☆番外編 | ナノ 「……そういえば」
「ん?」
「気になることがあるんだけど」
「なに?」


夕日の赤が差し込む応接室でぽつりと呟いた雲雀の声に、手元に落としていた視線を持ち上げる。
雲雀の手伝いを終えて持て余した時間で問題集を解いていた千紘は、手にしていたシャーペンを置く。窓からの赤い光を受けた雲雀と視線がかち合う。相変わらず綺麗な顔だ。
眩しさに目を細めながら先を促せば、ひとつ瞬いた雲雀が静かに口を開く。


「君、ここに来るまで親しい友人も恋人もいなかったんだろ」
「えっ、急にものすごい傷抉ってくる……」
「自分でそう言ってた」
「…まあ、言ったけど……」


艶やかな黒髪を揺らして小首を傾げた雲雀は穏やかな口調で鋭く切り込んできた。
なんのことはない雑談だと気を緩めていた千紘は雲雀の発言に面食らう。
無駄な言葉で飾ることをしない雲雀の発言は基本的に常にストレートの豪速球だ。しかも突然投げ込んでくる。
しかもコミュニケーション下手で交友関係をうまく築けなかった千紘にとってはかなりの切れ味である。
そんな千紘の内心などお構いなしに躊躇いのない雲雀の言葉の攻撃は続く。


「耳が弱点とも言ってたよね」
「……言いました、けど…」
「それ、いつどうやって自覚したんだい」
「…………はい?」


真っ直ぐにこちらを見つめたままの雲雀からの質問に、変な汗が滲むのを感じる。
不満を乗せて美しい灰色の瞳を睨んでみるが平然と受け止める雲雀に引く気配はない。
気にならないはずがない。
千紘がこの世界に来て間もない頃、校則違反であるピアスを強引に外そうと耳に触れたことがある。
指が触れた瞬間、身体を竦めた千紘は耳は弱点だからやめてくれと半泣きで懇願してきた。
その時点では千紘がどういう人間なのか知らなかったし気にも留めていなかったが、よく考えればおかしい。


「友人も恋人もいなかった君が、どうして他人の接触が苦手な箇所を自覚してるんだい」
「.……なんつーとこ気になってんのお前…」
「当然の疑問だと思うけど」
「ええ……」


元の世界でほぼ皆無と言って良いほどに人付き合いをしていない千紘が、この世界に来た時点で自分の弱点が耳だと把握していた。
ということはつまり、その希薄すぎる交友関係の中で何かしらの経験を経て『耳に触れられるのは苦手』だと学んでいることになる。
ましてや耳、そうみだりに他人に触れられる箇所でもない。これを気にしない方がおかしいだろう。
しかしそんな胸中を微塵も理解していない千紘は不思議そうにしながらも大人しく記憶を探っているようだ。
呑気に小さく唸りながら視線を上の方に泳がせている。


「ん〜……別になんか特別なことがあったってわけじゃないと思うんだけど」
「きっかけがあったから自覚してるんじゃないの」
「う〜〜ん…?……あ、もしかしてあれかなぁ」


難しい顔をして唸っていた千紘がぱっと表情を明るくする。何か思い当たったようだ。
話すように促せば素直に頷いた千紘がのんびりとした口調で語り始める。


「小学校だったと思うんだけど、持ち物検査で引っかかったことがあってさ」
「うん」
「没収されて放課後に指導の先生に呼び出されたんだよ」
「そんなに妙なもの持ってたのかい君」
「いや、たしか飴が鞄に入ってたはず。俺そんなの入れた覚えなかったんだけど」
「.……へえ。それで?」
「で、念のために身体検査するって言われてポケットとかシャツとか探られたんだけど」
「…………それ」


懐かしいなぁ、などと記憶を辿りながら話す千紘は至って呑気だが、聞かされている雲雀は眉を顰める。
思い出すために視線を彷徨わせたままの千紘はそんな雲雀に気が付かず、のんびりと話を続ける。


「首元触られたときに先生の指が耳に当たって、それがものすごくぞわぞわして振り払っちゃったんだよね」
「…………」
「先生もびっくりしてたけど俺もびっくりして。それがたぶん自覚したときじゃないかなぁ」
「……それで?」
「え? いやだからこれがきっかけ……あれ、雲雀なんでそんなこわい顔してんの」
「そのあとどうしたの。ちゃんと逃げたんだろうね」
「に、逃げる? ちゃんとごめんなさいしたよ。先生も許してくれた」


ごめんなさいしたじゃない。むしろされる側だろ。
危険物を所持していたならまだしも飴を持っていただけの小学生に身体検査までする必要がどこにあるというのだ。
殊千紘に関して言えば子どもの頃から食への関心が薄かったことは想像に易く、飴などわざわざ持ち込む筈がない。
どう考えても違反を口実に千紘を呼び出し良からぬことをしようとしていたとしか思えない。
眉間に皺を刻む雲雀に慄きつつ、当の千紘はきょとんと不思議そうに首を傾げるだけだ。


「君、本当によく何事もなく生きてきたね」
「ええ? なんなの雲雀……聞かれたから答えただけなのに…」
「……君、本当に無事なんだろうね」
「は?」


きつく見据えた先の千紘は相変わらずだ。
決して女顔という訳ではないが全体的に柔らかな空気を纏う千紘に男臭さは無く、いわゆる『そういう対象』として見られやすい。
加えて本人のこの危機感の無さである。正直既にそういう事件に巻き込まれていたとしても不思議ではない。
確かめるように重ねて尋ねるがこちらの意図を汲めないようで、幼い表情で見返してくるだけだ。
その顔に拍子抜けしてひとつ息をつく。
まあ過去はいい。
その人物は既に世界ごと置いてきたのだ。一度咬み殺しておきたいところではあるが。


「どうであれ、今後は君を咬み殺す」
「エッ!? き、急になに? コワ…………」


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2022.1.31 百
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