ドイツ人の挑発
U-17W杯の開催国、オーストラリア。
この地の季節は春から夏へと移行しようとしていた。
日本で着ていたコートはホテルでお留守番。
日本女子代表のユニフォームに着替え、気を引き締めた。
新しくなった防水機能付きスマホをポケットに入れ、小物も入るラケットケースを片手にホテルを出た。
玄関口には既に待ち合わせをしていた女の子が待っていた。
『おはようございます。』
「おはよ、愛ちゃん。」
同じ日本代表の選手の中でも、一番仲良くしてくれる女の子だ。
今からこの女の子の壁打ちに付き合う。
黒髪ショートのボブが可愛らしい選手で、あたしより3つ年上だけど、気兼ねなく接してくれる優しい人だ。
同じ青学出身だから、先輩にあたる。
「試合前日って身体動かしたくなるよねー!」
『それ分かります!』
壁打ち場へ到着すると、既にその場には先客がいた。
しかも男の人で、日本人じゃないのはすぐに分かった。
此処は日本女子代表チームのホテルが一番近い壁打ち場なのに、外人さんがいる。
その人の物らしき荷物がベンチに乱雑に置かれていて、あたしたちの置き場所がない。
「如何する?」
『うーん。』
あたしは外人さんが壁打ちをしている背中を見ながら考えた。
W杯は男女共に開催されるけど、ホテルは男女にも国別にも分かれている。
お兄ちゃんとは同じホテルじゃないけど、他国のホテルよりは距離が近い。
「あのユニフォームってドイツのじゃない?」
『!』
本当だ、背中にGERMANY≠フ文字がある。
ドイツといえば国光だけど、今は何をしているのか全く分からない。
お兄ちゃんがオーストラリアに到着したら国光に関して話があると言っていたけど、何の話だろうか。
何がともあれ、ドイツ代表には関わりたくない。
「別の壁打ち場を探そっか。」
『そうですね。』
二人でドイツ代表の男の人に背を向けた時、空気を斬るような音がした。
あたしは反射的に振り向き、先輩の頭に向かって飛んできたテニスボールを片手で受け止めた。
回転のかかったそれは掌の中で動きを止めたけど、摩擦熱がジリジリと痛かった。
先輩は目を丸くし、冷や汗を掻いた。
「あ、ありがと…わたしに当たるとこだった…。」
W杯中は特に神経を張り巡らせているあたしは、この先に悪い展開が待っているとしか思えなかった。
テニスボールをラケットでぶっ飛ばしてきたドイツ代表の変人を無表情で睨んだ。
『先輩、下がって。』
「っ、愛ちゃん…。」
変人は何かを言いながらあたしたち二人に向かって歩いてきたけど、ドイツ語なんて分からない。
あたしは無意識に先輩の前に立ち、男の人から庇った。
すると、男の人が悠々とした笑みを浮かべながら言った。
「愛、フジ?」
『!』
片言の日本語で名前を言われた。
前髪を纏めて括り上げている不思議な髪型の変人は、挑発的な笑みを向けてきた。
すると、あたしを指差して言った。
「World junior champion?」
これまた片言の英語だ。
あたしの警戒心は全く解けない。
『先輩、人を呼んできて下さい。』
「分かった…!」
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