あの人は悪くない

今日の練習には充分満足している。
俺が如何にして竜崎に向かった打球を拾えるか。
その練習だった。
手塚部長とあの人が乗るバスから降り、道端の階段を上がっていると、背後から控えめな声がした。

「あの、リョーマ君。」

「何。」

振り返らずに返事をした。
階段を踏み外したくはないし、素っ気ないのは俺の性質だ。

「リョーマ君は愛ちゃんが好きなの?」

突然だと思えばいいのか、やっぱり来たかと思えばいいのか。
そんな質問だった。
小坂田はともかく、竜崎には気付かれていると思っていた。
俺は無表情のまま階段を全部上がると、少しだけ振り向いた。

「違うけど。」

俺が好きになりそう≠ニいう表現を使ったのは、あの人に気負い過ぎないで欲しいと思ったからだ。
好き≠セと口にさえしなければ、竜崎や小坂田もあの人を責めたりしないと思った。

「でも…リョーマ君は愛ちゃんにミクスドのペアを頼んだり、たまに連絡も取り合ってるみたいだし…。」

「俺はあの人の病名知ってるから。

元気なのか連絡しても変じゃないでしょ。」

「え…知ってたの…?」

メニエール病でしょ――とは口には出さなかった。
あの人が今も闘っている病気の名前を安易に会話に出したくない。
それに連絡といっても時々だし、短いメッセージを送るだけだ。
俺はあの人とゲーセンで遊んだ日、あの人から点滴痕を見せて貰った。
元気にしているのか気になるのは当然だ。

「リョーマ君は気付いてないだけで…愛ちゃんの事が好きだと思う。」

まるで説得されているかのように感じた。
好きではないと否定しても、好きだと思い込まれてしまっている。
俺は深く息を吐き、平静を努めて言った。

「俺、ちゃんと振られてるから。」

「え…?」

「バレンタインの日に、好きになりそうだから事前に振ってくれってあの人に頼んだ。」

竜崎は涙目になった。
あの人の涙を見た時は凄く動揺した。
でも、竜崎を相手にしている今は意外にも冷静だ。
やっぱり俺はあの人に特別な感情を抱いている。

「俺が不二と話した事、知らなかったんだ?」

「……。」

いっそ話してしまえと思ったけど、後からあの人に対して罪悪感を感じた。
嗚呼、やってしまった。

「あの人優しいから、アンタに話せなかったんだろうね。」

罪悪感がどんどん増してきた。
あの人が知らない所でこんな話をするんじゃなかった。
竜崎は目に浮かぶ涙を指で拭った。
俺は淡々と話を続けた。

「あの人は何も悪くないから。

手塚部長と付き合ってるのに、好きになりそうだとか言った俺が悪い。

責めるなら俺を責めなよ。」

俺の気持ちにきちんと答えを出してくれたあの人を、責めないで欲しい。
あの人は本当に良い人なんだ、本当に。

「あの人とは良い友人関係を築けると思う。

今日誘ったのもその一歩のつもり。」

少し喋り過ぎた。
あの人に早く謝罪しよう。
立ち止まっていた俺は歩き出した。
竜崎が慌てて追いかけてくる足音がする。
振り返らないまま、はっきりと言った。

「俺は恋愛してる場合じゃないから。」

冷たかったかもしれない。
竜崎が俺に気がある事くらい、俺はとっくに気付いていた。
でも、こうやって冷たく突き放せば、あの人も変に竜崎の背中を押す事もしなくなるだろう。
あの人はキューピッドだとか言ってたけど、そんな必要はないんだ。
そんな事をされても、俺は何も嬉しくないんだから。



2017.9.20




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