噂の効力
3年生の先輩と練習試合をしていると、嫌でも聞こえる声がある。
男子テニス部のコートできゃーきゃー言う女子ギャラリーの声だ。
「手塚先輩ー!」
「きゃー!」
「かっこいいーっ!手塚先輩ー!」
「手塚先ぱああい!!」
何が手塚先ぱーーーいよ!
手塚先輩はあたしの彼氏だっていうのに!
手塚先輩があたしと交際している噂が全学年に流れた途端、手塚先輩ファンのギャラリーが何時も以上にヒートアップしている。
男女テニス部のコートは結構な距離がある筈なのに、きゃーきゃーと反響して聞こえる。
普段のあたしなら試合をしていると集中出来る筈が、噂になったばかりの今日は難しい。
思わず力んでしまい、手加減を忘れた。
先輩からのサーブをバックハンドで返そうと構える。
バックハンドクラッシャー!!!
某カードゲームアニメに登場する神のキャラクターの技名を文字り、完璧にリターンエースが決まった。
今のあたしの顔はきっと手塚先輩以上に無表情だ。
先輩が思わず言葉を詰まらせるくらいに。
「ふ、不二さん今のリターン凄――」
『次……あたしからサーブいきます。』
明後日は都大会の決勝だ。
S1で試合が最後に回ってくるから、出番があるとはいえない。
それでも今は集中しなきゃ。
手塚先輩も集中しなきゃいけない筈なのに、交際の噂がきっかけで余計にきゃーきゃーと騒がれている。
やっぱり申し訳ない気持ちがある。
ベースラインに立ち、ボールをバウンドさせた。
その瞬間、完全にスイッチを入れ直した。
まるでボールに八つ当たりするかのように、力強くサーブを打った。
部活が終わってから着替え終わり、桜乃ちゃんと正門へ歩いていた時。
女子の集団から遠巻きに見つめられているのが分かった。
ひそひそ話をしているつもりかもしれないけど、地獄耳のあたしには聞こえた。
「あの子よ、手塚先輩の彼女かもしれない子。」
「でも凄く美人よねぇ…。」
「手塚先輩が選んだなら仕方ないかも。」
「めちゃくちゃ悔しい!けどそうかもね…。」
びっくらこいた。
まさか渋々ながらも認められているとは。
「あ、愛ちゃん。」
『ん?……あ。』
桜乃ちゃんが後ろを指差していたから、あたしも振り向いた。
視線の先には男子テニス部のレギュラー陣がいた。
お兄ちゃんがあたしに軽く手を振ってくれたから、あたしも振り返す。
越前君の姿もあったから、桜乃ちゃんが顔を赤くしていた。
明日の午前中だけ桜乃ちゃんにテニスを教える事になったから、拗ねているように見える。
そして、大好きな手塚先輩。
ポーカーフェイスで何も言わないけど、あたしにしか分からないくらいの穏やかな目で、あたしを見てくれているのは確かだ。
頭に過るのは、女子ギャラリー共が手塚先輩に向かってきゃーきゃーと騒ぐ声。
何回も手塚先輩手塚先輩手塚先輩って……!
『むかつく。』
「愛ちゃん?」
『桜乃ちゃん、何時も急にごめん。』
あたしは早歩きで手塚先輩の前まで歩くと、その右手を左手でぎゅうっと握った。
こんな大勢の前でのあたしの行動に、流石の手塚先輩も目を見開いた。
「愛、如何した?」
『ちょっと来て。』
手塚先輩の手をぐいぐいと引き、先に門を出た。
レギュラー陣や女子の集団の視線が集中するけど、今は如何でもいい。
早歩きを続けて学校が見えなくなった時、住宅街の中で手塚先輩が言った。
「愛、一体如何したんだ?」
『手塚先輩!』
手を離さないまま立ち止まり、思い切って手塚先輩に向き直った。
手塚先輩は静かに目を瞬かせた。
『あの…。』
「?」
『手塚先輩の事、下の名前で呼ばせて下さい!』
手塚先輩は驚いた様子で何も答えなかったけど、代わりに頭を撫でてくれた。
その優しくて大きな手に、思わずキュンとしてしまった。
胸に充満していた鬱憤が溶け出していく。
「突然如何した?」
『だって手塚先輩が手塚先輩手塚先輩って呼ばれてるのを聞いたら…。』
「同じように呼ぶのが引っかかるのか。」
あたしが小さく頷くと、手塚先輩が微笑んでくれた気がした。
「呼んでみてくれないか。」
急に来た。
緊張で自分の身体が強張るのが分かる。
『っ…く…くに…。』
未だに敬語すら上手く外せないのに、いきなり下の名前で呼びたいと言い出してしまった。
勇気を出すんだ、愛。
あの女の子たちと一緒じゃ嫌なんでしょ。
手塚先輩の目を逸らさないようにしっかりと見つめながら、ぽつりと言った。
『……国…光…先輩…。』
「聞こえない。」
『ク、ク、ニミツセンパイ…。』
「片言になっている。」
『っ、国光先輩…!』
「先輩を外せ。」
『国……ええっ?!』
びっくらこいたなどという間抜けな台詞では表現出来ないくらいに胸が跳び上がった。
手塚先輩は本気だ。
あたしが手塚先輩を呼び捨てなんて、考えた事もなかった。
手塚先輩は動揺するあたしを真っ直ぐに見つめている。
『……………国光。』
勇気を振り絞って言った名前に、手塚先輩が微笑んでくれた。
「ありがとう。」
如何してお礼なんだろう。
あたしが不思議そうに手塚先輩を見ていると、また頭を撫でてくれた。
嗚呼、本当にこの人が大好きだ。
今すぐに抱き着いてしまいたい。
家で名前を呼ぶ練習をしなきゃいけないなぁ。
お互いの手を離さないまま、ゆっくりと歩き始めた。
2016.12.21
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