風呂場からの水が跳ねる音と冷蔵庫が稼働する機械音が耳について落ち着かない。夜も更け今の時刻は0時過ぎ。終わらない、現代文の問題集が終わらない。ちょっとこれ範囲広すぎるんじゃないの、と叫びたい気持ちを抑え、こういうものは日々こつこつとやるものなのだ、と自分に言い聞かせる。提出期限は明日と言いたいところだが、日付が変わってしまったので今日ということになる。
私が特徴の“徴”を、悩みに悩んだ挙げ句“微”と書いたところで、脱衣室のドアがガラリと開いた。つい先ほど風呂場からの水音が止んだことには気付いていたが、それにしても出てくるのが早いな、と思って顔を上げてぎょっとした。

「わ、まだ勉強してたの?」
「リュ、リュウジ…!?」

わなわなとリュウジの下半身を指さすと彼はタオルで濡れた髪を拭きながら首を傾げる。

「?なに?」
「…っ、?なに?じゃないよ!ふふ服!着て!」

私が顔を真っ赤にしてじたばたと暴れていると、リュウジはパンツ一丁でこちらへと歩いてくる。ぺたぺたと足音を鳴らしながら私の横まで来たリュウジの髪から垂れた水滴が、私の膝に落ちる。何をしようというのかこの半裸男は。何故近付いてきたのか理解出来ずに身体を固まらせていると、リュウジに向けた人差し指を掴まれる。

「ななななんでこっちに来たの?」
「え?だって今“来て”って言ったよね?」

言ってない!と口を開きかけて止める。どうやらリュウジは“着て”をカムオンの方の“来て”だと勘違いしたようだ。日本語のなんと紛らわしいこと。騒ぐことにも疲れた私が絶望混じりにため息を吐くと、リュウジはまたしても首を傾げて机の上の問題集を見た。

「どのくらい終わってるの?」
「三分の一」

私が椅子の背もたれにすがりながら言うと、リュウジはカラカラと笑ってまた私に水滴を落とした。

「まさに“日暮れて道遠し”だね」
「…何よそれ」

日ならとっくに暮れてるわ、と心中で悪態をついて私は大人しく問題集に向かい直す。確かに時間も無いし、急がないとまずい。提出物にばかり気を取られて教科書の範囲だってまだ見れていないのだ。しかも明日の試験教科は現代文だけじゃない。
横で問題集を眺めるリュウジに一瞥くれて、私はシャーペンを握った。本当にまずい。時間が無さすぎる。
私は分からないところをすっ飛ばして、ひたすら分かるところだけを書いていく。たまにリュウジが横から口を挟んできて、焦っている私が彼のむき出しの横腹を殴ったりと、急ぎに急いでなんと30分とちょっとで終わらせた。

「半分は空欄だけどね〜」

頭の後ろで手を組んで笑うリュウジの無防備な横腹を手刀で突き、うめき声を聞き流して赤ペンを握る。寧ろ面倒なのはここからで、リュウジが言った通り半分が空欄なので答え合わせも一苦労なのだ。おそらくこちらも30分ほどかかるだろう。

「リュウジやっておいてよ」
「え〜、それはなまえの為にならないと思うよ」

もっともな事を言うリュウジに何となく目を細めながら、私は諦めて丸付けと正答の記入を始める。
そしてふと思った。私が問題を解いている間、リュウジはずっと隣に居てくれて、今もまだそうしてくれていること。私が的外れな解答を書くと茶化していたが、それ以外はとても静かだった。邪魔しないように、でも私が寂しくならないように傍に居てくれているのだろうか、なんて考えたら急に身体が熱くなってきた。
私が特“微”に大きくペケを付けて横に“徴”と書き加えると、リュウジが横で小さく噴き出した。

だけど私は何も言えなかった





100523/めぐり
このシリーズのネタ提供は全部きち氏。マジで感謝!


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