草木芽吹くとき

 私は数日前から胃腸風邪でも引いたのか胃のむかつきや微熱に苛まれて、夫である敬人さんのサポートが疎かになっていた。とはいえ、彼は自分の身の回りのことなどほとんど一人でこなしてしまうため、家での食事の用意や寝台を整えるなどの簡単なことしかすることはないのだけれど、それでも申し訳なさでいっぱいになる。

「まだ体調はよくならないのか?」
「はい……あまり長引いて敬人さんに移してしまっては大変なので明日にでも病院にかかろうかと思います」

 食事を摂る気になれず彼の夕食だけを用意して、自分はお茶を啜っているとテーブルの向こう側から心配そうに声をかけられる。

「まったく……季節の変わり目なんだから自分の体調くらい病院にかからずとも把握し対処しろ、とは言っても仕方がないな。明日は遅くなりそうだから身体がつらいようであれば夜は寝ていて構わない」

 今日だって無理に起きていることはなかった、と心配の延長からのお説教にくすりと笑みが漏れる。それに気がついたのか、静かにおでこを小突かれ寝室に連れていかれて寝かされた。

「もういい、早く寝ろ」
「はい」

 布団をかけ、まるで子供に言い聞かせるようされ頭を撫でられる。敬人さんに看病されるなんてそうそうあることじゃないから、これも役得かもしれないと顔には出さないように喜ぶ。
 ……お前の具合が悪いと調子が出ないんだ、と辛うじて聞き取れるくらいの大きさの声で呟かれる言葉に静かに応え、今度は私が彼の頭を撫でてやる。
 こういうところがあるから彼のことが好きなのだ。看病されるのもいいけれど、健やかでいることが一番いいに決まっている。早くに元気になりますね、と微笑んで私は瞼を閉じた。

 声が出なかった。翌日妙に重たいままの体を引きずって行った病院で一瞬お医者さんが何を言っているのか理解が出来ず、おそらく間抜けな顔をしていたに違いない。てっきり体調不良だと、敬人さんの言うようにちゃんとしなくてはならないと思っていた結果がこれだ。問題があるとすれば、これをどのように彼に伝えるかで、正直少し頭が痛い。
 結婚はしている、だから子供が出来たとしても何もおかしくはない。夫婦なんだから、そういうことだって……その、経験がないわけじゃない。だからこれは当たり前のことで、よく言うコウノトリが運んできた贈り物なのだ。――ということは、今までの胃のむかつきも微熱もつわりや妊娠初期症状ということで説明がつく。疑いがなかったわけじゃないけれど、出来ているなんて夢にも思っていなかった。

「……で、何故お前は起きている?俺は寝ていても構わないと言ったはずだが?」

 帰宅して早々に敬人さんの不機嫌そうな声が部屋に響く。心配からくるものだとは分かっていても、もう少し優しい声をかけてくれてもいいのにと肩を落とす。

「病院の先生のお見立てをお話しようと思いまして」
「そういうことなら聞かないでもない。話せ」

 気を取り直し、お茶の用意をしていつもの定位置である窓側の席に座って先を促す彼に私は続きを話し始める。

「三ヶ月ですって」
「……何の話だ?」

 いぶかしむ彼に追い討ちをかけるように、子供が出来ていたみたいですと伝えると手に持っていた湯飲みがガチャンと音を立てて床に落下した。急須から中身を移す前でよかったけれど、早く片付けなくてはと彼の近くへ移動する。

「誰の……?」
「そりゃ……敬人さんと私のですよ」

 割れた湯呑を拾い集めつつ、まだ現実を受け止め切れていないのかポカンとした顔をしている彼の目を見て答える。予定通りに進む物事を何より愛する彼にはイレギュラーすぎたかもしれないなんて心配していると力強く抱きしめられる。

「……よくやった!ありがとう、あんず。本当にありがとう!」
「く、苦しいですよ……もう」
「す、すまない!」

 少し頬を膨らませると手を離し大袈裟に後ずさる。そこは優しく抱きしめるところです、とお説教しようとして口をつぐむ。こんなに慌てていっぱいいっぱいになっている敬人さんなんて珍しいものは次はいつ見れるのか分かったもんじゃない。
 薄っすらと瞳に涙を溜める彼に『これからはお腹の子の父と母としてもよろしくお願いしますね』なんて恭しく頭を下げれば、堪えきれなかった涙が頬を伝い流れ、いつまでも止まることはなかった。



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