――酔うほど飲めて羨ましい、とは口が裂けても言えなかった。

「あんず〜ウッキなんて放っておいてこっちおいでよ!」
「そーよォ、こっちへいらっしゃい」

 新たに来た緑茶を受け取った私がようやく真くんから手が離れた風に見えたのか嵐ちゃんたちが私を近くへと呼んでいた。私は彼を放っておくことができなくて、結局アドニスくんや颯馬くんと一緒に一次会で帰ることになった。
 タクシーを捕まえに行く途中、真くんがまた目を覚ましてズリ落ちそうな眼鏡をかけなおし私の方を見ていた。

「あんずちゃん、かえっちゃうの……?」
「うん。真くんも帰るよ」
「あんずちゃんと一緒に……むにゃ」

 同じ家に帰るわけではないけれど、少し話した後かっくりと首が垂れて規則正しい寝息が聞こえてきた。
 颯馬くんは北斗くんとほとんどサシで日本酒を酌み交わしていたようで、酔いが回っているのか足元が覚束ないみたい。そんな彼と真くんを支えるアドニスくんがとてもかっこよく見えた。


***


 翌朝、心地良い眠りから覚めて昨日の楽しかった同窓会のあとの寂寥感を捉えた。お酒はそんなに飲めなかったけれど、久しぶりにみんなに会えたことが嬉しかった。
 あと一週間もしたら大学が始まって、またみんなと疎遠になる日が始まってしまうと考えただけで涙がこぼれそうだった。そんなセンチメンタルな気持ちも一緒に拭いさるように目元を拭って、チカチカと通知で点滅するスマートフォンに目を落とした。

『おはよ、あんず。昨日は酔いつぶれた真の介抱任せきってごめんな?ちゃんと同窓会楽しめた?』

 何かあったかとメッセージに目を通すと私が楽しめていたかどうか心配してくれているようで、それだけで嬉しくなる。変わらない優しさに胸があったかくなった。
 すぐに私はわざわざありがとう、楽しかったよと返事を打った。嘘は言っていない。本音を言えばもう少しだけお酒を飲みたかったけど、そんなことを言えるはずもなく、楽しそうな顔文字までつけておいた。

『それはよかった。今度さ、二人で飲み直さないか?』

 青天の霹靂とは正しくこのことだろう。
 真緒くんからの返信に私は二つ返事でオーケーを出した。

 それから数日後のこと。
 時計の針は夜の九時を指している。私は真緒くんに指定された駅前で彼が来るのを待ちながらそわそわとしていた。いくら何でも男友達とサシ飲みだなんて、と弟に苦言を呈されてしまって急に真緒くんのことを意識してしまったのだ。
 とはいえ、肝心の真緒くんは仕事が長引いていてまだ来られないようだ。そんなこんなで時間を持て余してはいるものの、あとどれくらいで到着するか見当もつかずこの場を離れるわけにもいかなくて途方に暮れている。
 ちらりと周りの様子をうかがうと仕事終わりのOL風情のお姉さんが彼氏と仲が良さそうに腕を組みながら夜の街へと消えていった。真緒くん、早くこないかな。このままだと私、ちょっといたたまれないよ、と肩を落としていると知らない男性に声をかけられた。

「オネーサンお一人ですか?ちょっと俺たちと飲みに行きません?」
「……っ」
「おいおい、怖がられてるだろ」
「大丈夫、大丈夫!」

 さもおかしいというように笑いながら男性たちが私の脇を固めていて、その手際のよさに声が出ない。いわゆるナンパというものだろうか。
 なんだか、初めて羽風先輩に会った時のことがフラッシュバックしてきて恐ろしくなってきた。

「あのー、俺の連れなんでいいですか?」
「げっ……」
「あー、すいません」

 不意に手を引かれて抱き寄せられる。暖かい手とは裏腹な冷たい声にドキリとしながらも、ぎゅっと身を寄せて不躾な男性たちから距離を置いた。よかった。真緒くんが気てくれて。
 ホッとして涙が出そうになるのをグッとこらえると、パタパタと走りさるような靴音が聞こえてきた。

「あんず、何もされてない?」
「うん」
「遅れてごめんな、もうちょい早く来てれば……」

 そんなことないよ、と取り繕ってはみたものの足の震えは収まらない。けれども、いつまでもそうしているわけにもいかず、なんとか自分の足で立った。

「飲みに行くのやめようか?」

 心配そうに私の顔を覗き込む真緒くんに、それは嫌だと首を横に振ってみせた。私がどれだけこの日を楽しみにしていたか知らないから真緒くんはそんなことを言えるんだ、と内心悪態をつきながら。
 同性の友人とお酒を飲みに行くと、ほとんど必ずお酒に強い私が介抱することになって最後までお酒を楽しむことができない。
 かといって、弟とお酒をわざわざ外で飲みに行くという機会もないし、家で飲んだとしてもお互い口下手だから盛り上がるというほど盛り上がらない。テンションは上がっているから、楽しいには楽しいんだけど親の手前限度があるし飲み過ぎるってことはないし、こういう飲み会は本当に貴重だ。

「お、おう……そんなに飲みたかったんだな。じゃあ、行くか」 
「うん」

 私の自己主張の強さに驚きながらも、真緒くんは行きつけのバーへと案内してくれた。
 人もまばらな裏路地を入ったところ、ビルの地下へと伸びる階段を下りて辿り着いたのは"隠れ家"らしきバーの入口。

「ここにはよく来るの?」
「たまーに凛月とな」

 隣を歩く真緒くんがニカッと笑う。今や二人は名が知れたアイドルになったのだから、一緒に歩いていたらさぞかし目立つだろうなとは思ったけれど口には出さずに店内へと入る。
 薄暗い店内の奥には一台のピアノがあって、週末なんかにはピアニストが弾きに来ることもあるらしい。それが凛月くんなら絵になるだろうなと、当時夜の音楽室でピアノを弾いていた彼の姿を思い出した。

「いらっしゃい」

 奥へ進むと口にヒゲを蓄えた店主らしき男性が私たちを見て、おっと声を上げたのを私は見逃さなかった。

「どもっす、マスター。俺はとりあえずビールで……あんずはどうする?カクテルとかの方がいいよな」
「うーん……」

 初めて入るバーの雰囲気を全身で感じつつ、壁際に綺麗に並べられたリキュールボトル眺める。ここなら美味しいお酒が飲めそうだとなんだかウキウキしてきた。

「キティとか……あと、カシオレ?この前飲んでたよな」
「うん。でもとりあえず、スクリュードライバーで」
「ちょっと、待て!」

 私が店主にそう注文すると真緒くんがあたふたしはじめた。

「スクリュードライバーって、お前……それ男が女の子酔わせて持ち帰るときに飲ますやつで……」
「そうなの?」
「知らなかったのかよっ」

 適当に頼んだお酒がそんな曰くつきのものだなんて知らなくて、自分でもびっくりしてしまう。ただ単に美味しそうだな、と思っただけなのに。

「くっく、いやあ!真緒が女の子連れてくるなんてなー。彼女すら連れて来なかったのに乗り換えか!?」
「マスター!変なこと言わないでください!!」

 私たちの会話を聞いていた店主が急に声を上げて笑いだした。
 薄暗い店内で真緒くんの表情は見えないけれど、反論しているところを見るに恥ずかしがっているんだろう。私もなんだか恥ずかしいし穴があったら入りたい気分だ。

「はいよ、お二人さん。今日は飲んでけよ」
「……うぅ、ありがとうございます」

 私たちをつつく気満々そうな店主に小さく礼を言い、用意されたグラスを受け取った。
 その場を仕切り直すようにオレンジの甘酸っぱい香りのするグラスと彼の持つビアグラスが軽くぶつかる。グラスを傾けるとスッと甘い液体が喉に流れこんできた。

「美味しい……!」
「そりゃ、よかった。でも度数キツイから飲み過ぎんなよ?」

 もう一口喉に流し込むと飲みやすいけれど、度数が高いというのがよく分かった。
 それから私たちは他愛のない話をした。
 先ほどのナンパが初めて会ったときのようだった、とか真緒くんは年上の女優さんとお付き合いをしているとか。
 真緒くんの彼女はテレビドラマをあまり見ない私でもよく知っている実力派の女優さんだった。生活感というかプライベートが謎に包まれている彼女の彼氏が真緒くんだというのが何となく納得がいったのは凛月くんのせいだろう。
 あの頃はアイドルと言っても、見た目がいい、歌がうまいといった特徴がある普通の男の子で、なんなら自分と似ているところを感じる同級生だった。その彼はいつの間にそんな遠くへ行ってしまったのだろう。やはり、なんだか少し遠い存在になってしまったようだ。
 いつの間にか空になっていたグラスをもてあそぶ私に店主が次の注文を聞いてくる。

「次はギムレットで」
「……だから、それも強いって」

 以前、お酒に弱い友人がかっこいい名前のお酒があると教えてくれたのをなんとなく思い出して、注文すると真緒くんが呆れながらがっくりと肩を落としていた。


***


 私が程よく酔いが回ったころ、すっかり真緒くんは酔いつぶれていた。泥酔とまではいかないけど目がとろんとしてきて可愛いなぁなんて本人が聞いたら怒るようなことを考えて、くすりと笑みがこぼれた。

「なー、あんず、いま俺酒弱いって笑っただろ?」
「笑ってないよー?」
「絶対嘘だぁー……ったく、あんずが強すぎるんだよ……」

 途中から私のペースに合わせるようにお酒を飲みだしたから大丈夫かな、とは思っていたけれどここまでとは。そろそろ帰りのことも考えないといけない。私もまだ飲めるからと言って調子に乗るのは得策じゃない、と思う。

「ほら、真緒。タクシー呼んでやるからシャンとしろって」
「え〜?……んー」
「駄目だな、すっかり潰れてやがる……」

 結局私たちはその後すぐにマスターに呼んでもらったタクシーでお店を出ることにした。半分寝ている真緒くんをどうしようかと思ったけれど、これまたマスターが運転手さんに行き先を伝えていてくれたおかげで私は今真緒くんの住むマンションの前にいる。
 どうしよう。これから私、どうしよう。
 とりあえず、真緒くんを部屋に寝かせてきて私は誰にも見つからないように帰る。ミッションはそれだけ。単純明快だ。
 よろよろと歩く彼から鍵を受け取り、オートロックの扉をくぐっていくのは何ともスリルがある。さながらスパイみたい、なんて私もだいぶお酒が回っているらしい。

「あーんーずー」
「えっ……あっ」

 なんとかして雪崩れこむように部屋へ入ると私は押し倒され真緒くんに唇を奪われていた。これじゃあ全部計画倒れだ。ちゅうちゅうと下唇やら舌を吸われて、だんだん息が苦しくなって必死に覆いかぶさる彼を押しのけようとするも体格差で上手くは行かない。
 止まないキスの嵐を受け止めていると太ももに何かが当たっていることに気が付いた。よもやそれが何か分からないほど私は子供ではないがこのまま玄関でというのはどうしても避けたい。同じ初めてならベッドの上がいいと思うわがままくらい叶えて欲しい。
 お酒のせいで熱くなった彼の手がブラウスの裾から侵入して、ブラジャーを捉える。少しだけそれをずらすだけで隠されていたはずの乳首がちょこんと顕になって、人差し指でぴんっと弾かれて体がピクリとはねた。

「……ごめん、あんず。俺今すごいムラムラしてる」

 離れていった唇が少し寂しいだなんてなんて自分ははしたないんだろう。

「……ここは痛いから、イヤ」
「うん。急にがっついてごめんな。……俺のこと拒否しないでくれて、ありがとう」

 じっと彼の目を見つめると安堵したように微笑んだ。真緒くんに縋るように抱きしめられて、私ももう正常な判断ができるような状態じゃなくなっている。それがいいことなのか悪いことなのかも分からない。
 でも、今ここで真緒くんを拒絶するのはもっといけないことように思えた。

 ベッドルームに連れて行かれると再びキスが雨のように降ってきた。時折漏れるこの鼻にかかるような甘ったるい声は本当に自分の声なんだろうか。頭と体はまるで別の生き物のようで、快感を甘んじて受け入れつつそんなことをぼんやり考えていた。
 服は半脱ぎ。全てを脱がせる余裕はないらしく、スカートの下のパンツは既に脱がされて無残にも床に落ちているが気にかける暇もない。

「あっ、ん……だめだよぅ………」

 快感から逃れるように身をよじりながら彼のキスを受け入れ続ける。
 これは悪いことなんだろうか。この先は、進んでしまっても良いものなんだろうか。ああ、でも酸欠で回らない頭ではもう何も考えられない。触れられている全てが気持ちいい。
 一線を越えてしまえば、あとは落ちるところまで落ちていく。それだけだった。
 



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