水源から浄化の力を広めた後、二人はリアの待つ軍支部へ戻った。あれだけのことをやり遂げたというのにミノンの表情には疲弊も見えず、何かが剥がれ落ちたような明るさも保たれている。アレクサンドリアの街に降り立てば、夏の気配を感じさせる澄んだ風が出迎えた。完全に清浄とは言いがたいものの、覆い尽くしそうだった赤黒さはなくなっている。
しかしあと数十歩というところまで来たところで、彼女はぴたりと足を止めた。後ろにいたサラマンダーが何事かと訝しみながら立ち止まる。
「……どうかしたか?」
「…………う、そ……。」
そう呟くと、彼女は集中するように瞼を閉じた。一瞬の後、頭を振って目を瞠る。まるで信じられないとでも言いたげだ。
「……っ!」
何を思ったのか、その場から弾かれたように駆け出す。彼が驚いて後を追えば、彼女はある部屋の前で止まった。ノックしようとした扉を開けられ、のめるように中へ倒れ込む。
小さな悲鳴を上げた彼女は、何者かの腕にしっかりと受け止められていた。漆黒の服。深紫のレース。鈍い銀の鋲飾りや鎖が多く付いている。
誰何を口にするより前に、彼はある異変に気づいた。彼女が――笑っているのだ。
「優輝!」
見知らぬ人の腕に抱かれた彼女は、ひどく嬉しそうな声でそう言った。
「久しぶりだな、美音。」
「久しぶり……!」
改めて部屋の中心で抱き合った二人は、意気の合った様子で笑いあった。しばらくその場から動かなかったサラマンダーが、部屋の隅にリアを見つけて歩み寄る。
「…………どういうことだ?」
「……急にこの部屋に現れたのよ。貴方にはわからないだろうけど、ものっすごい力の持ち主。ミノンちゃんの対で……お友達ですって……。」
リアはソファに深く凭れかかりながら、遠くのものでも見るように二人を見やった。ユウキと呼ばれたその人は、中性的で端正な顔立ちをしている。背丈はミノンよりも頭一つ分ほど大きかった。シンプルな上下に、薄手で丈の長いコートのようなものを前で留めて重ねている。色は全て黒で、銀の飾りがよく目立った。動きに合わせて鎖が彼方此方で揺れる。
「元気にしてたか?」
「……うん、色々……色々あったけどね、今はとっても元気。周りの人、みんな優しいの。……私には、もったいないくらい。」
「そっか。」
ユウキは頷くと、優しく笑った。黒い手袋に包まれた細く長い指が、小さな背を慈しむようにミノンの頭を撫でていく。そんな様子を見ていたリアは、小さく溜め息を吐いた。サラマンダーが会話を再開する。
「……すごい力?」
「うん……まあ方向性は真逆なんだけど、ミノンちゃんと同じだけね。対だから。」
リアはどこか疲れているようだった。ぼうっとした目をしている。「同じ」という言葉に目を見開いた彼は、リアの視線を追うようにユウキを見た。珍しい服以外に特に変わったところはない。内面を知らないこともあってか、ごく普通の人間に思えた。――ミノンに慣れ親しんでいることを除けば。
「ひどいよ優輝、どうして隠れてたの? 気配、消してたでしょ。」
「いや、そしたらびっくりするかな〜ってさ。成功したか?」
「……大成功よ。本当に、すごくびっくりした。」
腕を解くと、ユウキは大きな身の丈を縮めるようにミノンに寄り添った。短く跳ねた黒髪が頬に触れたのか、彼女がくすぐったそうな声を上げる。砕けた言葉遣いも、弾けるような笑顔も、まさに一人の少女らしい姿だった。心を凍らせていた時とは、心を閉ざしていた時とは……似ても似つかない。
「……あんな顔見られて、すごく嬉しいはずなんだけど……。」
吐いた溜め息に乗せるようにして、リアが口を開く。
「なーんか、しっくり来ないのよね。」
それは飲み込めない状況への反発でもあったのだろう。心を病んでいたと言っても過言ではなかったミノンが、まるで年頃の娘のように笑っているのだ。儚く折れそうだった雰囲気は見当たらない。加えて二人の纏う空気は、仲の良い友人を通り越して――恋人のようだ。求めていた姿のはずなのに、受け入れられない気持ちは否定できない。
「……ミノンちゃん、力は戻ったんでしょ?」
「…………ああ。」
「まあ、何があったか訊きはしないけど……ありがとね、サラマンダー。」
「…………。」
「……貴方が頼りなのよ…………きっと、あと、もう少し……。」
リアがそう呟いた時、ミノンが二人の方を向いた。姿勢を直してから一人で歩いてくる。
「リア様、ただいま戻りました。」
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