時の修正能力-2

「それで、話とは何かな?」

『単刀直入に訊きます。』

シルバーは人一人分開けて隣に座る小夜に眉を寄せた。
ハテノの森でどのような事件があったのかを説明する為には、時渡りをしてきたユキナリの話をしなければならない。
だが、小夜は何の前振りもなく、唐突に本題に入る気だ。

『博士は四十年前、ハテノの森で時渡りをしましたよね?』

オーキド博士が両目を見開き、一度は驚いたかのように見えた。
シルバーはこのようなオーキド博士の表情を初めて見た。
どのような時も朗らか且つ寛大で何時も温厚な顔をしている――というレッテルを勝手にオーキド博士に貼り付けていたせいで、余計に目を見張った。
オーキド博士は一拍置いてから落ち着きを取り戻したが、笑顔のないまま口を開いた。

「如何してそう思う?」

オーキド博士の話し方が普段と違っているのは、真剣に対話している証だった。
小夜は一切怯まないまま、話を続けた。

『私たちはあの森でオーキド博士に逢いました。』

「幼少期のわしに逢った…という事か?」

『そうです。

そうよね、シルバー?』

シルバーは小夜の瞳を見て頷いた。
オーキド博士は腕を組んで俯き、考える素振りを見せた。
時渡りをした事実をすぐに肯定しないのは何故だろうか、と二人は同じ事を考えた。
オーキド博士は暫く考え込んだかと思うと、視線を落としたまま重い口を開いた。

「……実は覚えておらんのじゃ。」

『それは四十年前の話だからですか?』

「いいや、違う。」

オーキド博士は小夜の瞳を真っ直ぐに見た。

「確かに四十年前、わしはハテノの森を訪れた。

其処でハンターと名乗る人間から逃げていたセレビィと出逢った。」

シルバーが隣に腰掛ける小夜を一瞥すると、やはり無表情だった。
まるでオーキド博士に嘘を吐かせまいとしているようだった。
オーキド博士は続けた。

「セレビィを腕に抱いて逃げていた時、森が不思議な音に包まれた。

その時、森は海の中にいるような青色をしていた。」

それは間違いなくハテノの森の言い伝えである森の声だ。
小夜は依然として何の反応も示さない。
一体何を考えているのか、どのような感情でいるのか。
シルバーとオーキド博士は当然のように分からなかった。
オーキド博士は更に続けた。

「セレビィが眩しい光に包まれたかと思うと、わしの意識はなくなった。

それから石碑の前で目を覚ました。

まるで時間が早送りされたかのように感じた。」

やはり時渡りをしてから帰るまでの記憶がないようだ。
シルバーは慎重に口を開いた。

「その後は…?」

「夢を見ていたと思ったわしは何時も通り森のポケモンをスケッチした後、その森を出ている。

だが妙だとは思った。

あんな石碑の前で眠ったような記憶はなかった。」

『セレビィが追われている夢を見た…と思ったんですか?』

「そうとも思った。

だが他にもっと大切な事を忘れているような気がしていた。」

オーキド博士が忘れているのは、小夜たちと共にビシャスに立ち向かった記憶に他ならない。

『博士はその後、四十年の時を超えて私たちに逢っている筈なんです。

シルバーやサトシにも、そして私にも。』

「うむ…。」

『覚えていませんか?』

依然として腕を組んだままのオーキド博士は、険しい表情をしたかと思うと、やはり考え込んだ。
四十年前の記憶を掘り起こすのは大変だろう。

『博士は私と六年前に出逢った時、私を知りませんでした。

四十年も前に私と出逢っている筈なのに、です。』

オーキド博士に覚えて貰えていなかったからショックだった、というような言い方ではなかった。
小夜の言葉からは真相を突き詰めたいという探求心が感じ取れた。
それはオーキド博士も理解していた。

『博士は時渡りをした時、スケッチブックを落としています。

それをトワさんという女性がずっと持っていました。

博士が落とした物だと言って、四十年間大切に持っていたんです。

博士は時渡りをした時にそれを持って帰りました。』

「トワさんとは、まさか…。」

オーキド博士はハテノの森に入る前にパンをくれた女性を思い出した。
石碑の前で目を覚ました時、彼女はユキナリに大丈夫かと尋ねていた。
そしてその時、自分がスケッチブックを持っていたのを鮮明に思い出した。
小夜の話からすると、小夜たちが出逢ったユキナリは四十年間行方不明のまま帰ってこなかったという事になっている。
トワもユキナリとは再会出来ないまま、つい最近までスケッチブックを保管してあったのだ。
だが、オーキド博士は此処にいる。
これもまた矛盾している点だ。
小夜は静かに淡々と言った。

『この世界が如何なっているのか、知りたいんです。』

過去に渡れば、その後の未来は変わってしまうのだろうか。
オーキド博士の話を聴いている限り、その答えはノーだ。
だがそれは世界が複数存在するのかという疑問の答えになっていない。
行方不明だったオーキド博士が此処にいるという矛盾点も解決されていない。
小夜は眉尻を下げながらも、やっと微笑んだ。

『博士に訊けば何かヒントが得られるかと思ったんですが…。』

「うーむ…わしもよく分からん。」

オーキド博士の話を聴いてみて、過去現在未来という時≠フ仕組みが余計に分からなくなった気がする。
小夜はシルバーの顔を窺った。

『シルバーは如何?』

「お前に分からなくて俺に分かる訳ないだろ。」

シルバーは苦笑した。
世界で最も有名だと断言してもいい天才博士も、卓越した知能を持つ小夜も分からないのに、自分が理解出来る筈がないのだ。
小夜はそんなシルバーの横でそっと口を開いた。

『これは仮説ですが……時≠ノは修正能力があるのかもしれません。』

「修正能力とは?」

オーキド博士に尋ねられ、小夜は説明した。

『どんなに矛盾しても、この世界は一切変わらない。

オーキド博士の記憶がないのは、矛盾を少しでも解決する為にその修正能力が働いているからかもしれません。』

オーキド博士の記憶がないのは、時渡りをした事実を時≠ェ消し去るかのような力の作用が原因ではないか。
小夜はそう考えたのだ。
サトシがオーキド博士にユキナリの事を話さなかったのも、何かが作用している結果なのかもしれない。
頭を捻る二人を前に、眉間に深く皺を寄せたオーキド博士は真面目に言った。

「わしには一つ分かった事があるぞ。」

『何でしょう?』

オーキド博士は組んでいた腕を腰に当て、突然勢いよく立ち上がった。
固唾を呑んだ二人はオーキド博士を見上げた。
その瞬間、オーキド博士は普段の明るい表情を取り戻した。

「この世界が不思議で一杯だと言う事じゃ!」

態度が一変したオーキド博士は、高らかに笑った。
若い二人は開いた口が塞がらなくなった。

「面白いのう。

君たちが見たわしはどんな少年だったかな?」

『え、えっと、正義感の強い子でした。』

二人はユキナリがサトシに似ていたように感じていた。
正義感は勿論、向こう見ずなところも、好奇心旺盛なところも。
オーキド博士はその返事に満足した。

「そうか、それなら良かった!

さて、そろそろわしは研究に戻るとするかのう。」

話を終わらせようとしているかのようなオーキド博士に、小夜は内心冷や汗を掻いたが、見事に冷静を装った。
オーキド博士はこれ以上追究しないで欲しいと仄めかしているのだ。
頭を整理したいであろうオーキド博士の為に、小夜は空気を読んだ。

『分かりました。

お邪魔してしまってすみません。

話してくれてありがとうございました。』

小夜は育ての親の目の前にも関わらず、シルバーの腕に自分のそれを絡ませた。
ドキリとしたシルバーだが、その瞬間にはぐいっと引っ張り上げられた。
強制的に立たされ、バランスを崩しかけた。
すぐに身体を離されると、頬を引き攣らせた。
部屋に帰るのを催促するなら声を掛けるだけでも充分なのに、腕を絡ませて引っ張り上げるとは。
オーキド博士はやはり愉快に笑った。

「仲睦まじいようで結構結構!」

シルバーは更に赤面し、羞恥に駆られて頭を下げた。

「あ、ありがとうございました。

失礼します…!」

『それではまた。』

「二人仲良くのう。」

オーキド博士は満面の笑みで手を振った。
小夜がにこにこと微笑む一方で、シルバーは真っ赤なまま再度頭を下げた。
顔を見られないようにする細やかな抵抗だった。
扉まで早足で向かうと、小夜より先に部屋から出た。

「そうじゃ、小夜。」

シルバーの姿が見えなくなった瞬間、オーキド博士は小夜を呼び止めた。
小夜が振り向くと、腰まである紫の髪が艶やかに揺れた。
オーキド博士は柔らかい表情をしながらも、真剣な声色で言った。

「わしが六年前に君と出逢った時、君を知らなかった…君はそう言っておったが…。」

小夜は僅かに瞳を見開き、じっと耳を傾けている。

「突然研究所に侵入して能力を見せてきた君を、わしは絶対に守らなくてはならんと思った。

見ず知らずの不思議な子供を何の躊躇いもなく守りたいと思うのは、不思議だと思わんか?

それが何故かずっと分からなかったが、その理由がようやく分かった。」

育ての親の優しい笑顔に、小夜は瞳の奥に熱を感じた。

「わしは四十年も前に…君に逢っていたんじゃな。」

オーキド博士は腰を上げた。
口に手を当てながら何度も頷く小夜に近寄ると、小さな頭を撫でてやった。
オーキド博士の深く手の届かない潜在的な記憶の中に、小夜の存在は残っている。
小夜はそれが心から嬉しかったのだ。
二人の会話を外からそっと窺っていたシルバーは、壁に凭れながら微笑んだ。



2015.1.21




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