「バーだけで終わると思ったのに。あーあ、こんなに飲んじゃって」
「やめろ……小言は頭に響く……」
「心水のせいでしょ」

預かった鍵で入った部屋は心水の匂いが充満していた。テーブルの上から床まであちこちに転がる瓶の数は相当なもの。辛うじて脱いだコートは椅子にかけてあるものの、そんな部屋の中でアイゼンはどっぷりとベッドに沈んでいた。
こっちまで酔ってしまいそうだ、と窓を開けると朝らしい爽やかな風と遠くの喧騒が部屋に流れてくる。

「アイツは……?」
「帰ったわ。またな、だって。あっちもかなりフラフラだったけど」

男二人揃うと馬鹿をやる。まさかバーが閉まった後も飲み足らず、併設の宿の空き部屋を勝手に使って飲み明かすとは。大きな騒動のあと、再び人間に聖隷の姿が認識されなくなったとはいえ、やりすぎだ。店の前で会った飲み相手の聖隷は「部屋にいる」と私に鍵だけ渡して去っていった。まるで通り風のような男だった。
アイゼンはそうか、と呟いてまた目を閉じる。

「ほーら、寝てないで顔でも洗ってきたら? 片付けと支払いはやっておくから」

少し強く体を揺すると、頭まで響いたのか即座に腕を絡めとられた。そのまま引き寄せられてアイゼンにまとわりついた心水の匂いが近くなる。

「寝てない。ずっと起きていた」
「いや、眠ってる意味の寝てるじゃなくて……ああ、酔ってるんだった」
「酔ってもいない……。俺がこれくらいで酔うと思うか?」
「思うけど……ここの瓶の数だけでもすごいわよ」
「だから、酔ってない」

いつもより瞳が潤んでいる奴がなにか言っている。
そういえば何年も前に仕込みを頼んだ心水が完成したとかで、近ごろえらく上機嫌だったのを思い出した。試飲させてもらったが、あれはけっこう強かった。恐らく昨夜はそれも振る舞ったんだろう。
若干焦点が合っておらず、ぼんやりとした様子のアイゼンは今にも眠ってしまいそうだった。

「……寝る?」
「いいや、眠くはない……が、」

珍しく歯切れの悪い言葉を聞き取ろうと寄せた耳に妙に熱のこもった息を当てられた。何だその艶は。吐きそうなのか、そう問いかけてみれば今度は舌打ちが返ってくる。

「なんなのよ」
「喋るのも億劫だ……」
「じゃあ少し寝たら? また昼過ぎに起こしに来るから」

しかし提案を拒むかのように腕をつかむアイゼンの力が強まる。

「もしかして、帰したくないなんて可愛いこと言うの?」
「言って欲しいのか?」
「かなり酔ってるんだなぁって思うだけ」
「……可愛げがねぇな」

何を今さら。
そんな態度が伝わったのか、アイゼンは簡単に私の腕を解放した。近づきすぎていた体を離すと心水の匂いが薄くなる。部屋の空気は多少入れ替わったようだ。
眠らないというのなら、少し騒がしくしても問題ないだろう。予定を変更して床に転がった瓶を拾い集めていく。銘柄は様々だ。どれも飲み残しなくすっからかんなのだから二人の飲みっぷりにはもはや感心さえ覚える。
床面をある程度片付けたところで、椅子の背に掛けられていた黒いコートをバサリと払う。乱雑に置いていたせいで少しくたびれた生地。オーダーメイドなのに勿体ない、とハンガーを探していると静かにこちらを見ているアイゼンと目が合った。

「うるさかった?」
「いや、いい。……妻を持つ、ってのはこういう感覚なのかと思ってな。見ていた」
「どこから湧いたの。その発想」
「心水の肴に、そういう話が出ただけだ」
「男二人でむなしくならない?」

いい年した男が揃って――揃ったからこそかもしれないけれど。
酔っ払いの口からこぼれた突拍子のない話を一蹴してもアイゼンの表情は変わらない。

「大分回復した。悪いが、コートをくれ」

ベッドから立ち上がったアイゼンにコートを手渡す。けれどコートを羽織る仕草はいつもより緩慢で、心水のダメージが深いことを物語っていた。
乱れた襟が気になって伸ばした私の手をアイゼンは黙って受け入れる。

「私たち、そういう肩書きいらないでしょ?」
「俺はナマエがいたら、それでいい」
「……私も」

照れる様子もなく紡がれた言葉に素直に気持ちを返す。
整え終えた襟元を軽く叩いたら、見慣れた黒コート姿の出来上がり。礼を言うアイゼンに微笑めば、頭を引き寄せられて髪にやさしく口付けを落とされる。
こうしてアイゼンの隣にいることが出来る今が幸せだった。


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