22-2

「もし仮に父上が暴れ出すようなことがあれば、俺に構わず逃げろ」
「嫌ですよ」

廊下を進みながら、那桜は当然のように言った。
俺は何があろうと、有無を言わさずに那桜を守るつもりだ。

那桜と隣同士で閉じられた襖の前に正座し、見つめ合った。
その襖の先に、父上の気配がある。
襖の隙間から酒の匂いが漏れている。
俺と那桜は同時に頷いた。
そして、俺が父上に声をかけた。

「父上、話があります」
「どうせくだらない話だろう。
客人共々そこから立ち去れ!
俺に話しかけるな!」

突っ撥ねられるのは想定内だ。
那桜の表情を見ると、特に怖気付くこともなく、落ち着いているようだった。
今回だけは、どうしても引く訳にはいかない。
俺は意を決して襖を開けた。
父上は縁側で胡坐を組みながら、大きな酒瓶を片手に持っていた。
その寂れた背中を見た那桜は何を思うだろうか。

「去れ!」
「御父上」

那桜の凛とした声が、響くように聞こえた。
流石の父上も不機嫌な表情をしながら振り向いた。
那桜は畳に三つ指をつき、堂々たる振る舞いで頭を下げた。

「申し遅れました。
花野井那桜と申します」

頭を上げた那桜の顔を見た父上は、驚きの表情に変わった。
那桜は動じることなく、常中も抜けていない。

「花野井……だと?」
「あなた様に父を看取っていただいた者です」
「まさかあいつの…。
それならお前は…あの時の赤子か…」

今度は那桜が目を見開いた。
父上の台詞には俺も驚いた。
那桜が赤子の頃、既に父上は那桜に逢っていたのだ。

「私が、赤子だったのですか?」
「…あいつが妻と赤子を連れて、一度だけこの屋敷に来たことがあった」

父上の口調は、少しばかり懐かしむようだった。
俺が疑問に思ったことを、那桜が口にした。

「当時、杏寿郎さんと私は逢っておりますか?」

父上は俺の目を一切見ないまま、そうだと小声で言った。
俺と那桜は顔を見合わせた。
何年も前に、俺と那桜は逢っていたのだ。
俺に当時の記憶があれば良かったのだが。
那桜は父上に訊ねた。

「教えてください。
父はどのような人で、どのような最期でしたか」

父上は縁側の板の間で俺たちの方を向き、胡坐を組み直した。
そして、遠い目をしながら話し始めた。

「あいつは…鬼殺隊でも名の知れた優男だった。
俺に頼み込んで弟子入りしたあいつは、のんびりした性格に思えたが、突出した才覚に溢れ、炎の呼吸を極めようとしていた」

父上は普段よりも弱々しい目つきで、那桜を見た。

「あいつは任務中に人を庇って致命傷を負い、俺の腕の中で死んだ。
死に際にあいつは…娘の成長を見届けたかったと言い残した」

那桜の目に涙が滲んだ。
今にも溢れそうになる涙を堪えながら、那桜は微笑んだ。

「私は父の顔を覚えておりません。
祖母から父の話を聞いても、遠い誰かの話を聞いているように感じておりました。
ですが…今日は父を身近に感じることができました」

那桜は再び深々と頭を下げた。

「父を看取っていただき、ありがとうございました」
「俺はあいつを助けられなかった。
恨み言の一つも言わないのか」
「父は師範であるあなた様に看取っていただけたことを、幸せに思ったのではないでしょうか」

那桜が柔らかな笑顔を見せると、父上は目を逸らした。
普段から粗暴な父上が、こうして落ち着いているのは極めて稀だ。
暴れ出すようなこともなさそうに見える。

「お前…わざわざ親父を看取った俺に逢いに来たのか」
「それもありますが」

那桜が俺の目を見た。
俺は頷き、那桜のように毅然とした口調で言った。

「俺たちは互いを想い合っています」
「……は?」
「俺たちの仲を認めていただけませんか」
「お前…今…何と言った?」

父上から怒気を感じた俺は、那桜を守る心構えをした。
俺から話を聞けば、父上が怒り出してしまう気がしていた。
父上は不安定に立ち上がると、酒臭い声で俺に怒鳴った。

「お前みたいな才覚もない中途半端な剣士が、あいつの娘に釣り合う訳がないだろう!!
ふざけるのも大概にしろ!!」
「おやめください」

那桜の物静かな声は、室内に溶け込むように響いた。
父上は怒号を瞬く間に止めた。
那桜は一切臆することなく、父上を貫くような視線で見つめた。

「杏寿郎さんは炎柱として立派に責務を果たされております。
私の大切なお方です。
侮辱するのはおやめください」

父上は震える程に握っていた拳を解き、その場で力なく胡坐を組んだ。
そして、怒号とは一転して落ち着いた声色で言った。

「お前も見た所、鬼殺の剣士だろう。
杏寿郎もお前も、明日の命の保証もないような人間だ」
「存じております」
「明日にも鬼に殺されるかもしれないんだぞ。
覚悟はあるのか」
「はい」

俺の中で、那桜への愛しさが膨らむのを感じた。
那桜は凛とした声色で言った。

「私の生涯をかけて、杏寿郎さんに添い遂げるつもりです」

俺は那桜から目が離せなかった。
那桜にここまでの覚悟があるとは思っていなかった。
やはり那桜は、俺が思うよりもずっと強い女性だ。
父上は呟くように答えた。

「……そうか」

たった一言だった。
しかしその一言で、俺は父上が認めてくれたのだと悟った。
喜びが込み上げた俺は、那桜の両肩を掴んでこちらに向けた。
那桜は綺麗な両目を不思議そうに瞬かせた。

「那桜!一緒に暮らそう!」

突拍子もない台詞に、那桜は完全に呆気に取られた。
その表情を見た父上が、冷や汗をかきながら口を挟んだ。

「おい…吃驚してるだろうが」

確かに驚かせてしまっているだろう。
共に暮らしたいという意志を那桜に話したことは一度もないのだ。

「俺は君と共にこの屋敷で暮らしたい!」
「なっ…今言うんですか…!?
そのような大事なことを…!」

何事にも動じなかった那桜が、ここへ来て混乱している。
俺は期待の目を父上に向けた。
父上は口元を曲げて見せると、俺の輝く目から視線を逸らした。
そして、那桜の目を見ながら諦めたように言った。

「祝言でも何でも挙げるといい。
ただし、本当に杏寿郎でいいのか、見極めてからにしろ」

この屋敷で那桜が暮らすことも認めてくれたようだ。
とはいえ、見極めてからというのは、祝言を少し待てということだ。
父上は那桜の夫が本当に俺でいいのか、那桜を心配しているのだろう。
那桜をこの屋敷に住まわせながら、見極める時間を与えるつもりだ。
父上は鈍い動きで縁側へ戻ると、新しい酒瓶を開けた。
那桜は慌てて頭を下げた。

「ありがとうございます」

父上の広い背中は、何だか少し嬉しそうに見えた。



2022.5.25





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