買い出しの帰り、路上演奏を囲む人垣を見かけて足を止めた。弦楽器が奏でる曲はいつかどこかで聞いたことがあるもので胸が踊る。
長く留まるつもりはなかったけれど、何も言わずに立ち止まったせいで先に進んでいた同行者のロクロウが戻ってくるのが見えた。演奏の邪魔にならないよう小声で謝罪すると、聞きたいなら待つ、と許してくれたので甘えることにした。
街中で音楽が聞けるなんて。首都というこの街の豊かさは素直に認めるしかない。
一曲が終わった歓声に混じって拍手を送り、人垣を離れて帰路につく。次の曲を聞いてしまうと最後まで聞き入ってしまいそうなくらい、いい演奏だった。

「ロクロウ、付き合ってくれてありがとう」
「随分楽しそうだったな」
「知ってる曲だったの。旅をしてると音楽なんて滅多に聞けないし」
「たしかに楽器を抱えて戦うわけにもいかんしなぁ」
「そうだよねぇ……。ねえ、ロクロウは楽器弾ける?」
「いいや。ガキの頃から剣だけ握ってたんで他のことはからっきし――おおっそうだ! 口笛なら吹けるぞ」

見てろ、とヒュウヒュウ器用に吹いてみせるロクロウの顔は得意げで、思わず笑ってしまう。

「どうやって吹いてるの? 私、口笛吹けないんだよね」
「コツを掴めば簡単だぞ」

教えを乞えば、ロクロウは快く口笛の吹き方を教えてくれた。
唇は静かに蝋燭を吹き消すような形、舌は下の歯の裏に先端が触れるように、最後にヒュウと口の中で言いながら息を吹く。
伝授してもらったとおりにしているつもりだけれど、どうにもフーフーと抜けた息しか出ない。
もう一度吹いているところを見せてもらおう。
そう思ってロクロウを見やれば、何故だかその顔が近づいてきていて――――慌ててその肩を押して進行を防ぐとロクロウは残念そうに眉を下げた。

「な、なんで寄ってくるの?」
「必死に唇を突き出してるのが雛鳥みたいで可愛くてなぁ、つい」
「口笛吹こうとしていただけで……。人前だし、可愛いとか、そういうのとは違うよ……」
「そうか? いやあ失敗したな」

ははは、と明るく笑い飛ばすロクロウは普段の距離感に戻っていった。
驚いた。とても、近かった。教えてもらったばかりの口笛の吹き方すら頭から飛んでいきそうな衝撃。ドキドキと脈打つ胸を抱えてロクロウの隣を歩く。
でも、もしかすると――私が都合よく解釈してしまっただけでそういった意図はなかったのかもしれない。キスされるかと思っただなんて。
そんなに突き出していただろうか。そっと唇に手を伸ばした。

「また吹いてみるか?」

目視もなく機敏な反応を見せるロクロウに、びくりと肩がはねる。

「おっと。さっきので驚かせすぎたみたいだな」
「い、いいの! その、口笛はまた今度にしようかな」
「そうか、吹けるようになったら教えてくれ。聞いてみたい」
「ありがとう。頑張ってみる」

ロクロウの存在が気になって今日はもう練習する気になれなかった。それでもこんな小さな事柄を気にかけてくれる優しさに、むずむずとくすぐったい気持ちがわき上がる。
旅が終わるまでに吹けるようになりたい。ささやかな目標を見つけ、ロクロウと二人、仲間の元へと戻っていった。





ふー、ヒュゥー……。
以前と比べ、形になってきた音。船が通った波の筋と共に後方へ流れていく。
首都を離れて乗り込んだ船は次の目的地へ進んでいた。賑やかな甲板と違い、船尾にあるバルコニーは周りに人の気配がない。おぼつかない口笛の練習にうってつけの場所だった。

「とはいえ、ここから先が進まない……」

ため息混じりに泣き言がこぼれる。暇を見つけては練習を続けているものの、今以上の進展がなく自信を失いかけていた。これが楽器だったなら、もっと早くに音くらい出ていたかもしれない。
バルコニーの手すりに寄りかかって弱々しい音を吹き出していると背後で扉が開く音がした。よう、と声をかけてきたのはロクロウだ。

「なんだ練習中か?」
「うん。ちょっとは口笛らしくなってきたんだけど……」
「おお、一度聞かせてくれ」

言葉を濁らせる私の隣。同じように手すりへ身を寄せたロクロウに促されるまま口笛を吹く。丁寧さを意識しても、出てくる音はやはり頼りない。

「ううん……肺活量が足りないのか?」
「それかな? でも、水に潜るのは得意なんだけどなぁ」

思うようにいかない口周りをやわらげるように片頬をさする。口笛ひとつでこんなに難儀するとは思わなかった。自分の不器用さが切なくなる。
ふと、揉んでいた頬とは反対の頬を大きな手が撫でた。私のものではないそれは、むにむにと無遠慮に頬をもてあそぶ。

「筋肉が硬いわけでもなさそうだな」
「ちょっ、ちょっと……!」
「あとは舌の位置か? ナマエ、少し口を開けて、」
「むり!」

たまらず、頬に触れるロクロウの手を引き剥がした。触れられた箇所を熱く感じるのは動かしたことで血行が良くなったからじゃない。なぜ次々に羞恥をあおる言葉を吐けるのか。少しだけ距離をとる。
対するロクロウは恥じる風もなくあっけらかんとしていた。業魔になったことで羞恥心を失ったと聞いていたけれど、その目は爛々としていて楽しんでいるようにも見えた。

「もしかして、からかってる?」
「応。ナマエの反応がなかなかに面白くてな、魔が差した」

素直に頷くロクロウを前に途方もない脱力感を覚える。

「もう口笛吹くの諦める……」
「まあそう言うな。好きなやつほどからかいたくなるっていうだろ?」
「うっ……そんな言葉で、ごまかされたりしないんだから」
「いいや、本気だぞ」

いつの間にか、肩が触れ合うほど距離を縮められていた。端まで追いつめられたわけではないのに、もうほかに逃げ場がないような気になる。
ロクロウに向ける勇気がない視線はずっと水面に落ちたまま。いたたまれない。いっそのこと、手すりに顔を伏せて隠れてしまいたかった。
ぎゅっとバルコニーの手すりを握って強ばった私の手にロクロウの手が重なる。思わず指先が跳ねたのを知られてしまっただろうか。
一度だけ深く目を瞑って、ロクロウの顔を見上げる。今度は、その肩を押して止めることはしなかった。


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