隠された過去

―――さよなら。

あれは離れるというよりも、別れに近かった気がする。
愛が微笑みながら涙を零す顔が、脳裏に焼き付いて離れない。

俺はドイツに単身で渡って以降、ドイツのプロテニスプレイヤーのトレーニングパートナーとして、未だ嘗てない程にハイレベルな鍛錬を積んでいる。
テニスの腕が確実に上がっているのを実感する日々。
それでも、心の中には常に物足りなさがあった。

宿泊先でシャワーを浴び、今日の汗を流した。
ラフな格好に着替えた後、掌にキーホルダーを乗せて眺めていた。
愛とお揃いのイルカのキーホルダーだ。
2ヶ月程前の誕生日を思い出すと、胸が閉塞感に襲われた。
すると、テーブルの上のスマートフォンが振動した。
やはり期待してしまうのは、たった一人の名前。
それに近い名前が表示されているのを見て、俺は目を見開いた。

「……もしもし。」

《やあ、手塚。》

不二周助は愛の実兄だ。
不二と話すのは俺がドイツを訪れて以降、初めてだ。
妹を溺愛する兄が、俺に何の用だろうか。

《君に話があるんだ。》

「何だ。」

《去年のU-17W杯の事だよ。》

去年のW杯?
確か、愛は出場していない筈だ。

《愛は君に話そうとしなかったけど、君には聞く権利がある。》

愛と話した時とは別の胸騒ぎがした。
何故か愛の涙が見えた気がした。

「聞かせてくれ。」

《勿論だよ。》

不二が話し始めたのは、愛の隠された過去だった―――


去年末、U-17W杯に選抜された愛は出場選手の中で最年少。
特例で中学生未満の愛が出場を認められた。
その才能を誰もが認めていたが、妬む者もいた。

開催国であるフランスに到着し、第1試合を翌日に控えたある日。
日本女子代表と合同で夕食を終えた後、愛は補欠の選手に呼び出された。
中世のヨーロッパを感じさせるクラシカルな街並み、其処が運命の分かれ道だった。

『如何かしたんですか?』

突然呼び出されても、愛は何も不審に思わなかったらしい。
補欠の選手が裏に隠していた表情を見せるまでは。
憎悪の目で睨まれた時、愛は危機を感じたらしい。

「なんで17歳のあたしじゃなくて、11歳のあんたなの。」

『…え?』

「あんたなんて…!!」

愛はフェンスの隔たりがない車道に突き飛ばされ、身体がふらりと傾いた。
急接近する大型バスに命の危機を感じたらしい。
急ブレーキとクラクションの音が鳴り響いた。
愛は咄嗟の判断で左手を犠牲にし、大型バスの衝撃を逸らした。
その反動で歩道まで戻り、弾かれるように倒れ込んだ。
大型バスの急ブレーキによって速度が落ちていた事や、愛の左手のいなし方が上手かったのもあり、骨折を免れた。
左手首の重度の捻挫、全身の打ち身、打撲。
日本代表のエースは味方の選手の妬みによって、欠場を余儀なくされた。

愛はこの事件で世間を騒がせるのを避ける為、公では不運な事故にあったと説明した。
街灯の少ない夜に起きた事件で、明確な目撃証言はなかった。
それを逆手に取った。
その裏では、テニス協会が愛に怪我をさせた選手の選手登録を抹消。
国内外の試合から永久追放した―――





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