その時
エーフィとラティオスが庭に戻ると、ベランダの縁側でスケッチブックをスタンバイしているケンジがいた。
何かを待っているのだろうか。
ケンジは二匹を見ると、目をきらきらと輝かせた。
「ついにこの時が来た…!
ラティオス、観察させて貰います!」
“?”
ラティオスが首を傾げると、ケンジは猛烈にペンを動かし始めた。
エーフィは無垢なケンジの表情を見ながら苦笑した。
“ケンジはスイクンのスケッチに失敗続きだったからね。
君の事を早くスケッチしたいんだよ。”
ケンジは幻のポケモンであるラティオスを何としてもスケッチしたいのだ。
ラティオスは冷や汗を掻いた。
“スケッチくらいなら…。”
“君は寛容だね、スイクンは凄く嫌がってたよ。
元から人間に姿を見られるのを好まない性格だからね。”
“私も好きじゃない。”
日向ぼっこをしながら昼寝をしているポケモンたちの元へ向かいながら、エーフィは目を瞬かせた。
斜め上を浮遊するラティオスの首元は、傷跡が綺麗さっぱりなくなっている。
“ラティオスは人間が苦手なんだよね?”
“此処の皆は好きだ。”
優美な紫を纏う小夜は穢れがなく、ポケモンたちの事をよく理解している。
オーキド博士もケンジも寛大で良い人だ。
ポケモンたちも仲間になったばかりの自分に気さくに接してくれる。
その一方で、ラティオスは長年に渡ってポケモンハンターに追われた事で、人間に対する苦手意識が植え付けられている。
それを克服するには時間を要するだろう。
エーフィは仰向けに寝転んでいるボーマンダの隣に座り、穏やかに言った。
“君はレアコイルと同じ部分が多いね。”
ボーマンダのお腹の上で寛いでいたレアコイルは、自分の名前を聞いて浮遊した。
“僕?”
エーフィは頷いたが、ラティオスもエーフィの言葉の真意が分からずにいる。
レアコイルは不思議そうに尋ねた。
“僕が如何したの?”
“ラティオスと同じ。”
エーフィにそう言われ、レアコイルは考えてみる。
自分とラティオスの共通点とは一体何だろうか。
ラティオスと出逢った時から、人間に虐げられていた部分を自分と重ねていた。
エーフィは続けた。
“レアコイルもラティオスも人間が苦手で、それでもシルバーに心を開いたでしょ?”
レアコイルはシルバーと出逢った時の経緯をラティオスに話してある。
幼い少年から身体中に傷を付けられていた処をシルバーに救われた。
“でも僕はラティオスと違って、最初シルバーに触られるのも怖かったし…。”
“それは性格だよ。”
ラティオスは意外にも甘えたがりで、シルバーに額をぐりぐりと押し付ける。
一方のレアコイルは当初怯えてばかりで、二人と打ち解けるまで時間を要した。
“小夜に傷を治して貰ったのも同じでしょ?”
“今はこの通りだけどね。”
レアコイルはくるりと回ってみせた。
幾重にも重なっていた傷は消え、周辺の景色を映し込む程にぴかぴかしている身体は自慢だ。
ラティオスは自分の顔が映っているレアコイルを見て言った。
“あの追跡機を壊してくれた事、感謝している。”
“いいんだよ。”
シルバーが外したあの追跡機を故障させ、更に破壊したのはレアコイルだった。
レアコイルがいなければ、シルバーは追跡機に触れられなかった。
ラティオスは昼寝をしているポケモンたちを見ながら、独り言のように言った。
“私などが、こんなにも平和な場所にいてもいいんだろうか。”
レアコイルが目を瞬かせた。
シルバーの手持ちとなってから過酷な環境が一変したのはレアコイルも同じだ。
深く根付いていた心の傷は、この優しい環境に中々順応出来なかった。
“此処の皆は温かいから、君も心が癒えるよ。”
レアコイル自身がそうだったように。
ラティオスは微笑み、そっと頷いた。
二匹を見守っていたエーフィは、何も言わずに空を見上げた。
此処の皆は優しくて、温かい。
だが一方で、二人には様々な事情があり、現在は予知夢が警鐘を鳴らしている。
平和なのは今の内かもしれない。
口に出さずとも、皆はそれを分かっている。
だからこそ、この時を大切に過ごしてゆく。
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