紅蓮のアゲハの娘は恋を知らない
そんな顔するあなたを私は知らない【2】
学園祭でアクセサリー&小物を出品するためにコツコツ制作していた私だが、持ち前の不器用さで布地を血染めにしてしまい、売り物にならないとようやく気づいた。
方向転換して針を使用しないアクセサリー作りをすることにした。休日を使って100円ショップと手芸屋、クラフト専門店を回っていたのだが……。
「別に荷物持ちが必要なほど購入するわけじゃないからついてこなくてもいいんですよ」
「いいのいいの。あげはちゃんと出かける口実が欲しかっただけだから」
「…おい、受験生……」
誘ったわけでもないのに、嗣臣さんが荷物持ちを買って出てきた。だけど購入するものはどれも小物ばかり。しかも受験生を連れ回すのはこっちが気を遣うと言うか……
「次はどこに行く?」
「…どうなっても知りませんよ……」
何を言おうと嗣臣さんは帰らないだろう。これで受験失敗しても私のせいにしないでくれよ。
クラフト専門店にはプラモデル部品から皮革まで幅広く取り揃えられていた。一部に手芸用キットも並んでいる。ここでなにかいい感じのものがあればいいのだが……なめされた皮革で定期入れを…いやいや、これも針と糸を使うことになるな。余計に危険だからダメだ。
「あげはちゃんこれは? ヘアピンに飾りをつけたの。これなら針使わないでしょ」
「…グルーガンかUVレジンがあれば作れそうですね」
見本品として飾られていたヘアピンを手にとった嗣臣さんから提案された。
ヘアゴムにビーズで花をかたどった飾りを付けたもの、洋服に飾るブローチなどが並んでいる。使用するパーツによって地味にも派手にも出来る。
複雑なものになると難しいかもしれないが……購入者にはお店側がご丁寧にアクセサリーの作り方のコピーをくれるとは言うが、私に作れるであろうか……
自信はないがやるしかない。だって10点提出しなきゃいけない。締切が迫っているんだもの!
外で待ってるね、という嗣臣さんを待たせてレジにてお会計をしていたが、前に並んでいたの人の対応に時間がかかっていて、ちょっと時間を食ってしまった。
会計を終えた私が小走りで店の外に出ようとすると、店のガラス窓の外に待ち人はいた。彼は誰か知らない女性とお話をしているではないか。
…さてはあれだな? 逆ナンだ。なんで今日はメガネしてないんだろうあの人。モテて困ってると言っていたくせに。
お店の自動ドアが私の気配に気づいてウィーンと音を立て開いた。
…だが相手側は外の喧騒のせいで私が出てきた音に気づいてないようである。仕方がないな、逆ナンから助けてやろうか…
「今日、家に来ない?」
逆ナン(推定)している女性の言葉に私はぎくりと足を止めた。
いきなり…!? そこの女性は肉食過ぎないか? そんな、出会っていきなりお家へのお誘いって……なんてはしたないんだ……!
彼女は慣れた手付きで嗣臣さんの腕をそっと撫でている。嗣臣さんは落ち着いた様子で彼女を見下ろしていた。
──なんだか、見てはいけないものを見ているような気がした。
「もうそういうの止めたから」
「家に帰りたくないって言っていたじゃない」
「…あいにく、進学でもうすぐ家を出ることになってるからね。それまでの辛抱だから問題ないよ」
恐らく社会人であろう女性。20代前半か半ばってところであろうか。一瞬逆ナンかなと思ったけど、それにしては親しげである。
染めていないであろう黒髪に、薄いメイク。薄ピンクの可愛らしいコートが似合う小柄な体躯のどこかあどけない雰囲気の残る可愛らしい人だった。
大人の色気というよりも、清楚系と言うか……なんだろう……男の人ってこういう女性好きだよねって感じの人だ。
えっえぇ、もしかして元カノ!? 嗣臣さん年上と付き合ってたんだ! ただ者じゃねぇと思っていたけどそんな大人なディープな関係を持っていたのか!!
あの兄の友人だ、女にモテると自分で言っていたので、過去に彼女の1人や2人3人4人はいただろうと思っていたが……1個2個じゃなくて6歳位年離れた大人の女性だったんか! 嗣臣さんって年上趣味だったんだな…
衝撃を受けた私はあんぐり口を開けて固まっていた。
青春? というには語弊があるが、嗣臣さんも若者らしく恋愛をしていたのかと驚きである。
「もしかして…後ろの子が、今の彼女?」
私の存在に気がついたらしい女性がこちらを見て目を細めていた。その目が一瞬肉食動物のように見えて私の中の防衛本能が過剰に反応してギクリとした。
「あげはちゃん」
嗣臣さんの視線がこちらに向いた。
私はなんだか急に気まずくなってしまい、さっと彼から目をそらした。
「え、えぇと…私、先に帰ってますね?」
「あげはちゃん待って、違うから。…悪いけどそういうことなんだ」
後退りした私を引き止めるようにして手を掴んで引き寄せると、嗣臣さんは淡々とした声で女性に断っていた。
「さ、行こうか」と肩を押されたので私は足を動かす。…ふと、あの女の人が気になって後ろを向くと、彼女はふてくされたような顔をしてこちらを睨んでいた。
「も、元カノさん、ですよね?」
いいのかな、よりを戻したいとかそういうことなんじゃ…
「違うよ、彼女は無関係だから」
否定する嗣臣さんの声はどこか硬かった。焦りと言うかなんというか、ちょっと緊張しているような声だ。
嗣臣さんは前を見ていた。大通りから離れて細い小路へ迷いなく進む。彼の様子が明らかにおかしいのはわかっていたが、私にはこの沈黙が辛い。
「……なんで別れたんですか? 年の差が原因? 嗣臣さんって年上のお姉さんが好きなんですね」
ふわっと湧いて出てきた疑問が口から飛び出していた。
すごい気になる。嗣臣さんってあまり自分のことを多く語らないから興味が湧いたんだよね。
「…昔お世話になっただけ。好きとかそういう感情はなかった」
だけど帰ってきたのはそっけない返事。
好きという感情はなかったって……急に嗣臣さんが冷たい人に見えてしまって複雑な気分になった。
「…そんな…そんな冷たい言い方しなくても……相手はそうじゃなかったかもしれないじゃないですか。どんな別れ方したかは知りませんけど…かわいい人じゃないですか」
可哀想じゃないか。彼女はよりを戻したいのかも…と言いかけて私は口を閉じた。
何故かって、嗣臣さんが怖い顔をしていたからだ。
「…す、すみません、失言でした?」
嗣臣さんのそんな顔を見たのが初めてだった私はギクリと肩を揺らした。
余程の地雷だったらしい。ひどい別れ方をしたかもしれないのに私ってば余計なことを…。
慌てて謝ったけれど、嗣臣さんの表情は怖いまま。
「…あげはちゃんってさ」
──ダンッ!
大きな音を立てて壁に手をついた嗣臣さん。私は殴られると思って顔の前で腕をクロスさせてみたが、彼の手は壁を叩いただけであった。
だが、それだけでもびっくりした。嗣臣さんはいつも冷静で不良ではあるものの、兄たちを抑えるストッパー役なんだ。
隠れ不良なんてやってるけど、暴力で訴える人ではない。こうして私を脅かすことはしなかったのに。
「…それ、わざとなの? 鈍感にも程があるでしょ……好きな子にそんな事言われると傷つくんだけどな」
「わざとって……んぅっ」
わざと? なんのこと? と聞き返そうとしたが、私の口は塞がれた。
なににって……嗣臣さんの唇にだ。
「いやっ…!」
私は反射的に彼を突き飛ばして拒絶した。
離れたはずの唇…なのに、まだそのぬくもりや感触が残っている。
意味がわからなかった。つい先程ものすごく重要なことを言われた気がしたが、そのキスのせいで私の頭には残っていない。
とにかくこの場から離れたほうがいい。私の勘がそう言っていた。
だけど、嗣臣さんのほうが一枚上手だった。突き飛ばしたその腕を押さえつけられ、私の腕は壁に縫い付けられてしまった。
力の差に愕然した。喧嘩が強い自負があったのに、いとも簡単に。
私を見下ろす嗣臣さん。
そんな顔見たことない。
何故そんな顔で私を見るのか。
「…んっ…!」
噛み付くように落とされた唇を避けきれなかった。私の唇に食いつき、まるで空腹の猛獣が食事をしているかのように貪られた。
「ふあっ! んむむ…!」
顔を動かして避けようとしていたが、薄く開いていた唇に彼の熱い舌が侵入してきて更に私はパニックに陥った。
逃げる舌を追いかけ、吸われると変な声が出てしまい、私の身体はカッと熱くなった。私の身体が作り変えられるかのようで怖い。なのにじわじわと襲いかかってくる波がもっと求めているのだ。
なんで、なんでこんな。
口を解放された私は息も絶え絶えだった。私の顔を見た嗣臣さんはなんだか苦しそうな顔をしている。彼の顔が再び近づいてきたが、私は動けなかった。
また唇を奪われるかと思ったが、違った。彼の顔が下りてきて、首筋にキスが落とされた。ヂュッと音を立てて吸われたそこ。
急所である首に食いつかれた。
喰われる。
蜘蛛の巣に囚われた蝶が捕食されるように。
私は目の前の嗣臣さんにはじめて恐怖を抱いた。
それだけじゃない。今まで知らなかった自分の一面に気づいてしまいそうで恐ろしかったのだ。
さっき、私は避けられたはずなのに避けなかった。
もっと、と浅ましい感情が私の中に生まれていたのだ。
そんな自分が気持ち悪くて、得体知れなくて恐ろしくなった。
「…こわい…」
色んな感情がごちゃまぜになって私を混乱させた。口から飛び出してきたのはその単語だけ。
ピタリと嗣臣さんの動きが止まる。
目頭にじわりと熱が集まると視界が滲んだ。
「…あげはちゃん」
口から漏れ出す嗚咽が抑えられない。堪らえようとすると肩が震えるんだ。
「こわい、なんで…こんなことするの」
嗣臣さんは兄の不良友達だ。
進学校に通う、表では真面目ぶった優等生。眼鏡で擬態してるがその顔の良さは折り紙付き。ナルシスト風味はするし、どこか掴みどころのない人だなと思っていたが、オトメンな一部もあって時々助けてくれるいい人だと思っていた。
なのになんでそんなに怒ったのか。
なんでこんな怖いことをするのか。
私は声を漏らして泣いた。
停学になったときも、中学校でボッチになったときも泣かなかったのに、ここに来て泣いてしまった。
目の前の嗣臣さんが戸惑う様子はわかったが、私はそれどころじゃない。恥ずかしいし悔しいし、悲しいし怖いし。
ただ元カノの事聞いただけじゃないか。なんで怒るのか。
私はファーストキスだったんだ。こんな奪われ方……悲しいに決まっているじゃないか…!
「そこにいるのあげはと嗣臣じゃねー? なにしてんだー…ぁ?」
ここで声を掛けてきたのは、兄・琥虎と不良仲間のタケさんだ。
兄は私と嗣臣さんを交互に見比べ、私が泣いている姿を確認するとぐわっと恐ろしい形相に変わった。それからの行動は早かった。
飛びかかるかのように嗣臣さんの胸ぐらをつかむと、そのまま力任せに壁に叩きつけたのだ。
「ぐっ」
「…嗣臣、お前あげはに何した? 何だ、あげはの首の痣……なに泣かせてんだよ…!」
兄が不良としてガンギレしている姿を何度か目撃してきたが、こんなにブチギレている姿を見るのは初めてかもしれない。
一触即発の二人を前にして私の涙が止まった。
「あげはの気持ち無視して手ぇ出すなつったよな?」
「ごめん…」
「まぁまぁ、琥虎…あげはちゃんの前だからさ…」
今にも殴りそうな兄を制止したのは、兄と一緒にいたタケさんであった。
その言葉に一瞬冷静になったっぽい兄は、ふぅぅー…と息を吐き出すと、こちらに顔を向けてきた。
「あげは、タケと一緒に先帰ってろ? 大丈夫だから」
「あげはちゃん! 花丸プリン買いに行こう!」
私を怖がらさないように、柄になく優しい声をかけてくる兄。それに戸惑う私の肩をタケさんが押し出す。
早くしないとプリン売り切れちゃうよ、今日土曜だし。と急かされたが、私はどうにも嗣臣さんが気になった。
数時間後、兄だけが家に帰ってきたが、あの後のことは何も教えてくれなかった。
それ以降嗣臣さんは、三森家に寄り付かなくなったのである。
来ると言っていたうちの学園祭にも来なかった。