見送り

それからは気温的にも温かい日々が続いた。
でも華代にはバイオリンの練習があったし、僕にはテニスの練習がある。
特に大会を間近に控えると、練習量は自己練習も含めて劇的に多くなる。
お互いに忙しくて、逢えない日々もあった。
それでも電話で励まし合ったり、部活のオフにカフェで話したり。
桃城家にお邪魔して、華代の練習を聴きながら学校の宿題をしたり。
あの夜が繰り返される事はなかったけど、僕らは心が繋がり合っていた。

日々が充実して温かい程、時が過ぎるのは早かった。
11月も残り2日という日が訪れたのは、あっという間だった。
華代と朝練の前に学校で待ち合わせていた僕は、約束の20分前に到着した。
でも華代は既に到着していた。
更に愛、桃、英二、そして手塚もその場にいた。
皆で華代を見送るんだ。
愛は門へ向かう僕の姿を見つけると、笑って手を振ってくれた。

「お兄ちゃん!」

「早かったんだね。」

愛と手塚は既にレギュラージャージに着替えている。
桃と英二は制服で、病院へ向かう華代は私服だ。
皆がマフラーを巻く季節になった。

「華代、緊張してる?」

妹の愛がそう尋ねると、華代は微笑んで首を縦に振った。

『してる…。』

「桃先輩は今夜華代に逢えるんでしょ?

いいなあ。」

華代は今日から検査入院し、明日の手術に備える。
大きな病院なだけに、家族以外は面会謝絶となってしまう厳しさがある。
家族じゃない僕と愛が盲目の華代に出来るのは、電話だけだ。
手術前日の華代に逢えるなんて、家族とはいえ羨ましいに限る。
すると華代がお腹を撫り、微笑みながら困った表情をした。

『ストレスで沢山食べ過ぎたのかな、ちょっと太っちゃったんです。

メタボだって言われたら如何しよう。』

それを聞いた英二が目を瞬かせた。
このすらっとした子がメタボだなんて。
確かに最近の華代はよく食べていた。
手術やコンクールを控えているから沢山食べたくなる、と頻繁に口にしていた。
英二が華代に本音を言った。

「入学した時から全然変わってないと思うけどにゃあ?」

冬は厚着だし、分からないよ。
僕も華代の頭を撫でながら英二に賛同した。
華代は細身で、華奢なんだ。
――あれ…?
愛の表情が一瞬だけ曇った気がした。
手塚が密かに愛の背に手を添え、気遣っているように見える。
一体如何したんだろう。
すると、一台のタクシーが僕らの前で止まった。
運転手が車から出てきて、「桃城さんですね?」と確認してきた。
華代が返事をすると、まずは兄の桃に言った。

『私は大丈夫だから、お兄ちゃんはちゃんと学校で授業を受けてね。

部活もサボっちゃ駄目だからね。』

「もうそれ何度も聞いたぜ。

耳にタコだ。」

桃は華代の耳たぶをむぎゅっと握った。
これから始まる朝練もサボらないように、今朝から言われていたんだろう。
英二が華代を元気にさせようと、とびきり明るく言った。

「華代ちゃん、頑張ってね!

学校から元気の出る菊丸ビームを送るから!」

『ふふ、ありがとうございます。』

華代は緊張が和らいだのか、クスクス笑った。
次に手塚が何時ものトーンで激励した。

「華代さん、俺も微力ながら応援している。

油断せずに行こう。」

『はい!』

此処であの決め台詞が出た。
手塚が華代をさん付けで呼ぶのを、僕も英二も中々聞き慣れない。
でも、手塚は僕よりもずっと前から華代を知っていた。
愛が紹介していたからだ。
その当時から華代さんと呼んでいたらしい。

「華代。」

『うん。』

愛が華代の手を取り、両手で包んだ。
二人は手袋をしている。

「どんな結果になっても、自分を責めないで。

お兄ちゃんに負けないくらい応援してるから。」

『ありがとう、愛。』

二人は涙目になり、同時に抱き合った。
何故かタクシーの運転手まで目を潤ませている。
二人が身体を離すと、次は僕だ。

「華代。」

『はい。』

「電話してね。」

『絶対にします。』

「ずっと祈ってるから。」

華代は微笑み、頷いた。
君の瞳の中に、透き通った水色が見える。
僕はこの5ヶ月の間、少しでも君の力になれたかな。
テニスの練習や学校の宿題の間に、視覚障害者について沢山勉強した。
桃が教えてくれたクロックポジションは勿論、椅子に座らせるという動作にもコツがあった。
誘導も随分と上手くなったと自負しているし、点字だって読めるようになった。
君を出来る限り不自由させないように、努力したつもりだった。

『先輩がいなかったら、手術まで踏み切れませんでした。

手術を決意してからも逃げなかったのは、傍で支えてくれた先輩のお陰です。』

華代は僕に抱き着き、肩口に頬を擦り寄せた。
胸が高鳴った僕は、華代の華奢な身体を力一杯抱き締め返した。

『恋って凄いんですね。』

「同感だよ。」

名残を惜しみながら身体を離し、僕は華代をタクシーの席に誘導した。
運転手は潤んでいた目をスーツの袖でゴシゴシと拭き、車に乗り込んだ。
僕は華代が座ったのを確認すると、その手を握った。

「じゃあ、ドアを閉めるよ。」

『はい。』

僕らの指がそっと離れた。
運転手は窓を開けてくれた。
華代が窓から顔を覗かせると、僕が一番に声をかけた。

「いってらっしゃい、電話待ってるよ。」

「あたしにも電話してね!」

「俺は菊丸ビームを送るからね!」

「油断せずに行こう。」

「兄ちゃんは後で行くからな。」

其々の見送りの言葉を聞いた運転手は、タクシーをゆっくりと発進させた。
華代は窓から手を振ってくれた。
英二はこれでもかという程、大きく手を振った。
僕も何時までも手を振っていた。

手術が失敗して君が光を失っても、僕らは君を受け入れるから。
どんな結果になったとしても、僕は君の傍にいるから。

皆が応援しているよ。
だから行っておいで、華代。

君の姿が見えなくなっても、僕は暫くその場で華代の行った道を見つめていた。



2009.2.6




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