自販機裏の秘密

昨夜、日本女子代表やその関係者が宿泊しているホテルに侵入した。
愛の部屋に行こうと思い付いたのは突発的だった。
結果的に、邪魔もなく二人きりになれる貴重な時間となった。
愛の誘導もあり、無事にホテルから脱出した。

今日は試合を終え、ドイツ代表一同で会場内の選手専用の通路を歩いている時だった。
まだ身体を動かし足りない俺たちは、練習用コートで特訓をする予定だ。
すると、突然背後から誰かに両腕を引っ張られ、死角となる自販機の裏へと引きずり込まれた。

「…!」

口元に人差し指を遣り、しーっと言ってみせるのは俺の恋人だ。
俺を待ち伏せていたのだろうか。
選手である愛は俺たちがこの通路を通ると知っているし、大型自販機があるのも知っている筈だ。
二人で寄り添い、至近距離で見つめ合いながら息を潜めた。
俺がいなくなった事に気付かなかったドイツ代表の足音が消えると、日本代表のユニフォームを着ている愛は微笑んで言った。

『試合観てたよ。

お疲れ様、かっこ良かった。』

「ありがとう。」

愛は時々俺の試合を観に来ているし、俺が愛の試合を観に行く時もある。
お互いに練習の関係でなかなか時間が合わないのが現状だが、愛が同じ国内にいるのだと思えば力が湧く。

「それよりも、何故此処にいる?」

『待ち伏せ。

びっくりしたでしょ、昨日の仕返し。』

俺は小さく笑うと、愛の頭を撫でた。
昨日は欲に抗えずに愛を押し倒してしまい、視野の反転を目眩と勘違いさせてしまった。
思い出すと複雑な気持ちになる。
愛が視線を落としたかと思うと、俺の胸元にあるGERMANY≠フ文字を手でぎゅっと握った。

『そろそろこの文字も許せるかなと少しだけ思ってた、けど…。』

愛は俺を上目遣いで睨んだ。

『気のせいだった。』

舌を出しながらべーっと言った愛を可愛らしいと思う。
俺から離れて立ち去ろうとした愛の手を取り、引き留めた。
再び自販機の死角に入り、愛を背後から抱き締めた。
華奢な肩を強く引き寄せると、愛が俺の手に自分の手を重ねた。

『…行かなきゃ。

キャシーとの約束があるの。』

愛にはアメリカ代表のキャサリンという名の友人がいる。
5歳年上らしいが、国際宅配便を利用して土産物を送り合う仲だそうだ。

「その前に、一つ訊かせてくれ。」

『ん?』

「お前は俺を…。」

お前は今、俺を如何思っているのだろうか。
今でも好きだと言ってくれるのだろうか。
目移りなどあり得ないと言ってくれたのを、信じてもいいのだろうか。
不安は後を絶たない。

「…すまない、何でもない。」

『不安なら見限って?』

「断る。」

俺を見上げた愛の顔を覗き込むと、愛は頬を赤く染めていた。

『あたしはちゃんと…。』

「……。」

言葉の続きを待ったが、愛は言い淀んだ。
触れ合っているにも関わらず、心の距離がある。
だからこそ、言葉にして貰わなければ不安な自分がいる。
俺が目を伏せた時、愛は顔を傾けて口付けてきた。

「…!」

『……言わない。』

「言ってくれ。」

『年末にね。』

愛が小さく身じろぎし、もう行くのかと思った。
俺が腕を緩めて愛を解放すると、愛は俺と向き合い、真正面から抱き着いてきた。

「愛…?」

『年末まで逢うのは控えよう?』

安易に返事など出来はしなかった。
愛は俺の肩口に額を当てた。
その声が震えている気がした。

『お互いに試合に集中しなきゃ。

特に国光はドイツ代表なんだから、責任重大でしょ?』

「お前がそう言うのなら…分かった。」

愛が顔を上げた時、二人で暫くお預けとなる口付けを交わした。
繋いだ手の指を絡め合った。
まるで名残を惜しむかのように。

『帰国したら連絡して?』

「分かった。」

手の温もりがそっと離れた。
愛は先に自販機の裏から抜け出すと、俺に微笑んだ。
そして、振り返らずに走り去った。
帰国すれば、やっと連絡出来る。
それまでは兄の不二から愛の様子を聞こう。
愛から数分遅れて、俺もその場を去った。
次に逢う時は愛の前に堂々と立てるように、全力でW杯に挑もう。
愛はきっと、遠くから見ていてくれる。



2017.8.3




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