朱に染まるのは君のせい

 最近、クラスにキツネさんが増えた。
 正しく言うと風邪引きさんが増えた、という事なんだけれど何故だか昔から我が家では風邪引きさんのことをそう呼ぶ。何のことはない、コンコンと咳き込んでいる様子がキツネの鳴き声に聞こえて、そう喩えているだけなんだがなんとなく気にいって使っている。
 でも、実際にはもっとこう――。

「ごほっごほ……」

 私がひどく咳き込むものだから親が流石に学校へ行がない方がいいのではないかと心配そうにしているけれど、私の中には行かないという選択肢はない。今日は久しぶりに彼に堂々と会うことが出来る特別な日なのだから。
 私はなんとか、体の節々が痛むのを誤魔化しながら『いってきます』と玄関を出た。
 弟が学校で風邪をもらってきて、私も周りから貰わないように注意していたのにこのザマで少し情けない。弟に偉そうにうがい手洗い風邪予防なんて言えなくなってしまった。
 通学途中のコンビニで買ったトローチを舐めながら肌寒く感じるようになった通学路を歩く。すっかり秋の装いで木々がほんのりと色付いているのを見ると季節が移ろいだなと嬉しくなる。
 夏が終わったのが嬉しくて仕方ないのだ。かと言って冬はあまり好きではないから、ほんの僅かな間しか楽しむことが出来ないのだけれど。

 教室へ入ると今日も空席が目立った。学級閉鎖、なんて言葉も頭に浮かんでくるくらい。けれども現実はみんな風邪を貰いたくなくての自宅待機。――サボり、ともいう。家が近いらしいスバルくんがいないのが良い例だ。

「おはよう。あんず……大丈夫か?」

 私の顔を覗き込みながらマスクをかけた北斗くんが心配そうに表情を曇らせる。もちろん大丈夫だと返事を返すが下がりきった眉が戻ることはない。

「授業を乗り越えたらあとはプロデュースだけだから」
「今のあんずにはそっちが本業だろうが……」
「うん。昨日は予定していたプロデュース出来なかったし」

 そういえば、昨日も真くんを含む数名のクラスメートが学校を休んでいた。真くんに関しては校門まで来ていたのに瀬名先輩に風邪を貰ったらどうするのかとヒステリックに怒られて、追い返されていたのだが。
 その様子を遠巻きで見て先輩のことだから真くんが倒れたら監禁して寝ずに介抱しそうだなぁとぼんやりした頭で考えていた。案外心配性というか優しいところがあるんだから、他の人にもその一割くらい分けてもいいんじゃないかと思案してやめた。万が一こんなことが先輩に知れたら、私の理解の範疇を越えた罵倒が待っている気がしてぞくぞくと寒気がしてきた。
 結局、そのあと少しも経たないうちに、風邪は引かないにこしたことはないと思い直して、自分が如何に肝心なところが抜けているかと情けなくなった。
 放課後にはラビッツのプロデュースの予定もあったけれど、光くん以外お休みで結局何も出来なかった。今日は2winkの二人だから休みということはないだろう。

 やれやれと首を振ったあと無理はするな、と優しい言葉をかけてくれた北斗くんに感謝しつつ、私はなんとか授業に臨んで午前中を乗り切ることができた。しかし、ぼぉーっと体の芯にゆたんぽでも入れられたような熱さに冒されながらの授業は全く身に入らなかった。

「あんず、顔が赤い」
「ん……」

 近くの席のアドニスくんが心配そうに私の様子を伺っている。今朝の寒気もこの体の熱さも本格的に熱が出てきた症状だと気付くのにそう時間はかからなかった。

「昼休みだ。保健室で横になってきたらどうだ?」
「付き添おうか?」

 口々に心配を口にする彼らを宥めて、多少フラつきながらも一人で保健室へ行くことにした。熱が出ているとなれば、話は変わってくる。両親や弟の言うことを聞いて今日は休めば良かったのかもしれない。
 けれども、それだと彼に会うことが出来なくなってしまう。こんな状態で会うのもなんだけれど、それでも会う機会がそんなにないからたまの機会を逃したくないのだ。
 ほとんどワガママだし、まわりの迷惑になっている自覚はあるのだけれど、それでもそう思ってしまうのはささやかな乙女心のせいだろう。少し眠って休めばきっと熱は下がると信じてようやくの思いで保健室へとたどり着いた。


***


 柔らかな温かさに包まれている感覚で私は目を覚ました。
 あれからどうなったのかあまり良く覚えていない。なんとか保健室にたどり着いて、そのあと崩れるように倒れて、ベッドに寝かされて、それから――……。

「ひっ!」

 もぞりと自分を包み込む何かが動いて引き攣った声が漏れて一気に現実に引き戻される。一体何が起きたのかと、上半身を起こそうとするも体にまったく力が入らない。
 やっとの思いで掛布団を少しめくるとすやすやと眠る彼の姿があった。

「な、なっ……何してるの?」

 驚いて彼を起こそうと声をかけるもぐっすりと眠っているのか起きる気配はない。おーい、と名前を呼んでも無反応でどうしたものかと腕枕をされている状態のまま彼を見つめる。
 そのときぐっすり眠っているにしては彼の呼吸が速いことに違和感を感じてなんとなく額に手を当ててみると熱で火照った自分の手よりも熱くて反射的に手を引っ込めてしまった。ひどい熱だ。こういう時に限ってどうして先生はいないのかと不真面目な担任を思いだした。
 添い寝なんてしたものだから風邪を移してしまった?いやいや、こんなおそらく短時間で熱が出るほどのことはないと思うし、などと熱のせいでおおよそまともとは思えないことを考えながら目の前に苦しそうに横たわる彼を眺める。私が冷えピタや水枕を用意して介抱してあげられたらどんなにいいか。

「……あんずさん、具合、どう?」

 うっすらと目を開けたひなたくんがかすれた声で私の体調を案じてくれた。
 こんなときまで、と胸の奥が締め付けられて苦しくなる。自分の調子が悪いときくらい自分の心配をしたらいいのに、どうしてこんなに優しいのだろう。

「私よりもひなたくんだよ」
「にしし……かっこわるいなあ」

 さすがの俺でもちょっとしんどいと心の内を見せてくれた彼の頭を撫でてあげる。そうこぼした彼を見ていると苦しいのか熱のせいなのか分からないが、瞳がうるんできて私は慌てて目元を擦った。こんなことをしている場合じゃないと私を抱き留める手を優しくふりほどいて一人でベッドを抜け出すと、節々の痛みと悪寒で立っていられないほどの倦怠感に襲われた。
 ベッドにいる彼をちらりと見ても追ってくる体力はないのかぐったりとしているし、本格的に先生の不在を恨み始めた。けれども、いつまでもいない人のことをあれこれ考えても仕方がないので、適当に体温計と冷えピタを持ってひなたくんの側に近寄る。今は私しかいないのだからやらなければならないと自分を鼓舞して震える足に喝をいれた。
 本来なら水分補給だってしなくてはならないというのに、ここの備え付けの冷蔵庫にはミネラルウォーターとお酒が数本入っているだけだった。保健室なのにそれはどうなんだろう……とがっくりするしかなく食堂に、せめて教室に戻る体力があればスポーツドリンクがあるのに戻る気力はもはやなく、やっとの思いでベッド脇に備えられたパイプ椅子に腰掛ける。

「……冷えピタ貼るね」

 自分まで声を出すことがつらくなり、ぎこちなくも笑みを浮かべ軽く前髪をよけてあげて、もたつく指先で薄いフィルムをはがす。彼の額にそれを乗せてあげると、冷たいのか身をすくめて眉間にシワを寄せていた。
 寒い寒い、としきりに体を震わせるひなたくんを見るとこれ以上何もしてあげられないことが申し訳なくなる。まだ熱が上がる兆候を目の前にするとどうすることも出来ず、目の前が真っ暗になるという言葉の意味が分かった気がした。

「あんずさんも、おいで。足冷えちゃう」
「私はいいよ、ここで」
「それに冷えピタ、あんずさんにも貼ってあげなきゃ」

 じっと掛け布団にくるまったままの彼が私を睨めつける。有無を言わさぬその視線に耐えられなくなって私はおずおずと彼が横になるベッドへと潜り込んだ。制服越しでもはっきり伝わる熱に私は目を閉じる。冷えた太腿をひとしきり熱い手で撫で回された後パッケージから残ったそれを取り出す音が聞こえてきた。
 私が彼にしたように優しく前髪を払いのけられる。彼の熱い指に触れられる度にドキドキするなんてはしたないとギュッと唇を引き結び、そのときを待つ。ぴとりと額に冷えピタを当てられた瞬間、彼と同じように身がすくんだ。

「少し寝よっか」

 はがしたフィルムを適当に放り投げた彼が私の髪を撫でる。優しく優しく、それだけで微睡みに落ちてしまいそうなくらいゆっくりと。
 目を閉じたままひなたくんに体を委ねると冷えピタ越しに彼の唇が触れた気がした。それはまるで熱なんて、風邪なんてお互いに移してしまえばいいんだよ、とそう私に語りかけているようだった。






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