ふわり。彼女の優しげな香りが鼻腔を擽る。いつも傍にいてくれて僕を安心させてくれた優しい匂い。大好きで愛おしくてたまらない匂い。
その匂いに釣られるようにもっともっととせがめば、彼女の暖かな手が僕を包み込んでくれた。

「まるで子供ね」

笑うわけでもなく叱るわけでもなく感情の込められていない平坦な声。
そのくせ頭を撫であげてくる手を優しげで愛おしい者に触れるかのような手つきで思わず錯覚してしまいそうになる。この手の人物と声の主、まったく別の人間なのではないかと。
しかし真っ暗な視界の中確認出来る術などない。恐る恐る手を伸ばしその手を掴めばひんやりとした心地の良い温度が伝わってきた。…霧切さんの体温。

ほっとして口元を緩めた。孤独な世界に彼女がいるのを理解した今、自分は一人ではないのだと安堵して。

「霧切さん、霧切さんだ」
「そうよ、私よ苗木くん」

霧切さんは慈愛を込めた声音で僕をぎゅっと抱きしめてくれた。それだけで心が舞い上がり嬉しさで彼女の腕をぎゅっとしっかり握る。
冷たい温度に僕の少し高めな温度が混ざり合い溶けていく。相殺されることなく二人の体温が残るのはとても奇妙な感覚で。
お互いに満ち足りた感覚を共感しながら微笑み合った。微笑み合っていると思う。
相変わらず僕の視界は暗いままで何も見えず永遠に闇のまま。
目隠しでもされているのだろうか?不思議に思いながら指先で目元をなぞろうとした時、霧切さんの手がそれを絡みとる。

「だめよ、苗木くん」
「え…」
「貴方はいいの、私から血を受け取り、耽美で退屈な毎日を過ごせばいいわ」
「…」

彼女にしては随分ロマンチックな言葉だ。ぼうとする意識になりながらひんやりとした指先が絡み合う。
普段の彼女はもっと辛辣な言葉を淡々と並べ、僕の夢見物語を論破していくような人なのにどうしたことなのか。
見えない視界の中でいつもと違う何かを感じ取りどくどくと胸打つ心臓に僕は吐息を零した。

「…ざわつく?」

それを見て察したらしい彼女が僕の耳元で囁いた。まるで砂糖菓子のような甘さと官能を含んだ声音にびくり、と肩をつい揺らしてしまう。
違和感。確実に不確かなそれがじわじわと侵食してくる。

「…うん。なんだかやけに落ち着かないんだ」
「でしょうね。今日はこの世の生き物ではない連中が幻のごとくあらわれ消えていく日だから」
「あぁ」

成程。その言葉だけで僕は今日がハロウィンということを察する。魔的な夜が幕を開けたのか、ならばこのざわつきも納得だ。
きっと仲間達も今日ばかりは姿を現し好き勝手しているのであろう。高いビルが並ぶ町並みに獣の雄叫びが鳴り響いたり、人々がすれ違う場所にカボチャのお化けがあらわれたり。
一年に一度のパーティ、僕たちが姿をあらわすことが許された今日。あぁ、僕もこんなところで暇を潰している場合ではない。
早くそのパーティに参加しなければ。ゆっくりと起き上がろうとしたがふとじゃらりと鎖の音が鳴り響く。
あれ、きょとんとする僕にもう一度鎖はじゃらじゃらと音を響かせた。

「…」

今僕は、鎖をつけられている?思考が追いつかない。呆然とする僕に、霧切さんの冷えた指先がとん、と肩を押し中途半端に立ち上がっていた僕は簡単に後ろに倒れ込んだ。

「霧切、さん」

これは一体どういうことなの。暗闇の中彼女に問いかければ、見えぬ視界の中で空気が動くのを感じた。
どうやらそれは霧切さんが動いたからのようで、彼女は僕の目の前にくると丸い何かを頬に押し付けてきた。
ぬるり、濃厚な血の香りと共に感じたぬめりけについ眉間にしわを寄せれば霧切さんの声が空気を震わせた。

「吸血鬼って、痛みに敏感なのね」

またしても平坦な声。だが僕には分かった。その声音の裏、もどかしい程の興奮が今の彼女の心中を渦巻いていることに。
…もしかして。嫌な予感がする。カランカランと警告の鐘が頭の中に鳴り響くのを聞いて思わず腰をひいたが、彼女はそれを良しとしなかった。
のしかかり優しい大好きな香りが目眩を引き起こす中で彼女は吸血鬼である僕の首筋に指先を這わす。
そして「どこにも行かないで」とまるで恋する乙女のように、この状況に似つかわしくない声音で言うものだから僕はもう。
亡くしてしまった視界の中ではどうにも出来ず、ただ遠くで聞こえる狼の遠吠えを懐かしそうに聞くしか出来なかった。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -