思い出される兄

部活へと向かう手塚先……違う、国光を見送り、青学の門を抜けた。
今日は部活に参加せずに、テニススクールへ行く予定だ。
テニススクールには優秀なコーチがいる。
元世界ランキング5位にまで登り詰めた男性コーチで、ドイツ生まれだけど日本に移住して日本国籍を取得している。
あたしを気に入ってくれているそのコーチは、時間を作ってマンツーマンでみっちりしごいてくれる。

まだ時間があるなと思いながら、あたしは青学前でバスを待っていた。
すると、道路の向こうに怪しい人影が見えた。
一軒家の傍にある電柱の裏に隠れながら、ノートを取っている一人の学生。
早々と興味が湧いた。
その人の制服が裕太お兄ちゃんの通う聖ルドルフの物で、しかもテニスバッグを持っていたからだ。
あたしはバス停を離れ、ぐるっと大回りしてその人の背後にやって来た。
背後からそろそろとノートを覗き込むと、打倒青学の文字が見えた。
乾先輩と同じデータマンのようだ。

『偵察ですか?』

「んなっ…!!」


―――ごんっ!


驚きの余りに前のめりに転倒したその人は、目の前にあった電柱におでこをぶつけた。
聞くだけで痛そうな音だ。
ノートとペンが転げ落ちた。

『ご、ごめんなさい。

こんなにびっくりされるなんて…。』

その人はおでこを抑えながら、しゃがみ込んで悶絶している。
早く冷やさないと、痣になってしまうかもしれない。
あたしは慌ててテニスバッグの外ポケットを開け、中から救急箱ならぬミニ救急ポーチを引っ張り出した。
それを開け、ペンギンの顔模様の瞬間冷却剤を取り出した。
手で軽く叩くだけで冷える優れ物で、ドジなあたしは毎日持ち歩いている。
ペンギンにごめんねと言ってからそれをパンと叩くと、その人の手を掴んでおでこから離し、冷却剤を其処に当てた。
その人は目を丸くした。

『大丈夫ですか?』

「だ…大丈夫です。

僕とした事、が……」

至近距離でバチッと目が合った。
一瞬女の人かと思ったけど、男の人だ。

「な、なんとお美しい女性なんでしょう…!」

『へ?』

その人のおでこに冷却剤を当てながら、きょとんとしてしまった。
お美しい≠ネんて言われたのは人生で初めてだ。

「お名前を教え………貴女はもしかして裕太君の…。」

『お察しの通り、妹です。』

「なるほど、確かにテレビで見ても美しいとは思っていましたが、生で見るとこんなにも美しいとは…。」

『はい?』

何だかこの人、危険そうだ。
ぎこちない笑顔を向けてしまった。
とりあえず冷却剤を渡し、落ちていたノートとペンを拾い上げた。

『どうぞ。』

「ありがとうございます。」

その人はシャキッと立ち上がると、冷却剤をおでこに当てたまま言った。

「申し遅れましたが、僕は観月はじめ。

聖ルドルフ学院の3年生です。」

『青学1年の不二愛です。』

「さて、突然ですが貴女から見た裕太君とは?」

早速ノートを開いた観月さんは、データを集めようとしているようだ。
みすみすデータを取られるつもりはない。
あたしは迷わず即答した。

『おでこにペケポンです。』

「ペケポン…?」

観月さんは口を半開きにした。
裕太お兄ちゃんは同性の兄、周助お兄ちゃんを疎ましく思っている。
天才不二周助の弟として見られるのが嫌だからだ。
でも、疎ましく思われているのはあたしも同じなんだ。
裕太お兄ちゃんは天才不二周助の弟、全日本女子ジュニアチャンピオンの兄。
板挟み状態で青学を退学し、聖ルドルフへと転校して家を出てしまった。
寮暮らしだから滅多に逢えないし、連絡だって一切寄越さない。
裕太お兄ちゃんの事を思い出さないようにしていたのに、凄く哀しくなってきた。
青学男子テニス部は明後日に控えている都大会の決勝で聖ルドルフと対戦する。
同じ会場で女子テニス部の試合があるから、時間によっては観に行けるかもしれない。

「如何かしましたか?」

『いえ、お兄ちゃんのおでこを思い出していました。』

「んふっ、面白い人ですね。

とても素敵です。」

んふ?
観月さんは変な笑い方をすると、おもむろにスマホを取り出した。
まさか裕太お兄ちゃんに連絡するんじゃないか、と身構えてしまった。

「僕と貴女が此処で逢ったのも運命でしょう。

さあ、連絡先を交換しましょう。」

『はい?』

運命?
如何しよう、誰か通りすがって助けて頂けませんか。
冷や汗が滝のようだ。
この状況を如何切り抜けようか考えた時、一つの打開策が浮かんだ。
一秒でも早く実行に移すまでだ。
青学の方向を指差し、大きな声で言った。

『あっ、不二周助!』

「何ですって…!?」

観月さんが顔を背けた瞬間、あたしは猛ダッシュした。
連絡先なんて教えたら、お兄ちゃんたちの事を聞かれまくるとしか思えない。
テニススクールの方向に爆走し、通行人の視線を無視して歩道を駆け巡った。

裕太お兄ちゃんの事を思い出してしまうと、気持ちが急降下して切なくなる。
頭がぐるんと回る感覚がして、前につんのめってビターンと転倒してしまった。
君、大丈夫?と通行人から声をかけられ、すぐに起き上がった。
大丈夫です、と笑ってみせた。
左の掌を少しだけ擦りむいてしまった。

裕太お兄ちゃんはあたしの事が嫌いなのかな。
折角の兄妹なのに。
早くテニススクールでコーチに特訓して貰おう。
気持ちを切り替えられるのは、テニスの時だから。



2017.1.3




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