重なる気配-2
深い森の中を進んでいると、沢山のポケモンたちの声が聴こえる。
人の手が加わっていない森は、野生のポケモンたちがのびのびと暮らせる場所だ。
どんどん前に進むサトシは、後方を歩く小夜とシルバーに振り返った。
「ねぇ、シルバーさん!」
「シルバーでいいって言っただろ。」
シルバーは無表情だが、サトシはそれを気にも留めない。
シルバーの隣を歩く小夜は微笑んでいる。
幼馴染みであるサトシがシルバーと会話をしているのが嬉しいのだ。
「じゃあ、シルバー!」
サトシは年上であるシルバーを呼び捨てにする事を、すぐに割り切ってしまった。
流石の適応力だ。
「シルバーはどんなポケモンを使ってるの?」
興味津々なサトシの問いに、シルバーはどのように答えるのだろうか。
気になった小夜は、シルバーの顔を一瞥した。
シルバーの脳裏に、人間に傷つけられたコイルの姿が浮かんだ。
どのように回答しようか迷っているシルバーに、サトシは威勢良く言った。
「森を出たら俺とバトルしようぜ!」
両手の拳を握って言うサトシに、シルバーはふっと笑った。
「負けても泣くんじゃねぇぞ。」
「え、OKって事?!」
サトシがシルバーの隣にいる小夜に視線を送ると、小夜は優しい頬笑みで頷いてくれた。
「やったぜ!」
小夜に格好良い所を見せなければ、と意気込むサトシ。
その肩に器用に乗っているピカチュウが嬉しそうに鳴いた。
サトシの隣を歩いていたカスミが困ったように言った。
「大丈夫なの、サトシ?
シルバーさん、凄く強そうよ。」
「大丈夫大丈夫!」
サトシは陽気だ。
小夜は辺りの気配を慎重に覗いながら、サトシたちの会話に耳を傾けていた。
それをよく理解しているシルバーは、小夜に容易に話し掛けない。
だが小夜からシルバーに声を掛けた。
『シルバーとサトシが勝負かぁ。
サトシのポケモン勝負は見た事がないから、楽しみ。』
「お前は高みの見物をしていればいいさ。」
そう言ったシルバーは口角を上げた。
誰が相手であろうと、小夜を守る為に強くなると誓ったのだ。
負ける訳にはいかない。
その時、小夜に動きがあった。
「……小夜?」
小夜が突然立ち止まったのだ。
シルバーは少し俯いている小夜に近寄り、その端整な顔を覗き込んだ。
小夜は眉を寄せ、紫水晶のような瞳が動揺しているように見える。
前方を歩くサトシたちは立ち止まる二人に気付かず、前にどんどん進んでゆく。
「如何した?」
小夜が俯いていた顔を上げ、問い掛けてくるシルバーと視線を合わせた。
その瞬間、まるで森が海の中に入り込んだような淡い水色に染まり、不思議な音が響き渡った。
波紋のように広がる水色の光に、二人の前方を進んでいたサトシは目を見開いた。
「これは…?」
その時、サトシたち三人の横を何かが猛スピードで駆け抜けていった。
小夜だ。
「待て、小夜!!」
小夜の後をシルバーが慌てて追った。
サトシたちの前を駆けてゆく二人を、サトシとピカチュウが続けて追った。
「あっちだ!」
「サトシ!」
更にはそれをカスミが追った。
この時のサトシとカスミの脳内には、老人が言っていた森の言い伝えは忘れ去られていた。
「おい、動かない方が…!」
言い伝えをしっかりと覚えていたタケシは一人で狼狽したが、先を走っていく四人を渋々追った。
空気を斬るように高速で駆ける小夜を必死で追うシルバーは、息を切らしながら叫んだ。
「おい小夜!!」
シルバーがそう叫んだ時、小夜はやっと立ち止まった。
その瞳は神聖な石碑の前に現れた眩い光の塊を映していた。
よく瞳を凝らすと、その光が包んでいたのは一人の少年だった。
不思議な音と光が消えると同時に、宙に低く浮かんでいた少年の身体は地面にゆっくりと横たわった。
少年の腕にはとあるポケモンが抱かれていた。
そのポケモンは気を失っている少年の腕から逃れると、石碑の後方へと不安定に飛び去った。
一部始終を見つめていた小夜の身体は硬直した。
『う、そ…。』
僅かに動く口から、現実を否定する言葉が細々と零れた。
「小夜!」
やっと小夜に追いついたシルバーは、立ち尽くしている小夜の肩に片手を置いた。
サトシとピカチュウは真っ先に二人の横を通り過ぎ、少年の元へと駆け寄った。
少年は茶髪で、深緑色のゆったりした長ズボンと白いシャツを身に纏っていた。
外見からして、サトシやカスミに近い年齢だろう。
サトシは片膝を突くと、気を失っている少年を抱き起こした。
「おい、大丈夫か?!」
サトシに追い付いたカスミは、少年の様子を覗った。
「生きてる!」
遅れてやってきたタケシは少年を見ると、慌てて言った。
「ミクさんたちの処へ連れて行こう!」
サトシが少年をおぶり、三人は小夜とシルバーの元へと駆け出した。
小夜は瞳を大きく見開いたまま、膝から力なく崩れ落ちた。
地面に両膝を突き、遠い目をして前方を見つめている。
「小夜、如何したんだよ…!」
小夜に声を掛けるシルバーも地面に片膝を突き、小夜の肩を揺らした。
だが小夜は放心状態だ。
「シルバー、小夜は如何したんだ?!」
二人に駆け寄ってきたサトシが慌てた様子でそう言った。
シルバーは眉間に皺を寄せ、視点の定まっていない小夜を見つめたまま言った。
「先に行け。
俺は小夜と後から追う。」
「分かった、行こう!」
サトシたち三人は森の入口へと駆け出した。
小夜は肩をシルバーに掴まれたまま、浅く呼吸をしていた。
突き付けられた現実に思考が追い付かない。
今し方発見したとあるポケモンは、小夜が一時期非常に求めたポケモンだった。
だがそれよりも、小夜を唖然とさせる事実があった。
「小夜、如何したんだよ。
言ってみろ。」
『…あ、の…。』
小夜はまだ動揺している。
それでもシルバーに伝えなければならないと思い、必死に言葉を紡いだ。
『あ…の、男の子は――』
黙って頷いたシルバーは、小夜の次の言葉を待った。
小夜は少年の気配を感じ取った瞬間、まさかの人物と重なった。
思い出すのは、何時も大らかで優しい笑顔を向けてくれる育ての親の姿。
危険を顧みずに、幼い小夜を匿ってくれた大切な人。
『――オーキド博士と…同じ、気配がする。』
想定していなかった何かが、起きようとしている。
2013.7.9
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