☆番外編 | ナノ 「やあ」
「…えっ、雲雀?」


とある冬の日、インターホンに呼ばれて玄関の扉を開いた千紘は目を丸くする。
凍り付いてしまいそうな外気の中に佇んでいたのは雲雀。首元に巻かれたマフラーで埋もれた口元からほわりと白い息が上がる。
昼過ぎから降り続いていた雪が辺りにうっすらと積もり、白く煙る世界で雲雀の黒髪が一層鮮やかに映える。
突然の訪問に驚いていた千紘だが、寒さでわずかに赤く染まった鼻や柔らかそうな髪に乗った雪に気が付き、慌てて部屋の中へと雲雀を招き入れる。
素直に足を踏み入れた雲雀の後ろで扉を閉めて冷たい風を遮断する。それまで暖かい室内にいた千紘は外気で温度の下がった玄関で小さく身震いをする。さすがに部屋着では寒い。
千紘の動きを視線で追っていた雲雀に向き直ると、手を伸ばして髪を梳くように丁寧に雪を払う。柔らかい黒髪は冷たい空気と雪で冷え切っており、千紘の指先から体温を奪っていく。


「冷たい……寒かったでしょ」
「そうだね。さすがに冷える」
「だって雪降ってるんだよ。急にどうしたの?」
「…へえ、君が温かく感じる」
「うわっ、つ、つめた…! 雲雀が冷たすぎるんだよ」
「うん。そうだね」


大人しくされるがままの雲雀は雪を落とすように頭を振ると、顔の横にある千紘の手首を両手でそれぞれ掴む。髪と同じく凍えた雲雀の両手には普段は低く感じる千紘の体温がじわりと染みる。
反対に氷のように冷たい手に捕まった千紘は身を竦めるが、逃げることなくそっと雲雀の頬に手を添える。それを静かに受け入れるその頬もやはり冷え切っている。


「ほら、早く上がって。こたつ入れてるから」
「うん」
「暖房もつけようか? 寒いでしょ」
「いいよ。空気は暖かいから」
「そう? じゃあ早くこたつ入って。風邪引くよ」
「その前にこれ」
「うん?」


まだ外の冷たい空気を纏う雲雀に体温を奪われつつある千紘は、居間に置いている炬燵へと雲雀を急かす。
振り込まれる生活費では必要最低限のものしか買わない千紘であるが、唯一強請ったのがこの炬燵だった。もちろん口座の残金で余裕で買える程度なので雲雀への申告は必要ないのだが、律儀にも伺いを立ててきた。
曰く、暑さはある程度我慢できるが、寒さは生命の危機を感じるとのこと。訴えを受け取った雲雀はもちろん快諾した。筋肉も脂肪も少ない薄い身体の千紘に寒さへの耐性があるとは到底思えない。
そんな経緯で購入した炬燵を千紘は日々愛用している。広すぎる部屋でもないため、炬燵さえつけていれば部屋全体がちゃんと暖かくなるのだ。
居間へと続く廊下の途中で立ち止まった雲雀は手にしていたビニール袋を千紘へと差し出す。
がさりと音を立てるそれを受け取り、中身を確認した千紘は目を瞬かせる。
白菜、人参、長葱、豆腐、しめじ、鶏肉。
これはもしや。


「…お鍋の材料?」
「そう。まだ夕食は済ませてないだろ」
「そうだけど……わざわざ買ってきてくれたの?」
「今日は冷え込むそうだからね」
「そっか、ありがと。ええとお金払うよ」
「いらない。そのかわり僕も食べる」
「……もしかして、ここで?」
「うん」


台所に持ち込んだ袋から食材を取り出した千紘はぽかんと雲雀を見上げる。
巻きつけていたマフラーを外し、コートを脱ぎながら食材に目を落としていた雲雀は千紘の視線に応えて瞳を向ける。
部屋の空気に温められて艶の増した長い睫毛から覗く薄灰色の瞳に射止められ、千紘はじわりと頬を紅潮させる。
そして柔らかく目元を緩ませてはにかんだ笑顔を浮かべた。


「…うん。一緒に食べよう」
「随分と嬉しそうだね」
「うん。うれしい。なんでかわかんないけど、なんかうれしい」
「そう」


控えめではあるが素直に嬉しそうな表情を見せた千紘に、雲雀も口元を緩ませる。
空腹を感じることがあまりない所為で食事に関心の薄い千紘が、食べるという行為に対して乗り気であるのは非常に珍しい。良い傾向だ。
お鍋あったかな、と戸棚を探る千紘を置いて、雲雀は洗面所で手洗いとうがいを済ませる。蛇口から流れる水は相当に冷たいはずだがそこまで感じない。まだ温まってはいないらしい。
台所へと戻ると、千紘も手洗いを済ませたようでタオルで手を拭きながら雲雀に声を掛ける。


「雲雀こたつであったまっててよ。お鍋準備して持ってくから」
「僕もやるよ。君にやらせるために来たわけじゃない」
「それは分かってるけど、でもとりあえず雲雀は身体あっためなきゃ」
「平気だよ。君みたいに貧弱じゃない」
「ええ……も〜、わかったよ」


まな板と包丁を取り出す千紘の横に立つと、雲雀は白菜に手を伸ばす。
寒空の中食材を持ってきてくれた雲雀に準備までさせるわけにはいかない、とその真っ直ぐに伸びた背中を軽く押してみたが、ちらりと視線を寄越しただけで動く気配はない。
一度決めたことを曲げることのない雲雀を説得するのはほぼ不可能だということは知っている。
千紘も普段からきっちり料理をしているわけではないので手早く支度を進められるかと言えばかなり怪しい。二人でやったほうが確実に早く終わるだろう。
こうなればさっさと終わらせるしかないと千紘も人参の皮剥きに取り掛かった。



◇◇◇



「…は〜、おいしかった」
「珍しくちゃんと食べてたね」
「うん。お鍋ってすごい。もりもり食べれる」
「そこまで言うほどの量は食べないよ君」
「ええ、そうかなぁ……俺としては雲雀が見た目以上に食べてると思うけど」
「君が少なすぎるだけだよ」


ほとんど空になった鍋を前に、千紘はごちそうさまでした、と手を合わせる。
ネットで調べたりしながら雲雀と作った水炊きは初めてにしては中々の出来だった。普段食の細い千紘だが思いのほか箸が進んだ。
机の上に簡易コンロを設置して火を入れながら食べたおかげで、身体の内側から温まっているのが分かる。足元も炬燵で暖かい。外では雪が降っていることなんて忘れてしまいそうだ。
食後に入れた温かい焙じ茶を啜りながら雲雀を見つめた千紘は、ふわりと顔を綻ばせる。


「…へへ、おいしかったなぁ、お鍋」
「珍しいね、そんなに気に入るとは思わなかった」
「う〜ん、ほらお鍋って1人でしようと思わないじゃんか」
「まあそうだね」
「なんだろうな、なんか雲雀と共同作業してるみたいで楽しかったのかも」
「へえ、楽しいと思えばちゃんと食べれるんだね」
「ね、俺もびっくりしてる」


準備から一緒にやったから余計かも、と微笑む千紘は普段にも増して空気が柔らかい。
鍋と炬燵の熱気で温められた部屋でどうしても気が緩んでしまう。
千紘と同じく湯呑を傾ける雲雀も凛とした姿勢や瞳は変わらないが、獲物を狙うような鋭さはない。沢田たちと対峙するときには決して見せない穏やかな表情や声がとても心地が良い。



「それにやっぱり雲雀が美しかったからなぁ」
「関係あるのかいそれ」
「自分で分かってないと思うけど、食べてる姿めちゃくちゃ美しいんだぞお前」
「食事中よく呆けた顔してた理由が分かった」
「悪いけど誰でも見惚れるからあれは。箸の持ち方とか運び方とかすごいんだから」
「ふうん」
「ほら、そうやって茶飲んでる姿すら完璧に美しい……」
「…まあそれを言うなら、君の食べる姿も悪くないよ」
「……え」


いつでも綺麗な姿勢を崩さない雲雀は何をするにしても動きが洗練されて見える。その中でも千紘は雲雀が食べる姿が一際美しいと思っている。
箸や器を持つ指先、さらに食材に視線を落として伏し目がちになる様までもが余すところなく整っていて、ついつい目が離せなくなる。それを雲雀が意識してやっているのではないところがまたどうしようもなく千紘を高揚させる。控えめに言って最高である。
どこがどう美しいかを力説する千紘に半ば呆れながらも、雲雀も千紘の食事の様子を思い返し口端を持ち上げる。そして告げられた言葉に千紘はぴしりと身体を強張らせる。
そして熱気で赤らんだ頬をさらに染め上げた。


「な、何を言うのお前。まさか俺が食べるとこ見てた…?」
「今回は特に良かったよ。珍しく満足そうに頬張ってたしね」
「ちょ、ちょっとやだ、なんでそんなの見て、」
「口腔が狭いから咀嚼するのに大きく顎を動かすのとか」
「か、勘弁して! やめてよ恥ずかしいじゃんか!」
「君も同じこと言ってるくせに」
「…だって、ほんとに雲雀は美しいんだってば…」
「へえ、まだ言うんだ。僕も続けようか」
「ごめんなさい! もう言わないから勘弁して……」


雲雀から語られる自分の食べ姿がどうしようもなく恥ずかしくなって、千紘は真っ赤な顔で慌てて言葉を遮る。意識していない姿を見られているというのはこんなに恥ずかしいものだったのか。
平然としている雲雀に対して千紘は動揺して乱れた心を落ち着けようと深呼吸をする。顔に集まった熱を冷ますべくぱたぱたと手で扇いでいると。


「千紘」
「うん?」
「またやろうか」
「? なにを?」
「鍋。いやかい?」
「…えっ! い、いやじゃない! けど、いいの…?」
「僕はしたくないことはしないよ」
「……うん。じゃあ、また一緒にお鍋しよう」
「うん」


しっとりと艶やかに微笑んだ雲雀からの誘いに、一瞬目を丸くした千紘は次第に嬉しそうに頬を緩める。
次があるということは、雲雀も千紘との時間を楽しんでくれたということだろう。自分の意思に従って行動する雲雀は他人に対して社交辞令や情けで言葉を述べたりなどしない。その雲雀からの言葉だからこそ安心して甘えられる。
ありがとう、と言葉を噛み締めるようにゆっくりと返した千紘に、雲雀も満足そうに目を細めた。


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2020.1.12 百
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