頭痛-2

翌日。
小夜の部屋は静粛に包まれていて、就寝灯によって橙色に染められていた。
空にはまだ星が微かに煌めいていて、オーキド研究所の広大な庭では夜行性のポケモンたちが眠りに就こうとしていた。
現在の時刻は午前六時。
二人もお互いのポケモンたちも普段眠っている時間だ。
だがシルバーはふと目を覚ました。
以前も見た事のある白い天井をぼんやりと視界に入れた後、上半身を起こした。
だがその時、強烈な頭痛に襲われた。

「い…って。」

片手で頭を抱えて前髪をくしゃりと握り、そのまま髪を掻き揚げた。
身体の他の異常といえば寒気だった。
軽い風邪を引いたようだ。
確かに過酷な旅だったとはいえ、自分はこんなに柔だっただろうか。
己の情けなさに溜息を吐いてから、寝惚けた頭で部屋を見渡してみる。
シルバーは敷き布団を使用していたが、隣にはベッドがあり、小夜が相変わらずの様子で眠っている。
昨日から微動だにしていないように見えた。
まるで小夜の周りだけ時が止まっているかのようだ。
毛布に包まれているポケモンたちは熟睡しているようで、エーフィだけが自分専用の小さなベッドで丸くなっていた。
新たに仲間となったスイクンも皆と同じカーペットの上で眠っていて、大きな毛布を掛けられていた。
そして部屋の片隅にあるヒーターが温風を送っていた。

シルバーは頭痛に堪えながらも、枕元に置いていた黒のポケナビを手に取った。
小さな画面を覗き込んで時間を確認すると、洗顔をしに行こうと腰を上げた。
若干足元が覚束ないが、歩けない程でもない。
物音を立てないように細心の注意を払いながら、暗い廊下に出た。
廊下は予想以上に寒く、両腕に鳥肌が立った。
以前ピュアーズロックから此処へ訪れた際は一週間程の滞在だったが、洗面所や電気のスイッチの位置は明瞭に記憶している。
電気もなく真っ暗な中で、傍にある筈の廊下のスイッチを手探りした。
すると、背後からフラッシュの淡い光が照らし、シルバーの前に自分の影が伸びた。
驚いたシルバーが振り向くと、其処には身体のU字磁石を弱い電流で纏うコイルがいた。
コイルのフラッシュは眩い光ではなく、シルバーの頭痛に響かない極小さな光だった。

「…気付かなかった。」

コイルが小夜の部屋で眠っていたのは先程確認したばかりだ。
つまり、物音を立てまいと行動していたシルバーに密かについてきていた事になる。
何時の間にか目を覚まし、シルバーが扉を閉める際に間をすり抜けて出てきたのだろう。
コイルはスイッチの前まで浮遊し、その位置を知らせた。

「助かる。」

押しボタン式のスイッチをその名の通り押すと、長い廊下に一気に電気が点いた。
眩しさに目を閉じたが、その動作が頭痛に重く響いた。
コイルがフラッシュを止めたと同時にシルバーが鈍痛に顔を顰めた。
それを見たコイルは不安定に八の字に揺れ、心配の余りにシルバーの頭の周りをくるくると慌ただしく回った。
人間不信であるコイルがこんなにもシルバーに近寄るのはこれが初めてだった。
その挙動不振な様子にシルバーはふっと笑った。

「大丈夫だ。

それより、まだ朝早い。

お前は寝ろ。」

コイルは目に心配の色を浮かべた。
その身体には以前の主人から受けた暴力の傷が痛々しく残っている。
一週間以上前の繋がりの洞窟で、シルバーはその傷を確認しようとしている。
だがあの時は驚いたコイルに身を後方に引かれ、その傷に触れられなかった。
今は如何だろうか。
シルバーがコイルを手持ちにしてから然程時間は経過していない。
それでもコイルはシルバーのポケモンたちと一緒に入浴したり、シルバーがバトルしているのを見つめていたり、多少足りとも交流はあった。
シルバーはコイルの大きな目を見つめてから、慎重に片手を伸ばした。
コイルはビクリと反応したが、前回のように逃げる事はしなかった。
シルバーが冷たい金属の体に人差し指でそっと触れると、傷が酷い凹凸になっているのが分かった。
コイルが無抵抗であると分かると、掌で撫でるように傷を確認した。
線になっている傷は幾重にも重なり、よく見ればU字磁石には欠けている部分があった。
シルバーは神妙な表情をしていたが、ぎゅっと眉を寄せた。
実際にコイルがあの少年から暴力を受けている様子を目撃しているのだ。

「俺は今までずっと、あんな事を…。」

シルバーはこのカントー地方で何匹ものポケモンを捨ててきた。
少しでも気に入らなければ暴力で支配し、口汚く罵った。
あの時のポケモンたちの恐怖に怯える表情や悲痛な涙を思い出すと、胸が強い閉塞感に襲われた。

「痛かったか?」

こんな風に人間に触れられるのが初めてのコイルは、シルバーを真っ直ぐに見つめた。
金属の身体は物理的な痛みを余り感じない。
鋼タイプにとって物理技の多くは効果が今一つであり、シルバーもそれを分かっている筈だ。
コイルは心の痛みを問われているのだと分かると、目から涙を一粒だけ零し、それはシルバーの指を濡らした。

「何故泣くんだ?」

シルバーは一度目を見開いたが、眉尻を下げて微笑んだ。
その透明な涙をしっかりと指で拭ってから、腕を下ろした。
コイルはシルバーが以前の主人同然だったと主張していたのを覚えていた。
こんな風に接してくれたり、小夜を大切にしているシルバーを見ていると、それは頑なに信じ難かった。

「辛いのか?」

コイルは二つのU字磁石に挟まれた身体を左右に振り、否定を表現した。
シルバーの手持ちになる直前にもコイルは涙を零していた。
あの時は如何か分からないが、たった今流した涙は辛さから溢れた涙ではない。
それが分かっただけで、シルバーは安心出来た。

「小夜なら傷を完全に治せる。

心配するな。」

コイルが頷き、シルバーは緩く微笑んだ。
頭痛のせいでぎこちない微笑みになってしまった。
小夜の部屋の扉を静かに開けてやると、ヒーターの暖かい空気が漏れた。

「寒いだろ。

部屋に戻れ。」

コイルはシルバーと話せて嬉しかったのか、普段より目が活き活きとしていた。
何処か嬉しそうに浮遊しながら部屋に入り、それを見届けたシルバーは扉を閉めた。

「…………いてぇ。」

間を沢山取ってから苦しくもそう呟いた。
洗面所まで行かない方がいい気がしてきたが、長い廊下をゆっくりと歩き始めた。
一歩一歩が頭痛に響き、顔を顰めるのを止められない。
何とか到着した時には洗面台に両手を突き、深く俯いてしまった。
頭が重い。
寒気がする。
熱があるのかもしれない。
小夜を看ていたいこの大事な時に風邪を引くとは、タイミングが悪過ぎる。
二人のポケモンたちも主人が二人同時に寝込めば大変だろう。

この洗面所は小夜の部屋と同様の四階に位置する。
全体的に白で彩られ、シンプルで広々とした其処は、小夜の好みに合わせてオーキド博士が改装したのだろうか。
ポケモンセンター以上に広い風呂場が隣接していて、洗面台以外にも洗濯機や乾燥機、そしてタオルや洗髪剤を数々収納した大きな棚がある。
洗面台の横にはドレッサーがあり、小夜が髪を整えるのに使用している。
此処は普段小夜やそのポケモンたちしか使用しない為、汚れが見当たらず、光沢があって綺麗だった。
シルバーはもう此処を使い慣れていて、フェイスタオルの入っている棚の引き出しの位置まで記憶していた。
其処から青のフェイスタオルを適当に取り、ドレッサーの上に置いた。
注意力散漫のまま温水で洗面し、手探りでレバーを下げて水を止めた。

「…っ、はぁ、はぁ。」

傍にあるフェイスタオルを手に取る余裕もないまま再度洗面台に両手を突き、浅く肩で呼吸をした。
ふと顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。
まだ濡れたままの顔は疲労に染まっている。
今日からはもっと暖かい格好をしようと思い、ドレッサーの上に無造作に置いてあったフェイスタオルで顔を埋めるようにして拭いた。
二つある内の一つのタオル掛けにタオルを適当に掛け、洗面所を後にしようと踏み出した。
すると、視界が回転するかのように一気に歪み、身体の力が入らなくなった。

やばい、倒れる…。

衝撃を覚悟しようとするが、意識が追い付かない。
一瞬だけ優美な紫が霞んで見えた気がしたが、気を失った。



2014.12.27




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