18
愛しい人が生み出す月輪の刃に似た月が、夜空に朧げに浮かぶ夜。
鬼の気配もない。
藤の木が爽やかな音を立てながら、風に揺れている。
縁側に腰を下ろしている俺は、那桜の肩を抱く力を込めた。
那桜は俺の肩に頭を預けながら、幸せそうな微笑みを浮かべている。
この心穏やかな時間が、俺はとても好きだ。
今宵も那桜の飯は美味だった。
好物である薩摩芋の味噌汁は最高の味付けだったし、漬物はあるだけ全部平らげてしまったものだ。
近いうちに、また野菜や米俵を持ってこよう。
「那桜」
「はい」
名を呼べば、凛とした声で返事をくれる。
それだけでも俺は充実感を覚える。
「君の特異体質についてだが」
突然の話題に、那桜が姿勢を正した。
互いに向かい合い、傍で手を握り合った。
「怪我の治りが早いだけではないと思う」
「他にもあると思いますか?」
「君の呼吸が生み出す刃が殺傷力を持つのも、君が鬼の気配を感知しやすいのも、君の特異な能力だと思う」
那桜は頷いた。
自覚があったのだろうか、否定はしなかった。
「君は下弦を倒した。
宇髄と胡蝶がお館様に直接報告している」
鬼殺の現場から那桜を蝶屋敷へと連れていった宇髄と、那桜を治療した胡蝶。
この二人がお館様の元へ赴き、報告した。
「宇髄は君を柱に欲しいと言っている」
那桜は首をゆっくりと横に振ると、凛とした口調で言った。
「私は鬼殺隊に入るつもりはありません。
もし鬼殺隊士になれば、任務に出ることになります。
杏寿郎さんとの時間がこれ以上なくなるのは、嫌なんです」
俺だってそうだ。
ただでさえ、柱である俺は多忙だ。
今夜の指令が来ないのは、那桜を気遣ったお館様の計らいだと思っていい。
那桜は俺の目を真っ直ぐに見つめていた。
「ですが…鬼殺は続けようかと」
俺は頷き、那桜に言葉を続けるように催促した。
那桜は懸命に言った。
「身勝手なのは充分承知しております。
ですが私は、鬼殺隊に属さないまま鬼を斬りたいのです」
鬼の気配を鋭く察知する那桜は、鬼を発見しやすいと言える。
鬼殺隊に入隊せずとも、鬼を探知できるだろう。
「杏寿郎さんは以前私に、屋敷で安全に過ごして欲しいと仰いました。
私もそうしようと思っていましたが…今は少し、自分の力を使いたいと思っています」
―――俺は君に剣士よりも、屋敷で安全に過ごして欲しいという思いの方が強い。
俺の台詞を、那桜は覚えていた。
「鬼を偶然見つけたら、野放しにせずに斬ります。
その程度の鬼殺は続けたいと思っています」
「分かった。
俺は君の意思を尊重する」
「ありがとうございます」
「その代わりに約束してくれ」
俺は那桜を抱き竦めた。
存在を確認するかのように、強く。
「絶対に死ぬな」
「死にません。
ずっと杏寿郎さんのお傍にいます」
鬼殺隊士となって以来、俺の目前で何人の仲間が命を散らしたか分からない。
数え切れない犠牲の上に、鬼殺隊は成り立っている。
その犠牲の中に、那桜の名を加えたくない。
「死なない為にも、常中というものを教えていただけますか?」
「後日、時間を合わせて稽古をつけてやろう」
「楽しみにしています」
愛しくて仕方がない那桜に対して、無遠慮に厳しくできるだろうか。
稽古とはいえ、甘やかしてしまいそうだ。
「ところで、那桜」
「何でしょう?」
「湯浴みも夕餉も済ませた訳だが」
那桜は俺の着流しを緩く掴んだ。
俺は期待で胸が疼くのを感じた。
「君を抱きたい」
那桜の体が僅かに強張った。
緊張しているのだろう。
それは俺も同じだ。
那桜は潤んだ瞳で俺を見上げた。
「触れて欲しい…です」
その台詞を合図に、俺は那桜を横抱きにして立ち上がった。
2022.3.25
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