森宮莉子は突き進む。 | ナノ
とても困った状況【久家拓磨視点】
違法薬物。
クラブなどで声を掛けてきたバイヤーから「楽しい気分になれる」と持ち掛けられて軽い気持ちで購入する輩がいるという。
値段は5,000円など学生も手を出しやすい金額を提示されるから、小金を持っている学生が入手するというトラブルがたまに起こるらしい。
大学側からこんなトラブルがあると様々な注意喚起を受けてきたけど、所詮自分とは別世界の事。
自分には関係ないことだと思っていた。
サークルの飲み会で不自然な動きをする男子学生と、嫌がっている様子の女子学生の存在に気付いた俺は、面倒だと思いつつも先輩として介入した。
嫌がっているからやめろと注意すると、その男子学生は俺に突っかかってきた。
そいつと少し揉み合いになり、俺は座敷席の畳にドスンと押し倒された。その拍子に男子学生の服の胸ポケットから飛び出してきた小さなジップ袋が自分の顔面に着地する。
「おいおいやめろって!」
「店に迷惑になるだろ!」
ほかのサークルメンバーが俺の上に馬乗りになっていた男子学生をどかせてくれた。やれやれとため息を吐きながら自分の顔に落ちてきた袋をひょいと持ち上げると……。
「なんだ……これ」
透明の袋に入った複数の錠剤。
色付きラムネのようにコーティングされたそれらを見た瞬間、嘘だろと思った。
明らかに医療用の薬でもないし、サプリメントでもない。
「返せ!」
男子学生はそれが俺の手元にあると気付くと、飛びついて取り返そうとしたが周りに抑え込まれた。
そのまま飲み会は途中で引き上げてそいつを無理やり警察に自首させた。
警察で薬物検査をしてもらった結果、それはMDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン)と呼ばれるものだった。
覚醒剤のメタンフェタミンと幻覚薬のメスカリンを合体させたような化学構造をしており、覚醒作用と幻覚作用が現れる危険な薬物だ。主に精神錯乱、脳や神経の破壊、心臓や肝臓の機能不全、睡眠障害などを引き起こす。日本では1989年に麻薬指定されている。
警察に自首させた学生だけでなく、警察に付き添っていた俺含めメンバー全員が尿検査を受けさせられた。結果誰も薬物反応はなかった。
しかし件の男子学生だけは罪から逃れられない。違法薬物は所持しているだけでも逮捕されるのだ。
「薬物を一度使用してしまったら地獄の入り口に足を踏み入れたことになる。たったの一度の使用で脳細胞は破壊されて、もう元通りには戻れなくなるんだぞ」
人情派の警察官が真面目に注意していたけれど、男子学生はムッスリしたままだった。
自分のやっていることが悪いことだと自覚していないんじゃないだろうか。
「自分が使うんじゃない。女に使うつもりだった。それでセックスするつもりだった」
その言い訳には俺も警察官も他のメンバーも閉口するしかない。
そいつに付きまとわれていた女子学生は怖がって俺の背後でがくがく震えていた。こういうときの女性の恐怖を実際のところ共感できないけど、理解はできる。
まずいな。この子を警察署に連れてこないで、先にタクシーで帰らせたらよかった。
「今までにそれを使って女性をレイプしたことは」
「ありませんよ。あんたに邪魔されましたから」
こちらを小馬鹿にするように嘲笑する男子学生。
2年のそいつは、前年度の単位不足で進級がかなわず、2年生2回目だ。それで腐ったのか今年度に入ってから態度があんまりよろしくなくなっていたが、とうとう踏み入れてはいけない領域へ足を踏み出してしまったらしい。
莉子がここにいたとしたらきっと、パイプカットしてやると怒鳴っているはずである。
俺は同じ男なのでそこまでは行かないが、許されるならこいつをぶん殴ってやりたい。
お前は人の痛みがわからないのかって。
警察に拘留されたその数日後、男子学生はひっそりと退学していった。
その際、医学部キャンパス前で待ち伏せしていたそいつの母親から面と向かって責められた。
「あなたが黙っていてくれさえすれば」
「あなたがあの子の将来を台無しにしたのよ!」
「警察に突き出すことないじゃないの!!」
俺は自分が間違ったことをしたとは思っていない。
しかし公衆の面前で詰られてちょっと気分が沈んでしまった。
俺が落ち込んでることに莉子はすぐに気づいた。
あの現場に居合わせた友人が事情を話すと、莉子は自分の事の様に憤慨していた。
「はぁ? そんなん逆恨みじゃん。そもそもその後輩が違法薬物を入手しなければ良かったことでしょ。どんな理由があっても後輩のしたことは違法。犯罪行為を未然に防いだ久家くんのその行動が正しいんだからしっかりしろ!」
莉子はバシバシと音が鳴るくらい俺の背中を力強く叩いた。
「特盛スペシャルいっとく? お腹いっぱいになったら考えも落ち着くよ」
フリーパス期限がもうすぐ終わるから今のうち食いだめしようと俺の手を引っ張り、食堂に誘導する彼女の後姿を見て、先ほどまで落ち込んでいた気分が一気に浮上した。
……凄いな莉子は。
言葉一つで俺の落ち込んだ気持ちを引き上げてくれるんだから。
◇◆◇
「久家先輩、こんにちは! お昼ご一緒してもいいですか?」
「……小畑さん」
莉子とふたりで昼食を楽しむつもりが、後輩の登場である。
例の事件で後輩の女子を助けたことで、その子から好意を持たれた。
困った。とても困った。
しかもよりによってうちの父の知り合いの娘だった事が判明して、いつものように突き放せない。
相手方の両親からうちの親にお礼の連絡が行ったらしく、少し面倒になってしまったのだ。うちの病院で昔、勤務医として働いていたドクターが後輩の父親なのだ。
「莉子ちゃぁぁん、恵まれない俺にお恵みをぉぉ」
どうしたものかと考えていると、どこからか北堀がやってきた。
莉子と距離が近い男子であったので警戒していたが、ここ最近はずっと腹を空かせている奴にしか見えなくなって、いちいち牽制するのも馬鹿らしくなってきた。
「これは久家くんに食べさせるつもりで注文したから、久家くんにお伺いを立てなさい」
「久家さま、お願いしますぅ、昨晩から水しか飲んでないんですぅ」
「……そんな生活を続けていたらいつか倒れるぞ」
仕方ないな、といくつか多めに取り分けてやると、「ありがとうございます。うめぇよぉ」と半泣きで食べ始めた。
俺は高校時代まで経済格差というものをあまり意識していなかったが、大学に入って莉子から指摘を受けて以来、周りを見てみると本当にいろんな人間がいるのだと実感することが増えた。
そして自分は本当に恵まれた立場にいるんだなって痛感した。
「……おにぎり無料クーポンがまた配信されたけどいるか?」
「えっまたくれるの!?」
「いいぞ」
莉子とのふたりっきりの食事にお邪魔虫が割り込んできたが、小畑さんの扱いに困っていた現状で北堀の乱入はありがたかった。
北堀の勢いに飲まれた小畑さんは静かに食事をしていた──いや、対面にいる莉子を鋭く観察していた。
これは面倒なことになる前にどうにかしなくては。
ぎりぎりと偏頭痛を覚えて俺は額を抑えたのである。
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