お正月

 今夜、少しだけ付き合ってくれないかな?

 可愛い彼女からのお誘いはいつもとほんの少しだけ、何かが違った。具体的にここがどうこうとか、そういう話ではなくて漠然としたものではあったけれど、携帯に映るメッセージには彼女としての自信のようなものが透けて見えた。
 大晦日くらい家族サービスでもしたらいいのに、俺に気を使ったのかもしれない。こういう休みには兄者が家にいるからゆっくり休んだ気にもならないし、誘いは素直に嬉しかった。
 そんな夜の誘いを断る理由もなく俺は行き先も確かめずにいいよとだけメッセージを返した。年の瀬に行く場所なんて限られているし、あわよくばいつもと違う彼女が見れるかもしれない。動機なんてそれだけでよかった。
 その夜、出かける俺を目ざとく見つけてついて来ようとした兄者を無理やり引き離して、あんずの家まで迎えに行くと暖かそうなダッフルコートを着てスヌードを巻いた彼女が中から出てきた。寒い中ごめんねと謝る彼女にんーん、と短く返事をして少し冷たくなった手をコートのポケットの中に押し込んだ。
 手を繋いで歩いたりするかもしれないのに、気が利かないと薄く笑った顔の下で自身に悪態をつく。コートにカイロの一つでも仕込んで来たらすぐに暖かくなったかもしれないのに、それすらないなんて情けない。
 普段から体温が低いというのも考えものかもしれない。ずっと寒い中にいると感覚が麻痺して本当に寒いのかどうかも分からなくなってしまうのだから。

「……振り袖でも着てくれるのかと思ったのに」
「それは明日かな」

 気を取り直して、改めて年末にそぐわないいつも通りの格好をした彼女に残念そうに唇を尖らせて見せるとあんずは少し困ったように笑った。
 なぁに?明日見せてくれるの?なんて意地悪なことを返したつもりが、凛月くんに振り袖姿を見てもらいなんて言われて何も言えなくなってしまった。――いつから自分はあんずにこんなにも弱くなってしまったんだろう。
 可愛いことを言われてニヤけそうになる唇を噛んで俯いて、自分らしくもない。それもこれもあんずが悪い。

「それじゃあ、行こう?」

 責任転嫁の罪悪感を飲み込んでどこへ、なんて野暮なことは聞かずに気のない返事をして半歩遅れてあんずの後につく。どこだってあんずかいれば陽だまりの場所に変わるのだから、行き先に興味はない。
 むしろ自分の本領である夜中に出かけよう、と提案してきたことの方が気にかかる。ちらほらと見かける人影と同じようにこれから自分たちは二年参りをしにいくのだろうけれど、寒いのにあんずは物好きだと思う。
 せっかくの休みなのだからこたつでぬくぬくしていればいいのに、外に出ようなんてよくやるな、と関心さえする。そんな俺の視線に気がついたのか半歩先を歩いていたあんずが立ち止まってちらりと不安げにこちらを振り返った。

「……凛月くんは出かけるの嫌だった?」
「別にー?お姫さまがお望みならどこへでも……一応、騎士だからねぇ」
「騎士じゃなくて、彼氏なら?」
「寒いからあんずを攫ってこたつに入りたい。あとは、あわよくばあんずを……」

 食べてしまいたい、と言い終える前に慌てたあんずにむぎゅっと冷たい指先で口元を押さえられてしまった。慌てるということはあんずは俺が何を言おうとしたか分かっているということで、俺にとってはそれだけで十分な収穫。
 面倒で寒いだけのお参りなんてさっさと終わらせて家に連れて帰りたい。そんな欲求がむくむくとわいてきたというのに、家にいるであろう兄者の顔がチラつくのだから始末に負えない。

「家に帰ったら、兄者いなくなってたりしないかなー」
「うーん……たぶん、お家にいるんじゃないかなぁ」

 いつもなら、そのあとにあんずの家に行ってもいい?って当たり前のように聞けるけれど、流石に空気を読むというか今はそのタイミングじゃないなってことは分かって、だよねぇって相槌をして頭の中で兄者のことを呪うに留まった。

「……というより、メールのあの自信に満ち溢れたあんずはどこいったの?」
「えっ……と、そんなふうに見えた?」
「うん。彼女の私のお願いなら聞いてくれるよねーくらいの自信は汲み取れたけど」

 どうやら指摘したそれは無意識だったらしく、あたふたし始めたあんずの冷えた手を引いて、俺たちは夜の町を再び歩き始めた。
 二年参りなんてして、あんず個人は一体何を神さまにお願いするのか、自分にはまったく見当もつかない。俺としては今年一年穏やかに過ぎていけばいいと心の奥に願いを閉じ込めた。
 無神論者なのにお参りで願掛けするとか都合が良すぎるから、せめてこっそりとそう願うくらいは自由だと信じて。

 
***


 寝ぼけ眼に映るのは少しクセのある手書きの文字で書かれた『朔間凛月』とある年賀状とどういうことかと喚き散らす見たくもない兄っぽい人だった。その人のせいで寝起きは最悪、新年早々ついていないと言わざるを得ない。日は高くなり、時計の針はすでに正午を指そうとしていた。
 可愛い彼女を家にきちんと送り届けるという理性的な行動をしたあとで、本能的にピリピリと神経立っているのにどこまでこの人は無意識で人の神経を逆なでするのか。
 家族じゃなければ、どうにかしてしまいそうだという感情を押しつぶしてベッドに突っ伏す。

「……おやすみ」
「凛月や?きっちりかっちり説明してもらうぞ」

 見なかったフリをして寝返りを打つも揺すり起こしてくる兄者にうんざりして、うっざいと一言悪態をついて結局、上体を起こすことにした。こんなことになるなら、あんずを送り届けたあとまーくんの家で年越しをすればよかった。
 手に持った件の年賀状をひらひらとさせる兄者からそれを取り上げて、改めてじっくりと送り主を確認する。優しい字で書かれたあんずの名前に何故だか心がホッとした。

「説明も何も、あんずから年賀状をもらえなかった憂さを俺で晴らそうとしないで」
「……いや、もらっておるにはおるのじゃが」

 歯切れ悪くもごもごと言葉を探している兄者の後ろ手に隠された、年賀状も取り上げるとそこにはパソコンで打ち込まれた規則正しい文字が並んでいた。それを見てすぐにそういうことかと納得がいった。

「あんずの、俺の彼女の、手書きの年賀状が羨ましいんだ。へえー可哀想な兄者」

 わざとらしく彼女だということを強調して言うと図星を突かれたらしい兄者ぐっと唇を噛んで恨めしそうに俺を見下ろしていた。ますます鬱陶しい。そもそも勝手に部屋に入り込んでいるのが気にいらない。鍵だって掛けていたはずなのに、とちらりと扉を見やれば無理やりに蝶番を外されて脇に立て掛けておいてあり、怒りがわいてくる。
 あんずだって暇じゃないのにわざわざ作って送ってくれたんだから感謝するべきなのに、兄者ときたら手書きじゃないからと駄々をこねて、恥ずかしい。こんな状態じゃあんずを連れてくることも叶わない。せめてプライバシーくらいは守らなければならないと枕元においたスマホに手を伸ばす。

「……もう警察、呼びますよ?」
「凛月や……新年早々やめておくれ」
「じゃあ、今晩はコーギーの家にでも泊まってよね。邪魔だから」

 今日はあんずが家に来る。午前中は知り合いのところで巫女の手伝いをして、その後に来てくれると約束したからには兄者をどうにかしなければいけない。本当ならば兄者に年賀状を送るのだって、やめてほしいくらいなのにとどんどん独占欲が自分の中を満たしていく。
 せっかくの振り袖姿くらい独占したってバチは当たらないでしょ、なんてそんな少しだけ邪な気持ちを隠しもせず兄者を無理やり部屋の外へ追い出した。
 





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