6

もう一度逢ってどうするというのだろう。
彼は今日の朝餉からずっと私を睨んでいたというのに。
一度だけ私から微笑みかけた時、彼は動揺していた気がする。
朝餉をかき込み、逃げるように食堂を去ってしまった。
哀しいけれど、彼に避けられている可能性もある。

深夜、夜着の浴衣を着た私は、蝶屋敷の玄関を出た。
陽光が差さない夜だから、念の為に帯刀している。
不死川さんが何処にいるのか探そうとしたけれど、それは必要なかった。
蝶屋敷の柵を越えた先にある広い道に、不死川さんの姿を見つけたからだ。
不死川さんは石垣に凭れながら、まるで誰かを待っているかのようだった。

「不死川さん」

腕を組みながら遠い目をしていた不死川さんは、静かに私を見た。
入院着の帯には日輪刀が差してある。
やっぱり病室から抜け出していると思った。
不死川さんは落ち着いた口調で言った。

「こんな所で何してやがる」
「私の台詞です」

一向に近寄ってこない私に、不死川さんが遠慮がちに手招きした。
その目は私を睨んでいない。
私は慎重に一歩ずつ前に進み、不死川さんの前には立たずに、少し距離を取って横に並んだ。

「優しい方の不死川さんでしょうか?」
「…何だそりゃァ?」
「ごめんなさい」

私が逢いたかった方の不死川さん?
優しい方も睨む方も関係なく同一人物だというのに。
不死川さんは呆れたように溜息をついた。

「……悪かった」
「何の話でしょうか?」
「俺は今までお前を散々睨んできただろ」
「お嫌いなんですよね、私のこと」
「…違う」

何が違うというのだろう。
私は不死川さんを見据えた。
睨む理由として、嫌い以外に何かあるのだろうか。

「私が何か悪いことをしてしまったのなら、謝ります。
ですからもう少し、私を嫌う加減を減らしていただけると…」

不死川さんは額に手を遣り、深々と俯いた。
医学に日々勤しむ私は、その様子を見て体調が悪いのではないかと一瞬だけ心配してしまった。
不死川さんは小声でぶつぶつと言った。

「クソ…分かってる…全部俺が悪ィ…俺が不器用だからだァ…」
「不死川さん?
よく聞こえないのですが…」

深々と吐息をついた不死川さんは、意を決したように私の目を見た。
隣同士で視線が交わる。

「言い訳になっちまうが…苛々して仕方なかった」

その言い訳というのを聞いてみたい。
私が不死川さんの目をじっと見つめると、負けじと見つめ返された。

「お前が他の野郎にデレデレされてるのを見ると苛々する」
「デレデレって…」
「あんな野郎共に文句の一つも言わずに対応しやがるお前にも苛々する」
「お相手は怪我人ですから仕方がないでしょう?」
「お前に湯飲みで負けるのも苛々する」
「それはあなたの実力不足です」
「お前が強過ぎんだよォ…」

薬湯かけが強いことは自負している。
動体視力に自信がある私は、あれが物凄く得意なのだ。
たとえ柱が相手でも負ける気はない。

「とにかく、私を睨むのはお門違いでは?」
「…悪かった」

不死川さんの声は本当に反省しているようだった。
何だか私が叱責しているような気がして、逆にこちらが申し訳なく感じてしまう。

「クソガキだなんて言っちまって、悪かった」
「構いませんよ、間違っていませんから」
「何言ってやがる。
年齢にしては大人びてやがるだろうが」

大人びるのは当然かもしれない。
私は夜空の星々を見上げながら言った。

「家族や友人を鬼に殺されて、死を身近に感じていますから、考え方も大人びるのかもしれません」

帝都へ行くと、同じ年頃の女の子が女学校へ行ったり、可愛らしい西洋の装いをしている。
私も一年前までは女学校で看護を学んでいた。
けれど、私はもう普通の女の子とは違う。
別に普通と違うことを嘆いている訳ではない。
鬼殺隊士として鬼を斬り、人々の暮らしを守ることを、誇りに思っている。
不死川さんは私を見つめたまま、何も答えなかった。

「私はそろそろ失礼しますね」

不死川さんが眉を顰めたけれど、睨んでいる訳ではない。
私はそんな不死川さんに微笑みかけた。
不死川さんが今朝のように動揺して見えたのは気のせいではない。

「明日退院なんですよね。
おめでとうございます」
「…ああ」
「私は明け方には任務へ出ますから、ここでお別れです」

陽が落ちる前に、鎹鴉の朝陽丸が指令を運んできた。
私は列車に乗って遠出の任務に出る。
アオイたちと離れるのは寂しいけれど、これは任務なのだ。

「どうかお元気で。
お怪我をなさらないでくださいね」
「隊士の怪我ならお前がここで診るんじゃねぇのか」
「師範もしのぶさんもいらっしゃいますから」

私はこの屋敷でアオイたちと働くのがとても好きだ。
けれど、この世界には醜い鬼がいる。
友人を鬼に殺された今、私は鬼を斬りたくて仕方がないのだ。

「もし不死川さんがお怪我をされてこの屋敷へ来た時、私を見かけたら、是非お声をかけてくださいね」

今後、あまり逢えないかもしれない。
だからこそ、今感謝を伝えなければ。

「それと…夜明け前のこと、本当に嬉しかったんです。
励ましてくださって、ありがとうございました」

不死川さんに二人きりでもう一度逢えた。
睨まれ続けたことも謝罪してもらえた。
感謝の言葉も無事に伝えられた。
何も悔いはない。

「それでは」
「待ちやがれ」

背中を向けた時に、すかさず手を取られた。
少しだけ驚いた私は、くるりと振り向いた。

「俺は…」

不死川さんが何かを言い渋っている。
私の手を強く握るその手は、温かいどころか熱い気がする。
一体どうしたのだろう。

「何か話したいことがありましたら、今のうちに仰ってください。
今後はなかなか逢えないのですから」
「逢えねぇのは…困る」
「何故ですか?」

不死川さんは盛大に舌打ちをすると、握る手を力強く引っ張った。
ふらついた私は不死川さんの胸板に手をつき、更には腰を引き寄せられた。
驚きを隠せない私に、不死川さんは頬を赤らめながら怒鳴った。

「テメェに逢いてェって意味だァ!!
察しやがれェ!このボケがァ!」

一言余計ではないだろうか、ボケとは酷い。
それよりも、この体勢は何だろう。
不死川さんの顔が近くて、互いの額がくっつきそうだ。
視線を何処へ遣ったらいいのか分からない。
しかも、腰を引き寄せられているから逃げられない。
私の心臓がどんどん煩くなってきた。

「あの…こ、これは…どういう…」
「やっと俺を意識したかァ?」

熱くなってきた顔を背けようとしたら、後頭部に手を回されて、簡単に固定されてしまった。
その手の温もりに覚えがある。

「あ…」
「…何だよ」
「夜明け前と同じ…」

泣き続ける私を優しく励ましてくれた手。
不死川さんは目を細めると、あの時と同じように私の頭を自分の肩口に引き寄せた。
やっぱり温かくて、命の温もりを感じる。
すると、両腕できつく抱き締められた。

「円華」
「は、はい」

初めて名前で呼ばれた。
嫌ではないけれど、かなり驚いた。

「俺は実弥だ。
これからはそう呼べよォ?」
「な、何故ですか?」
「何でもかんでも聞き返してんじゃねェよ」

真夜中、蝶屋敷の前で抱き締められている。
その背徳感が余計に私を緊張させる。

「お前…心臓バクバクだなァ」
「実弥さんこそ」
「もっと俺を意識……オイ、今名前で…」
「だって実弥さんがそう呼んで欲しいと仰るから…!」
「素直で可愛いじゃねぇかァ」

私の腰を抱き寄せる腕の力が強くなった。
後頭部に回されていた手が滑り、私の頬を撫でた。
更に顔を覗き込まれると、指で顎を掬うように持ち上げられた。
間近で視線が交わる。
私の心臓が爆音を鳴らし、何かを警告している。

「な…何を…!」
「黙ってろ」
「待っ、駄目です、実弥さ…!」

私がぎゅっと両目を瞑ると、頬にそっと柔らかい感触がした。
優しく頭を撫でられたから、私はゆっくりと両目を開けた。
唇を落とされたのは、頬だった。

「安心しろよ。
喪に服してる女を襲う趣味はねぇからな」

気遣ってくれているのが分かる。
不死川さん、ではなく実弥さんの穏やかな表情を見た私は、胸がきゅっと狭くなるような感覚がした。

「任務から帰ったら鎹鴉を使って文を送りなァ。
逢いに行ってやるよ」
「あ…ありがとうございます」
「ありがとうってお前…まさか俺に逢えるのが嬉しいのかァ?」

私は顔が熱くなるのを感じた。
それを見た実弥さんは満足そうに口角を上げた。

「俺に逢いてぇって言ってみろよ」

私が恥じらいながら首を横に振ると、実弥さんはまた頭を撫でてくれた。
子供扱いされている気がして、軽く拗ねてしまう。
そして、実弥さんは突然話を変えた。

「辛くねぇか」
「…え?」
「亡くなったんだろ、大事な奴が」

私は視線を泳がせた。
その目の下に薄らとできた隈を、実弥さんの親指が優しくなぞった。

「チッ…明日から逢えねェのか…」
「心配ですか?」
「当たり前だろうがよォ」

やっぱり、優しい。
あんなに私を睨んでばかりだった実弥さんは、本来優しい人なのだ。
悔しそうに口元を歪ませる実弥さんに、私は戸惑いながら寄り添った。
広くて逞しい背中に両腕を恐る恐る回して、肩口に頬を寄せた。

「っ…お前」
「…急にくっつきたくなって」
「そうかよ…気が済むまでくっついてなァ」

ぶっきらぼうに言いながらも、私を抱き締め返す腕は優しさに溢れている。
遠方での任務で実弥さんに逢えないことに、寂しさを感じる。
こうやって寂しくなったり、抱き着きたくなったりする感情を、恋と呼ぶのかもしれない。



2022.4.15





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