※悲恋


昔から、人に『可愛い』と称されることが多かった。
それはちょっとくすぐったい、わたしの誇り。
だけど、面と向かって言ってくれる人は誰一人いなかった。
初めてヨハン・アンデルセンと出会ったとき、彼は暖かな笑みを浮かべて褒めてくれた。
何度も聞いた言葉でもヨハンが口にした途端、いつになく胸が高鳴ったのを覚えている。
わたしが彼を好きになってしまうのは仕方ないことだった。


「ヨハンもう行くの?」
「ああ、授業に遅れるからな」

朝に弱いヨハンはいつも慌ただしく身支度を整える。彼がもう少し早く起きられたら、朝食をゆっくりとれるし、朝の会話ももっと楽しめるのに。
エメラルドグリーンの髪にぴんっとはねた寝癖を指摘すれば、すぐさまバスルームへ駆けて行った。そんなにも身だしなみを気にする彼が少し可愛いと思ったけれど、それがわたしのためではないことを思い出してちょっと悲しくなった。

「名前、これで大丈夫かな?」

ひょっこりと扉から顔を出すヨハンの髪に寝癖は見当たらない。
頷いて答えると、彼は嬉しそうな表情をしてまたバスルームへと消える。
壁に掛けられた時計は八時半を指そうとしていた。もうこんな時間。

「遅刻しちゃうよヨハン」
「ああ、急がないと。名前は今日どうするんだ?」
「うーん、わたしはパス」
「そっか。じゃあ行ってくるぜ!」

大事なデッキをホルダーに納めてヨハンは元気よく出掛けていった。
途端にしん、と静まり返る室内。自分で決めたものの、一人残された部屋はちょっと寂しい。
ヨハンが帰ってくるまで寝ていようかな、そう思って寝室へ足を向ける。
すると、ベッドサイドのテーブルにちかちかとランプ点滅を繰り返すPDAが残っていた。
ヨハンの忘れ物だ、どうしよう……。
たしか生徒手帳の役割もあったはず。やっぱり持っていないと不便かな? メールも届いているみたいだし。
少し悩んで、ヨハンの部屋を出ることにした。


今は授業中だからか、学校の中は人がまばらだ。ヨハンはどこにいるんだろう。
まさかとは思うが、怪しまれないようにゆっくり校内を回る。最近まったく来ていなかったから少し懐かしい。
いくつか教室を覗いてようやくヨハンを見つけた。
授業中の教室に入っていくのも躊躇われたので、終わるまで彼を眺めながら待つことにする。一番後ろの席でこっくりと船を漕いでいる様は、ヨハンらしいというか。昨夜遅くまでデッキ調整をしていた彼の姿を思い出す。
ヨハンが何度かかくん、と頭を揺らしていると、隣に座る女の子が見かねて声を掛けていた。ああ、あの子。
注意されたヨハンは決まりが悪そうにはにかんだ笑顔を浮かべている。
ずるずると顔を下げ、そのまま誰もいない廊下で膝を抱えて時間が経つのを待った。あの表情が見たくなかったのに。


「名前、こんなところでどうしたんだ?」

顔を上げるとヨハンが心配そうな顔をして立っていた。いつの間にか授業が終わっていたらしい。静かだった廊下は人であふれている。

「名前?」
「その、ヨハンがPDAを忘れていたから……」

立ち上がって用件を伝えれば、ヨハンは今やっと気づいたように声を上げた。

「わざわざありがとな」
「ううん、わたしがしたかっただけだから。それで、」
「ヨハン!」

わたしの言葉を遮った声がした方に目を向けると先ほどの女の子がいた。

「次の教室は移動よ。早くしないと間に合わないわ」
「分かってるって。すぐ行くからちょっと待っててくれ」
「まったくもう」

多少気が強そうだけど、ちゃんとヨハンを待っているつもりらしい。それと同じく、ヨハンも心なしかそわそわと落ち着かない様子だ。

「用はそれだけだから、わたし、帰るね」
「もう帰るのか? さっき来たばっかりなんだろ」
「いいの。それに、可愛い彼女を待たせちゃ悪いもの」

おどけた調子で言ってみれば彼は照れくさそうに笑い、それがまたわたしの胸をぎゅうと締めつける。これ以上はいられなくて、別れの言葉もそこそこに駆け出した。
わたしの欲しい場所は、もうすでにあの女の子のものだった。


出ていく前と変わらないヨハンの部屋は、わたしの心を少しだけ落ち着かせる。
入口脇の鏡を見るとひどい顔をした自分の姿が映っていた。
こんな顔、ちっとも可愛くない。ヨハンになんて見せられない。
べッドサイドのテーブルにはいまだにPDAがランプを点滅させていた。
それに手を伸ばして、簡単にPDAを通り抜けるわたしの指先。
何度繰り返しても、この手はPDAを掴めず、触ることも出来ない。
それがどうにも悲しくて、グッとこぶしを握りしめるしかなかった。
ヨハンが帰ってくるまで数時間。それまでに、いつものわたしにならなきゃ。
PDAの隣に置かれたカードに意識を集中させて、わたしはその中へ吸い込まれた。

奇跡があるならば、わたしを人間にしてください。



切ない夢小説企画『〜スノードロップの恋涙〜』様への提出作品



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