三森あげは、淑女を目指す!【紅蓮のアゲハって呼ぶんじゃねぇ】 | ナノ



清く正しく美しく! 三森あげはを夜露死苦!
恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ【後編】


「…今更じゃない? 今まで散々放置していたくせに」

 自嘲するかのような呟きを漏らしたのは嗣臣さんだった。彼は俯いており、伸びた前髪で目元が隠れてしまっている。その口元は笑っているように見えるが、実は嘲笑っているのかもしれない。

「俺は親の気まぐれに左右されるペットじゃないんだ。親に甘やかされる年齢はとっくに終わったよ」

 俺を男をつなぎとめる道具にしないでくれる? と吐き捨てていた。
 失望というか、諦めというのだろうか。嗣臣さんは興味をなくしてしまった様子で席を立ち上がると、自分のトレイだけを持ち上げて店の出入り口に向かおうとした。

「待ちなさい、嗣臣!」
 呼び止めようとするお母さんの声に一旦足を止めて振り返った嗣臣さんは笑っていたが、それは無理に笑顔を作っているように見えた。

「とにかく、俺は金さえ援助してもらえば問題ないから。今更家族ごっことかごめんだよ」

 皮肉めいた言葉を言い捨てると、店内に続く扉を開けてその場から立ち去った。
 残されたお母さんは「なによ、折角…」とぶつくさ文句を漏らしており……この一場面で自分本意な人だなと印象が深まった。子どものこと、全然わかっていないんだなって。他人である兄貴や両親の方が嗣臣さんの気持ちをわかってあげられているような気がした。

 それはそうと嗣臣さんだ。彼は大丈夫だろうか。私は小走りで移動して、店の出入り口に待ち伏せした。
 程なくして店の自動ドアが開閉して、中から暗い表情の嗣臣さんが出てきた。それと同時に冷たい空気が頬を撫でる。店内はしっかり冷房で冷やされているようである。
 俯きがちだった彼は目の前に仁王立ちするジャージ姿の女を見て訝しげに視線を上げた。その正体が私だと気づくと目を丸くする。

「……あげはちゃん…?」

 彼の顔色は悪かった。そんな彼を見ると私まで苦しくなってしまった。

「…その格好は?」

 私はそこでハッとした。ジャージはともかく、三角巾をつけたままぶらついていたと。慌てて三角巾を外す。

「学校の奉仕活動でそこの市民病院のお掃除を…今は休憩で抜けてきたんです」
「そうなんだ……もしかして見てた?」
「……覗き見は趣味が悪いとはわかっていたんですけど……すみません」

 誤魔化す理由はないので正直に自供した。
 嗣臣さんはそれに気分を悪くする様子もなく、力なく笑っていた。
 「ちょっとここから離れようか」と言われたので、私と嗣臣さんは当てもなく歩き始めた。

「あの2人…俺の両親のことね。一応好きあって結婚したらしいけど…簡単に裏切って別れちゃうもんだね」

 恋愛感情って性欲と結びついているから、勢いで結婚してもこうしてお互いに飽きてしまったら仕方がないのかな。と達観したことを言う嗣臣さん。
 なんか虚しいなそれって。
 結婚式って神前式でもキリスト式でも、いろんな誓いをするじゃないか。簡単に裏切り、切り捨ててしまう程度の誓いってなんなんだろうと思うのは私が少々夢見がちなだけなのだろうか。

「親の人生だから好きにしたら良いけどさ、巻き込まれる子どもはそうは行かないよ…」
「嗣臣さん…」

 親のことを理解しようとしてそんな事言っているけど、きっと納得できない心が残っていて嗣臣さんはそれと戦っているんだな。
 私には偉そうなことを何もいえない。ただ話を聞いて一緒にしんみりしてあげるしか出来ない……
 嗣臣さんにはこんな悲しそうな顔似合わないのになぁ……
 私は隣にいる嗣臣さんの無防備な手を掴んで握った。私は普通に手を繋いだだけなんだけど、相手から繋ぎ直されて指を絡められた。いわゆる恋人繋ぎである。
 それをされて私はだんだん恥ずかしくなってきた。

「…あげはちゃんはずっと俺のそばにいてくれる?」
「…?」

 彼のその言葉を不思議に思った私は顔をゆっくり上げた。その先には嗣臣さんの笑顔。

 ……数秒遅れで意味を理解した私は目をカッと見開いて固まる

「ちょっ調子に乗らないで下さい! わわわ、私が嗣臣さんと結婚するみたいじゃないですか!!」

 私の過剰反応が面白いのか、嗣臣さんは声を漏らして笑っている。からかったのか!?

「顔が真っ赤だよあげはちゃん」

 彼は空いている方の腕を持ち上げると、私の頬を撫でてきた。触れている彼の指の体温が低い気がしたけど、私が発熱しているだけのようである。
 その手にもっと触れてほしくて私は黙っていた。なんだかもどかしいのだ。いつもはもっと触れてくれるのになって。
 ふふ、と小さく笑う嗣臣さんは私に目線を合わせると、囁くように言った。

「今年は2人で夏祭りいこうか。それと免許取れたらレンタカー借りてドライブしよう。あげはちゃん、助手席に乗ってくれる?」

 その低いささやき声に、私は無言で頷いた。
 助手席に乗せたいって以前から言われていたけど、今も変わらず、ずっと前から彼は私を想ってくれていたのだ。彼はきっと私を大事にしてくれるはずだ。
 その想いに応えたいと思う自分と、恋がわからず怯える自分がせめぎ合って私は素直になれなかった。彼の手を取って特別な関係になりたいとも思うが、恋とは無縁だった私には大きな壁に見えてしまって…恐ろしくなるのだ。
 
 彼の黒曜石の瞳に見つめられると落ち着かなくて、柄にもなくもじもじしてしまう。
 普段不良共から紅蓮のアゲハと周りに呼ばれているのに……なんか私、普通の女の子みたいじゃない? ……わかっている、私は恋を自覚したばかりでまだ戸惑っているだけなのだと。
 嗣臣さんの瞳を間近で観察したいけど、目を合わせると心臓が苦しくて耐えきれない。私が挙動不審な動きを繰り返していると、嗣臣さんがハッとした顔をした。

「どうしよう、あげはちゃんとキスしたいんだけど」
「真顔で何言ってるんですかあんた」

 本当に何を言っているんだこいつ。
 私は急激に恥ずかしくなり始めたので、嗣臣さんの口元を張り手しておいた。
 なんだよ、さっきまで両親のことで落ち込んでいたのに。私は慰めようと思っただけで、別にキスさせてあげるわけじゃ…

「ふふふ」

 張り手で赤くなった口元を緩ませた彼が忍び笑いをしていた。

「なんですか…」
「今日もあげはちゃんは可愛いなと思って。俺幸せ」
「幸せへのハードルが低すぎやしませんか?」

 ニコニコとご機嫌になった嗣臣さんは私と繋いでいる腕をブンブン振り始めた。まるで子どものような動作をするものだから、彼が幼く見えてしまった。
 彼が楽しそうにするから、なんだか私まで楽しくなってしまったではないか。私と嗣臣さんは手を繋いだまま、奉仕活動途中の病院へと歩いていったのである。




 用事がないからとうちの学校の奉仕活動を手伝うと名乗り出た嗣臣さんは清掃員のエプロンを借りて、一緒に清掃活動を始めた。

「男手があると助かるわー」
「お安い御用ですよ。次はどこやりましょうか?」

 ここでも色男嗣臣は清掃員のおばさま方に笑顔を振りまき、沢山のおひねりもといおやつを渡されていた。

 掃除していたらある意味気分転換になっていたのか活動が終わる頃には嗣臣さんの様子は普段と変わらない状態まで落ち着いた。
 嗣臣さんの家庭のゴタゴタがこれで片付いたわけじゃない。きっと家族で仲良しこよしなんて難しいだろうけど……時に血縁というのは、呪縛にも似た重い枷になるのだ。

 できることなら彼の憂い顔なんか見たくない。
 さっきみたいにキスしたいなって気障なこと言っているいつもの嗣臣さんを見ている方が何倍も安心なのだ。


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