死人の念

花怜は激怒すると非常に恐ろしい。
わしはそれを身を持って実感した。

―――大嫌いです!!

もしあの時、花怜に一欠片の理性さえも残っていなかったとしたら。
近くにいたわしは花怜が発した霊気の爆風で、跡形もなく消し飛んでいただろう。
殺生丸さまも他人事ではなく、妖気が吹き飛ばされていたかもしれないのだ。
其処らの妖怪共よりもお強い殺生丸さまも、妖気を滅してしまう花怜の能力を敵に回したくないと思っている筈だ。

「花怜さま、焼けてきたよ!」
『竹串が焦げないようにね。』

花怜とりんは竹串に刺した餅を焚き火で焼いている。
りんは花怜と一緒に御馳走の準備が出来るのが嬉しいのか、やたら楽しそうな笑顔を見せている。
二人は両手に二本ずつ、長めの竹串を持っている。
円形で平たい餅に少しずつ焦げ目がつき、美味しそうな匂いがする。
時刻は夕暮れ時だ。
太陽が一面の草原を茜色に照らしている。
適度な温度を保つ焚き火の光が、花怜の端麗な顔を際立たせているように見える。
わしは阿吽に背中から凭れながら、無意識に花怜を見つめていた。
花怜はこの気品のある見た目の癖に、馬鹿力だ。
直接殴らずとも、拳を向けた衝撃だけで岩を粉々にする。
殺生丸さまと腕相撲をしたら、如何なるだろうか。
まさか、あの高貴な殺生丸さまが腕相撲など!
いやしかし、花怜の頼みならば、殺生丸さまは何でも聞いちゃいそう――

『邪見さま。』
「…な、何じゃい。
わしは何も想像しておらんぞ。」
『少しだけ代わっていただけますか。』

花怜の声色は真剣だった。
何やかんや想像していたわしは、瞬く間に現実へと引き戻された。
一瞬だけ動揺したが、それも吹き飛んだ。
わしは人頭杖を脇に抱え、餅を焼くべく花怜の元へ小走りした。
白霊山の結界が破れて以来、妖怪と鉢合わせる機会が増えた。
今回も妖怪だろうか。
りんが心配そうに花怜を見上げた。

「花怜さま…。」
『大丈夫。』

わしは花怜から竹串を受け取り、焚き火との距離感を上手く取りながら、花怜の背中を見た。
木陰で遠巻きにわしらを見ていた殺生丸さまが、何時の間にか近くに来て、花怜の隣に立った。

「微かに匂う…妖怪ではない。」
『死人の念です。』

花怜はそう言うと、風もないのに艶やかな髪を仄かに揺らした。
己の妖気と霊気を反転させ、表に出したのは霊気だ。
妖気を纏う妖怪としてではなく、清らかな霊気を持つ巫女として、死人と向き合うのだろう。
死人の念とは、一体?
わしが疑問に思っていると、焚き火が突然消えた。
驚いたりんが小さく悲鳴を上げ、わしも竹串を落っことしそうになった。
ぶるぶる、悪寒がする。
しかし、空気が張り詰めるような感覚はしない。
きっと、敵意のない死人なのだろう。
死者を斬れる天生牙の柄に殺生丸さまが手を遣ったが、花怜の手がそれを優しく制した。

『お話を聞かせてください。
何がお望みですか。』

花怜は殺生丸さまに言っているのではない。
わしやりんには見えない死人の念とやらに語りかけているようだ。
殺生丸さまは微かに匂いがするとは言っていたが、その目には何か写っているのだろうか。
巫女である花怜にしか見聞き出来ないのかもしれない。
花怜は少しの間だけ黙っていたかと思うと、穏やかな口調で言った。

『お約束します。
ですから、在るべき処へお帰りください。』

その声を合図に、不意に焚き火が戻った。
わしが感じていた悪寒も消えた。
花怜は何かを見送るかのように、薄暗くなり始めた空を見上げた。
縮こまっていたりんが肩の力を抜き、何事も無かったかのように再び餅を焼き始めた。
此奴、色々と恐怖を体験して肝が座ってきておるぞ。

「はあー、何も見えなかったけど、怖かったね邪見さま。」
「わわわしは平気じゃったわい。」
「でもぷるぷる震えてたよ?」
「気のせいじゃ!」

わしは竹串の餅を一つ、丸々食べてみせた。
これでも充分に美味いが、もう少し焼けば更に表面がパリパリして美味くなりそうだ。
花怜が殺生丸さまの目を見た。

『亡くなられた村人の御供養をお願いされました。
この先にある村です。』

この先にある村――
今日、殺生丸さまが死人の臭いがすると言っていた村だろう。
白霊山の結界が破れて以来、妖怪が溢れ出し、無力な人間の犠牲は多くなっている。

『明日、村へ向かっても構いませんか。』
「構わん。」
『ありがとうございます。』

花怜は柔らかく微笑むと、再び空を見上げた。
慈悲深い花怜は巫女に向いていると思う。
人間の疫病や怪我を治療する癒しの能力は、殺生丸さまの心までも癒しているのだ。

殺生丸さまと花怜が並んでいるのを見ると、ちゃんと仲直りして良かったと思う。
あの時の花怜は、殺生丸さまに馬鹿やら分からず屋やらと暴言を吐いていた。
おまけに大嫌いと来たものだから、花怜を心から想う殺生丸さまは非常に傷付いた筈だ。
しかし、わしはこの二人が離別するとは思わなかった。
二人が愛し合っているのは、阿吽でさえもよーく分かっているのだ。

殺生丸さまに馬鹿なんぞ言えるのは、花怜くらいだ。
二人は生涯に渡って、互いに添い遂げるだろう。
わしはもっと長生きして、この身が尽きるまでそれを見届けたいのだ。



2020.8.5



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