一輪のバラと

 ただ、何も、考えたくなくなったの。
 悩み事?と地下の隠し部屋で夏目くんは机に向かったまま私の方をチラリとも見ずにそう言った。確かに悩み事と言えばそうだけれど人に相談するほどのものではないし、私は簡易ベッドに腰掛けて何も答えず黙ってその背中をぼんやり眺める。
 胸の奥に何かがつっかえて、もやもやして仕事をしていてもなんだか落ち着かなくて気がついたらここに来ていた。夏目くんは何も聞かないでほっといてくれるかなって思ったのに宛が外れた気がして更に胸のもやもやは広がる。なんて自分勝手なんだろう。
 沈黙は別に苦ではない。むしろ私からそんな雰囲気を作っているのでそこに文句を言うつもりもない。いつものことながら夏目くんは何をやっている最中なのかは分からないけれど、黙って眺めているだけでそのもやもやも霧散しているような気がした。
 ポンっと何の前触れもなく酸素に火がついたような弾ける音が聞こえた。そして後ろ手に差し出される一輪のバラ。手品の類だと分かっていてもバラなんて、と胸の奥が痛んで仕方がない。

「恋は落ちるものだヨ、子猫ちゃん」

 私の気も知らない彼の言葉が胸に刺さる。
 この気持ちを言葉に出来たらこんなに苦しい思いなんてしないのに、やっぱり私の方を見もしない背中に暗に私もそのうちの一人だと言い当てられた気がして悔しくなった。
 ――言ってみたらどうなるんだろう?
 迷惑かな、拒絶されるかな。今までみたいに私と話をしてくれるのかな。
 でも、このまま終わりたくない。そう思ったら、奥へ奥へとしまいこんだ気持ちが溢れてしまいそうになる。

「ねぇ、」
「好きだよ、夏目くん」

 私の様子がどうにもおかしいと振り返った夏目くんと目が合ったら、もうその言葉は止められなかった。迷惑と思われても、重いと思われても構わない。それでも、私はこの気持ちを彼に伝えたかった。
 気持ちがたかぶる、ってこういうことを言うんだと知った。幾度となく好きという気持ちが言葉になって落ちていく。もうそれが彼に届いているのかどうかは気にならなくて、ただこの苦しい気持ちを知ってもらいたいだけになっていた。
 ガタッと大きな音を立てて夏目くんが椅子から落ちた。その様子を痛そうだな、とぼんやり眺めていたら次第に景色が滲んで歪んでいった。

「待っテ!泣かないデ!」

 あわてふためく彼が私の前に来て流れる涙を拭ってくれる。それでようやく自分は泣いているのだと気付かされた。

「君に泣かれるとどうしたらいいのか分からなイ。勝手に告白しテ、勝手にフラレたつもりで泣かないでヨ……まだ、僕は何も言ってないんだかラ」

 思いもよらない返事に、え?と聞き返すと彼は耳まで真っ赤にしてそっぽ向いてしまった。私は夏目くんのこと、全然分かってなかった。
 もしかしたら、私たちはここから始まるのかもしれない。



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