三森あげは、淑女を目指す!【紅蓮のアゲハって呼ぶんじゃねぇ】 | ナノ



清く正しく美しく! 三森あげはを夜露死苦!
ぼんやりしている心にこそ恋の魔力が忍び込む。【前編】


「あげはは淑女になりたいって言っているけど、なってどうすんだ?」

 兄からの質問に、私は即答できなかった。
 そもそも私が雪花女子学園に入ったのは、不良と誤解を受けてきたので、それから逃れたかったからだ。腕っぷしの強いゴリラと呼ばれるよりも、清楚可憐な淑女と呼ばれたい乙女心である。淑女になってどうするかと言われても…どうにもならないだろう。自己満足で終わると思う。
 私は食べかけのカレーを睨みつけながら唸った。

「まぁそれはどうでもいいんだけど…淑女になりたいって言うなら喧嘩せずに逃げろ。あんま嗣臣の奴心配させんなよ。この間変な男に襲われたんだろお前」
「え…?」

 襲撃には身に覚えがありすぎてどのことを言っているのか……アシンメトリー男のことか?

「あげはは女にしては強いけど、腕の立つ野郎なんて腐るほどいるんだ。あんま過信するなよ」

 兄が珍しく兄らしい発言をしている。
 明日は雨でも降るのであろうか。それともなんかやましいことでもあるのかな。

「…兄貴こそ、手ぇ怪我してんじゃん。…喧嘩してきたんでしょ」
「ん? あ、ホントだ」

 拳に擦り傷をこさえているじゃないか。過信してるのはどっちだよ。
 不良やめたとは口では言っているけど、趣味のバイクで遠乗りしてるし、昔からの仲間と遊んでいるので、あんまり変わっていない気がする。お巡りさんをおちょくるのをやめただけマシなのだろうけど。

「お話し合いじゃ満足できない相手に殴りかかられたから仕返ししただけだよ」

 まぁそれなら仕方ないな。
 正当防衛なら仕方ない。

 しかし、兄もよく暴力的な人間と遭遇するな。どうしても絡まれるのは三森家の血なのだろうか。
 それとも見た目からして舐められてしまうのだろうか……こんな大男相手に喧嘩売ろうなんざなんという命知らずな相手なんだろう。


■□■


「ありがとうございましたー」

 夏休みの宿題ならぬ、洋裁の課題の材料を買いに来た私はげんなりしていた。夏休みの間にこの課題を仕上げなきゃいけない。ミシンを避けられない。今から考えるだけで震えが止まらないのだ。
 今年の課題はブラウスだ。
 そんなもん作らなくても買えばいいじゃんと思うのだ…。ちなみに3学年になるとドレス制作の課題が出てくるらしく、今から恐怖に震えている。そのドレスを文化祭の時にファッションショーのようにお披露目するんだって……無様なドレスを身に着けた自分の将来図しか思い浮かべなくて涙が滲んできた。

「あの…」
「はい?」

 手芸店を出てきた私に誰かが声を掛けてきた。振り返るとそこには清楚な女子大生っぽい女の人が立っていた。
 誰だ? と不思議に思っていると、女性は遠慮がちに微笑んでいた。

「…三森琥虎さんの妹さんよね?」
「……そうですけど」
「ごめんね、突然声を掛けて」

 私はまたか、と思った。
 ただ今回の女性は兄の好みとは外れている。ブラウスとシフォンスカートの似合うおとなしそうな女性は化粧っ気が薄く、歴代の兄の遊び相手にいないタイプであった。

「これを琥虎さんに渡しておいてほしいの」
「はぁ…」

 手渡されたのは小さな紙袋、中にはお菓子。市販のお菓子っぽいけど……なにこれ。

「あの〜…兄は節操なしなので、後で泣きを見ると思いますよ?」

 私は恐る恐る忠告した。
 不良卒業したと口で入っている兄であるが、女遊びの癖が抜けているかと言われたら怪しい。今でも兄の彼女候補が家にやってきては兄に迫っているのを見かけるので……兄を狙っているなら、傷の浅いうちに諦めたほうがいいよ…
 私の忠告に女性は目を丸くしてぽかんとしていた。一拍置いて理解したようで、眉を八の字にして笑っていた。

「そうじゃないの。一言お礼を言いたいだけなの。なかなか彼に会えなくて」

 クスクス笑いながら否定された。
 彼女いわく兄に直接お礼を言おうとしたけど、尽くタイミングが合わず……そんでもって妹である私の存在を知っており、偶然ここで見つけたので、慌ててその辺のお店で御礼の品を買ってきたそうだ。
 手芸屋さんで私がひとりでブルーになっている顔を見られたかもしれないのか…。そんな発見の仕方ってある…?

「この間私が元カレに付きまとわれているところを助けてもらったの。彼は通行の邪魔だからどかしただけって言っていたけどね」

 ……あの拳の怪我はそれだったのかな。
 彼女はブラウスの上から腕を擦り、思い出したように憂鬱そうな表情を浮かべていた。

「元カレには暴力振られてて…見えないところに沢山痣を作っていたのよ。それなのに私は自分が悪いんだって思い込んで萎縮してたの」

 擦っているのは、痣があった場所であろうか。与えられた痛みを思い出しているのかな。
 女に手をあげる男にはろくな野郎がいないよ。女を自分の思い通りに支配したいと思っているだけで、そこには愛がないと思う。

「あの時も怖くて元カレの手を振り払えなかったけど、琥虎さんの一喝に勇気をもらったのよ。ようやく呪縛から解かれて悪縁を断ち切れたの」

 ……兄よ。
 たまにはいいことするじゃないの。
 あれ、だけど彼女希望のカナさんも男に絡まれているのを助けられたとか言っていたな……女性に優しいのかそうじゃないのかよくわからん男だ。
 女性は「だからこれはその御礼。本当は本人に直接渡したかったのだけどね。いいお兄さんね」と兄を褒めた後に晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
 なんかすっごくむず痒いな……

 挨拶もそこそこに会釈して別れると、私と女性は反対方向の道に進んだ。


「きゃあっ」

 しかし、数メートル進んだ先で、悲鳴が聞こえてきた。
 嫌な予感がした私は慌てて今歩いてきた道を引き返し、女性が進んでいった裏路地を覗き込んだ。
 そこには先程の女性と男の姿があった。清楚な女性とは正反対のチャラチャラした兄ちゃんである。

「やっと見つけたぞ…来い!」
「い、いやっ!」

 女性は怯えていた。もしかして例の暴力元カレ…? 彼女は怖がりながらも掴まれた腕を振りほどこうと抵抗していた。
 だが、それが癇に障ったのか、男は空いた腕を振りかぶった。──ぱしんっと叩かれた頬。彼女は目を白黒して倒れ込みそうになっていた。

「手間を掛けさせんな! 俺はまだ承知したわけじゃねーからな!!」

 叩かれた彼女が呆然としているその隙を利用して、男は路地裏向こうに停まっていた車の後部座席に女性を無理やり押し込んでいた。

「ちょっ! 待て!!」

 私が慌てて声をかけると、男はこっちを振り向いたが、鬱陶しげな顔をするだけで。さっさと運転席に回って車に乗り込んでしまった。

「待てってば!!」

 駆けつけるも遅く、私の手が車の扉に届く前に車は発信してしまった。車の排気ガスの匂いに私は顔をしかめた。
 追いかけようにも向こうは車。私はここまで電車で来たのだ、追いかける手段がない。

 女性は知らない人だ。助ける義理なんかないんだけど…嫌な予感しかしないのだ。
 あんな感じの男だから、一方的に別れを告げるしか出来なかったのかもしれない。今まで受けてきた暴力よりもひどい目にあうかもしれない。
 そうなれば、目覚めが悪い。

「あげはー? なにしてんだこんなところで」

 ドゥルルンとエンジンを吹かせながら真横に停まったのは二輪車だ。ヘルメットのアイガードを開けながら声を掛けてきた人物を見た私はハッとした。

「兄貴! あの車追って! 白のセダン。女の人が無理やり連れさらわれていたの!」
「はぁ? またお前、他人のゴタゴタに首突っ込んで」
「兄貴にも関係あるよ! この間のケンカ相手! 四の五の言わずに早く!」

 こんなやり取りしてる間にも車が遠ざかって…あ、向こうの信号が赤になった。
 私が急げ急げと急かすと、兄は「全くもー」とぶつぶつ言いながら、座席下からヘルメットを出した。それをかぶれってことらしい。
 素早くヘルメット装着すると、私は後部座席に座った。

「急げ急げ!」

 私は女性が拉致された車を指差して兄を指図した。

 兄のバイクは路肩を器用にスイスイ走行して近づくと、信号待ちしている例の白のセダンの助手席側の窓をノックした。
 ヒョイッと身をかがめて運転席にいる男の顔を覗き込んで見たが、相手はすぐさまアクセルを踏み込んだ。5秒ほど遅れて信号が青に変わる。

 逃げた。
 兄を恐れてなのかは知らんが、明らかに信号無視して逃げた。やましいことだってわかってるから逃げたんだ絶対に。
 それを追尾するように兄の二輪車も発進した。
 
 追いかけっこは続いた。
 市街地から郊外に出ていく。車の後を追いかけている私は思った。追えと支持したのは私だけども……この追いかけっこいつまで続くのかって。
 どうか警察に見つかりませんように。

 次第に追いかけっこは海が見える海岸沿いに場所を映した。こんな状況じゃなければ海が綺麗だとのんびり出来たのに……あの車…いつまで逃げるの…。
 ずっと逃走を続けていたセダンだが、直線道路が続くこの場所でウィンカーをあげると、路肩に停車させた。

「何なんだよお前はぁ!」

 車から下りてきた男は顔を真っ赤にさせてこちらを睨みつけていた。
 怒鳴りつけてきた男に対して兄は肩を竦めてみせた。

「妹が拉致される瞬間目撃したって言うんでね。…お前なにしてんだ?」

 バイクを路肩に停車させた兄はバイクから降り、ヘルメットを外した。暑い時期のバイクである。兄の顔は汗で濡れている。私も同様である。髪の毛が顔に張り付いて不快だ。…熱中症になるかと思った。
 ヘルメットを外すと外の空気が冷たい気がした。あぁ、涼しい。

「お前っあの時の…! この女がふざけたこと抜かしたのはお前のせいだぞ!」
「何いってんだお前。お前が女に暴力振るうから嫌われたんだろ」
「はぁぁん!? お前とは決着をつけたほうが良さそうだな。向こうで話し合おうじゃねぇか!」

 男はそう言って砂浜を指差した。
 この男、あくまで自分の非を認めないようである。…いつまでも元カノが自分のことを好きでいてくれると信じるタイプなのかな…


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