お気に入りのバッグを肩にかけて、星が瞬く夜に、私は一人で歩いていた。
高いヒールに足をやられ、ずきずきと痛む小指を家に帰って見るのが怖い。もう二度とヒールの高い靴なんて履くものか、と思っても、何だかんだと言って履いてしまうのは何故だろう。クラスの子より少し低い背を憎んだ。
濃紺の夜空を見上げて、輝く星に心を落ち着かせる。視線を元に戻すと、数十歩先の暗闇で何かが動いたような気がして肩が震えた。こんな時、誰かがそばに居てくれたら、そう思う。暗闇に一人ぼっちというのは、いつもより孤独感が増長するものだ。
辺りを見回しても、誰もいない。ごくたまに犬を散歩させてる人が通るが、言葉を交わすわけでもなし。すれ違えばそこで終わり。後はひたすら離れていくのみだ。
ぽつりぽつりとしかない街路灯に心細さを感じ、乾いた唇から音を捻り出す。何となく浮かんだメロディを口ずさみ、かかとを鳴らして拍を取った。
「楽しそうだな。」
不意に背後から聞こえた声に、身体と心臓が同時に跳ねる。心臓が止まるかと思う、とはこのことだろう。無駄に納得してしまったが、悠長に構えている場合ではない。こんな時間にこんな話しかけ方、怪しいことこの上ない。
私が振り向くよりも先に、あちらが私の横に並んだ。恐る恐る見ると、ジャージ姿に華奢な体系、顔は、深くかぶったフードにより見えない。
「な、誰、ですか…?」
物凄く勇気を振り絞った。きっと一生分の勇気だと思う。告白とか、もっと使いどころはあるはずなのに、選択を誤ったかもしれない。
横に並んだ不審者は、私の言葉にくすりと笑った。そして、フードに手をかける。
「分からなくても仕方ないな。最後に話したのは…なまえさんの卒業式だったか?」
そう言ってフードを取った彼の顔には見覚えがあった。何より、私の脳の記憶をつかさどる部分を刺激したのは、その長い髪の毛である。記憶の中の彼は、空色の髪の毛を頭の後ろで一つに結っていたが、今はさらりと下ろされている。
彼、風丸一郎太との最後の記憶は中学の卒業式。陸上部の後輩で、しかも家が隣同士の、いわゆる幼馴染というやつだった。高校に入学してからは、見かけなくなったと思っていたが、まさかこんなタイミングで会うとは。心細かっただけに、とてつもなくありがたい。
「卒業式以来だね、風丸。…こんなところで何してるの?」
「ランニングだ。」
「ああ、陸上、頑張ってるの?」
私がそう言って腕を振ってみせると、風丸は首を横に振った。
「今はサッカーをやってるんだ。色々あって。なまえさんこそ、高校どうなんだ?」
何事も無いように言って歩き出す風丸に、へえ、と相槌を打つが、正体不明の違和感が胸に残る。まあまあだよ、と適当に答えて、小指を痛めつけながら歩く。
「宮坂は相変わらず?」
「何も変わってないよ、あいつも、俺も。」
前髪を揺らして笑う風丸は、なまえさんが居た頃のままだ、と言った。そこで、私は違和感の正体に気付く。疑問が解消され、胸はすっきりしたが、更に新しい疑問が生まれた。
「なんで、さん付けなの?」
首を小さく傾げながら問うと、風丸は苦い笑みを、隠そうともせずにこぼす。
「なまえさんも、もう高校生だからな。何となく、呼び捨てじゃ失礼な気がして。」
そんな彼の小さな変化に、哀愁を感じた。
年の差は変わってないのに、何故こんな変化が生まれるのだろう。通う学校が違うからだろうか。
もし、私と風丸が同学年で、中学を卒業して、別々の高校に行ったとする。久しぶりに会って、呼び方は変わっているか。おそらく変わらないだろう。
やはり、中学生と高校生という差が原因なのだろうが、お互いの変化も、その一つかもしれない。私は高校に入ってから薄く化粧をするようになったし、風丸も、前より大人っぽくなっている。
「私、風丸と同い年が良かったな…。」
「俺もだ。」
つい口から出た願望に、隣を歩く風丸が答えた。表情は下ろされた髪の毛で見えない。
そんなことを言うくらいなら、呼び方なんて変えないでほしかった。中学の時と同じように、笑って名前を呼んでほしいのに。
夜の闇の中に、風丸の空色の髪の毛が星の光に照らされてほんの少しだけ輝いた。
「俺も、なまえさんとずっと一緒に居たかった。」
「風丸…。」
そう言って風丸が深く頭を伏せるから、揃って私も俯く。
「だから、一緒に居てくれないか?」
きらりと星が瞬くのと同時に、風丸が顔を上げた。優しく微笑んでいる。
彼は、戸惑いの声を洩らす私の、ぶらりと垂れた腕を掴んだ。
「学校が違うとか、もう関係ない。一緒に居てほしいんだ。」
風丸の真っ直ぐな視線が私に向けられる。
「なまえさんが卒業して、会わなくなって、…ずっと心に穴が空いてるみたいだった。俺、」
そこで一旦、ゆっくり瞬きをするように私から目を逸らして、風丸は息を吐いた。
星が一層強く煌めく。
きらきらの下で
(多分、なまえさんが好きなんだ。)