「理解出来んのだが、もう一度言ってくれ」

目の前に座る子女に聞き正す。
どうか間違いであってくれ。いや、そうに違いないのだ。
天井まである高い窓からやわらかな陽光が差すサンルーム。眠気を誘うほどぬるい空気の中で、存在を主張するように心臓がどくどくと脈打っていた。
軌道に乗ってきたプロデュエリストとしての仕事に思いのほか疲れていたらしい。
その自覚はなくても現に今、その影響が出ている。これはいかん。このあとの予定も入っていないし、家に帰ったらゆっくり過ごすとしよう。
華奢なティーカップに注がれた赤色のストレートティーを口に含む。淡い苦みが気付けになり、ゆるゆると気持ちが落ち着いていく。やはり、これは間違いだ。

「まあ、驚かれるのも無理ありませんわね。わたくしも先日、お母さまにお聞きしたばかりですもの」

おだやかに口角を上げ、きっちり揃えた膝の上に手を重ねる。淑やかな仕草が様になっているが、そうじゃない。俺は否定の言葉が聞きたいのだ。
その薄桃色の唇から、ちょっとした悪戯心だったと一言。
今なら笑い飛ばせる余裕もある。広いサンルームの影で自動演奏を続ける白いグランドピアノの音色を遮るような怒り声も上げない。
それだというのに、目の前の女は、まるでこの状況を楽しむような笑みを浮かべているだけである。
空になったティーカップをソーサーに置けば、「おかわりはいかが?」と有無を言わせずティーポッドを傾けられた。見る見るうちに満たされていく苦みのある赤色が、これがただの戯れではないことを静かに告げる。本当に何の冗談だ。

「名前は苗字家の三女。準は万丈目家の三男。立場も家柄も、都合が良かったのでしょう」
「だからと今さら、兄さん達も何を考えているんだ」
「話を持ちかけたのはこちらからだそうです。女ばかりの家系では立ち回りに苦労しますものね」
「貴様は……家の都合で政略結婚させられるというのに、貴様は、なぜそうも落ち着いていられるっ」

一撃、拳を叩きつけたテーブルと一緒にその上の紅茶茶器が音を立てる。
しかし、名前は予期していたように自身のティーカップを手のうちに救い出していた。
強かなやつだ。これくらいで怯む相手ではないことは重々理解していたが、それでも今この場で温和に微笑むというのはおかしくないか。その余裕はどこからきている。

「そうですね。家が廃れてゆくのは気持ち良くありませんし、わたくしは良い話だと思っています」
「なあっ……」

あっさりと言い放つ名前に愕然とする。
正気か、そう問いたいのに喉がきりきりと締まっている。
名前とは幼馴染みだった。
互いに他の兄弟より年が近く、どこか親戚かいとこのような感覚でいた。
昔、まだ私立校の初等部にいたころは同じような家柄の子供が多く、その年でも許婚がいるなど別に珍しい話ではなかった。
どう転がるか分からない世の中。早いうちに将来を確約させたがる家が多かった。俺も名前も他家と何度かそういう話が上がったこともあったが、結局流れてここまできた。
このまま家に振り回されない安穏な未来があると思っていた。
しかしそれが、今の今になって名前との婚約を本人から突きつけられるとは。
これがどこかの見知らぬ令嬢ならば、まだ考えてやる余地もあったものを。

「俺は認めん」
「ええ、分かっております。だからこそ、事を整えた後にお伝えしたのですから」
「こんなもの、即座に取り消してやる。家の都合に翻弄されてたまるか」

ストレートを一気に胃へ流しこみ、席を立つ。
引きとめる名前の声も見送りも断り、部屋の外に控えていた使用人によって折りよく開かれた扉を過ぎる。散々な茶会だった。
赤い絨毯を引いた廊下の途中で、追いかけてきた名前が俺の名を呼ぶ。
ぎゅっと唇を一文字に引締め、なにか言いたげに瞳を揺らす名前。茶の席で見せていた余裕のなさがいやに腹立たしい。

「また、会いに来ていただけますか」
「次に会うのは婚約破棄を知らせるときだ、良いなっ」

押し切るように言い放つと名前は何度か目を瞬かせて頷いた。それでいい。
今度こそ、背を向けて廊下を歩く。これほど苛立たしい気持ちでこの邸を離れるのは初めてだった。
家のために自分を犠牲にするなど理解したくもない。
あいつも、想った相手の一人でもいるだろうに。まだ救済の手立てはあるはずだ。
ならばそっちを探せばいい話だ。なぜ諦める。
ああ、どうも少し、胸やけがする。きっと紅茶のせいだろう、うんざりだ。



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