紅蓮のアゲハの娘は恋を知らない
無自覚なアゲハ蝶【2】
「紅蓮のアゲハ! この街のトップは誰か白黒つけようじゃねぇか! 俺と勝負しろ!」
「お断りします!」
学校帰りに待ち伏せされた私は河川敷で不良どもに囲まれてため息をつく。
こういうのがやってくると、あぁ、春だなぁっていつも思うんだ。
高校デビューならぬ、不良デビューした輩が喧嘩を押し売りしてくる季節・春。世間一般でも春になると頭のおかしな人が出没するから仕方のないことなのかな。
「逃げるつもりか!」
「か弱い女に勝って嬉しいの? 男として情けないと思わない?」
「何いってんだお前、女の皮を被ったゴリラって噂じゃねぇか!」
ふざけた事を抜かす不良その1を足払いしておく。油断していたのか、相手はドスンと勢いよく尻もちをついていた。
「いってぇぇ…」
「化けの皮剥がしやがったなあ!?」
尻を強打した不良がお尻を抑えながら呻いている。尻もちついただけじゃん。大げさな。喧嘩するともっと痛いんだぞ。
「どこからどう見ても淑女な私のどこを見てゴリラだって? 君たちはとんだ思い違いをしているぞ?」
「何が淑女だ! 俺たちは騙されねぇぞ! 引退した鮮血の琥虎の妹である紅蓮のアゲハ! てめぇが今はこの街の主だってわかってるんだからな!」
「ゴリラめ!」
違うと言っているのにわからんやつだな! 私は不良でもヤクザでもないんだ。主になった覚えはない!
とにかくコイツらを追い払わなければ。私は正当防衛を行使した。グーではなくてパーで叩いただけだ。
不良共は吹っ飛んで、頬を抑えて泣いている奴もいる。
「これ以上痛い目にあいたくなければ、すぐさま立ち去れ」
「お、覚えてろよ…!」
捨てゼリフを吐き捨てた不良共は束になって逃げていった。
はーやれやれ。毎年のことながらどこから湧いて出てくるのやら…。去年の桜桃さんや毒蠍の襲撃を思い出して私は疲れた気分になった。私は別に不良を宣言しているわけでも、この街を支配しているわけでもないのに、なんで集まってくるのだろう……
早い所紅蓮のアゲハっていう二つ名が廃れて、目が付けられないようになりたいもんだ。
ある土曜の昼下がり、ピンポーン、ピンポーンと家のインターホンが鳴った。
父は仕事、母は買い物、兄は遠乗りと家族全員出払っていたため、私が応対する。インターホンカメラを見ると、そこには嗣臣さんと、あの女の子…義妹になった子がいた。
私の頭の中は疑問でいっぱいになったが、玄関のドアを開けて応対した。
「はい…」
「あげはちゃん急にごめんね」
眼鏡をしていない嗣臣さんが申し訳無さそうな顔をしていた。まだ義妹から眼鏡を返してもらっていないのであろうか。
「嗣くん! やばいよこの人! 早い所別れたほうがいい!」
義妹さん開口一番に飛び出してきたのはやばいという単語である。
私は口を閉ざして微妙な顔を浮かべてしまった。
「……紬ちゃん、失礼だよ」
「だってこの人! 河川敷で男相手に喧嘩していたのよ! 嗣くんは騙されてるの!」
ん?
なに? 何の話だ?
私は状況が判断できずに固まっていた。突然人様の家に訪問してきて急に何なのだ。騙すとは人聞きの悪い…
「悪そうな不良従えてるって噂だし、早い所別れたほうが…」
「知ってるよ」
嗣臣さんの平然とした態度に、義妹の紬ちゃんは目を見開いて固まっていた。そんな義妹を気にする様子もなく、嗣臣さんは私に近づくと、私の頬を両手で包んだ。
「こーら、また喧嘩してたの?」
砂糖菓子に追い砂糖するような甘い声で問いかけられたのに、なんだか窘められている気分になった。
「け、喧嘩というか……あっちが難癖つけてきたんで」
「全く…怪我してない?」
そう言って私の手を持ち上げると、指先にキスしてきた。
ちょ…義妹の前でしょ! 元は他人とはいえ、今は戸籍上妹の前で…!
焦っているのは私だけなのか、嗣臣さんは甘ったるい視線を私に送り込む。まるでここにいるのは私と嗣臣さんだけかと錯覚してしまいそうになる。
「……お転婆なところもあげはちゃんらしくて好きだよ。だけど怪我してほしくないからあまり無茶はしないでほしいな……」
嗣臣さんの親指が私の唇を撫でた。私はビクッとして目を細めてしまった。なんていやらしい撫で方をするんだ……そんな触られ方したら…
時折嗣臣さんはスキンシップ過多になる。本人曰くこれでも我慢している方だというが、私はキャパオーバーになりそうだ。雰囲気に飲まれて動けなくなるのだ。頭の先から爪先までバリバリと食べられてしまいそうに……
「……あげはちゃんとキスしたいな」
「!?」
嗣臣さんの爆弾発言に私は体温が急上昇した。
「義理とはいえ、妹の前で何を言ってるんですか!」
パーン! と私は彼の頬を張った。
そういうのよくない! 青少年の教育上よくないんだからね!
案の定、紬ちゃんは顔を真っ赤にさせて、その大きな瞳からは大粒の涙を流していた。
「嗣くんの馬鹿!」
わぁ…っ! と大泣きして彼女はこの場から走り去ってしまった。
「ちょっ…いいんですか!?」
「この辺明るいし、人通りも多いから大丈夫だよ。あの子ここまでガイド無しでたどり着いたから一人で帰れるでしょ」
ドライなことを言う嗣臣さんに私は愕然とした。
義妹なんだろう、放置していたら後々面倒になるんじゃ……
「紬ちゃんには悪いけど、あの子の気持ちに応えてあげる義理はないし、俺は自分が優しくしたいと思う相手にしか優しくしたくないんだ」
嗣臣さんは目を細めて、おもむろに身を屈めた。私の顔に彼の美麗な顔が近づく。黒曜石のような瞳が私の目を捕らえた。
「……こんな俺のこと嫌いになる?」
「…な、な、なりません…けど」
「よかった」
なんか誤魔化された気がするけど……うん…
「誰もいなくなったからキスしてもいい?」
「ダメですよ!」
何を言ってるんだこの人は!
私がこんなに焦っているのをわかっているのか。心臓なんて全力で走ったときのようにバクバクしているし、嗣臣さんの目を見ると落ち着かない。
彼と目が合うと私は目をそらしてしまうんだ。なんだか恥ずかしくて。
だけどそんな私に気を悪くすることもなく、嗣臣さんはいつものペースで私を惑わす。
微笑まれると、胸がギュウと苦しくなってしまうんだ。
私はこの気持ちの正体を未だ知らずにいる。
■□■
学校からの帰宅途中に、ストンッと私の足元に何かが投げ捨てられた。
手のひらサイズよりも一回り小さな石だ。私は辺りを見渡すが、人影はない。人の気配はするけどうまく身を隠しているようだ。
ここは私の通学路。
そして目の前にあるのは、以前私の友人が拉致された公園だった。
なんだか胸騒ぎがする。
声を掛けられたとかそういうわけじゃないが、自分の心の声に従ってその中へと足を踏み入れた。
まだ明るい時間だというのに子供の姿はなかった。いつもは子供の声で賑やかなのになと思って中に入ると……原因がわかった。
これが怖くて逃げていった可能性があるな。
「アシンメトリー野郎…お前か」
「匠海だって言ってるだろ? ひさしぶりだなあげは」
以前茉莉花を拉致し、毒蠍の黒マスクを集団暴行した不良の姿が公園のど真ん中にあったからだ。今日もアシンメトリーな髪型が決まっている。
「な、なんであんたが! あんたがこの人達けしかけたの!?」
不良に羽交い締めにされた少女には見覚えがあった。
「……なんで、嗣臣さんの義妹を拉致してるの? この間ボコられたのを根に持って?」
「まぁそれもあるけど? 俺の目的はお前だよ。あげは」
私…?
なんだこの街の主を自称したいのか? そんなもん熨斗つけて差し上げるけど。
「この女解放してほしけりゃ、俺のものになりな」
……俺のものになれ、だと?
言ってることがまんま、あのギャグハー小説の悪役と同じである。クラスメイトの綿貫さんに言ったら怒られるかもしれないけど。
またお前は非力な女子を人質にして…! お前はweb小説から飛び出てきたんか!? 電波ヒロインの志津子にやってあげなさいよそれは! 志津子がどこにいるのか知らないけどさ!
その子を助ける義理はないけど、嗣臣さんの義妹だ。見捨てるわけには行かない。……だけど、この男のものになるのかと言われたらお断りである。
私は隙を窺った。
この男は卑怯にも、仲間を連れてきている。私が動けば、この周りにいる仲間が行動を起こすかもしれない。
……どうする?
「素直に言うことを聞けば、悪いようにはしないぜ。…だけど、聞かない場合は」
そういってアシンメトリー野郎は紬ちゃんの首を片手で掴んだ。力は入れていないようだけど、紬ちゃんは恐怖で顔がひきつっている。
そりゃそうだ、紬ちゃんは中学2年生。不良とはまるで縁のないごく普通の中学生なのだから……こんな……
「その子には手を出すな!」
なぜこの男は、私本人ではなく、非力な女の子を人質にするのか……!
私がそんな卑劣な男になびくとでも思っているのか……!
相手をぶん殴りたくて仕方がなかったが、私は圧倒的不利な状況。手も足もぜずに、膠着状態が続いたのである。