※トリップ特殊設定



「オゾン層より上なのかな……」

眼下に広がる青い星。白い雲。自分と同じ高さにある太陽。
ああ、地球は青かった……と言いたいが、あれは地球ではないらしい。雲の切れ間から見える大地は地球儀で覚えた形とは違っているような気がする。星を上から眺めるのは初めてで、あまり自信がない。
星を臨む場所。宇宙にありながらスペースシャトルも宇宙服もいらないこの場所だけは、私の世界とは違うものだと確かに実感できる。
経緯は覚えていない。少し前からここにいて、それからときどきあの星を眺めていた。帰り方はわからないし、他にやれることもない。お腹が減らないのは幸いだった。
透明な床にごろんと転がると、上には模様がかかれた大きな光の輪が浮かんで回っている。とてもファンタジーだ。

「また寝てる。自堕落は良くないよ」
「たった今、寝転んだばかりなのに……起きるよ、ごめんね」

視界の端がかがやくのと同時にお叱りの言葉を掛けられた。現れたのは白くきらめく身体の少年。何の力か、ふんわりと宙に浮いている。彼もファンタジーのひとつだ。

「本来、君のような存在はここにいることも許されないんだ」
「うん。聞いた」
「分かっているなら、ふさわしい振る舞いをしてよ」
「誰もいないから気がゆるんじゃって」
「そういうこと、言うんだ……」
「ごめんなさいカノヌシ様」

ピリリと空気が震えるものだから、すぐに謝罪を口にするのが私である。プレッシャーには弱い。
ふわふわと浮かんでいる彼と話すには座ったままでは首がだるく、仕方なく立ち上がって服をはらう。

「もうすぐ儀式を始める。君は下に降りていて」
「どこまで? 怪物がいる階層じゃなくてもいい?」
「いいよ。追いかけられるのはもうイヤでしょ?」
「まあうん、その節はどうも……」

ここの下層には恐ろしい姿の怪物がたくさんいて、私が目覚めたのも同じ場所だった。ズタボロになりながらどうにか逃げ回っていたところを助けてくれたのが、カノヌシたちだ。
そういえば、と彼のパートナーを見かけないことを思い出す。所在を問えば、儀式の準備をしていると返ってきた。その答えにそっと詰めた息を吐くとカノヌシはおかしそうに笑った。

「あれでも恩人なのに、嫌われたものだね」
「あはは……」

曖昧に笑って返すものの、否定はできなかった。
目的のため、非情に徹するのがカノヌシのパートナー、アルトリウスさんのようだ。
何故ここにいるのか、怪物につけられた傷が何故治っていくのか。何も答えられない私を、アルトリウスさんは異物として処理しようとした。けれど、その傷も治ってしまった。物理的に排除できないと判断した彼は、そこでようやく対話の意思を持ってくれた。それ以来、安全なこの場所にいることを許してくれている。アルトリウスさんは嫌いではない、少しだけ苦手だった。

「あのさ、儀式が終わったらどうなるの?」
「世界が変わる。全部、綺麗になるんだよ」
「ここも?」
「そう。そのときナマエはどうなるんだろう。消えるのかな」
「それで元に戻れたらいいんだけど……」
「斬っても死なず、爪すら伸びず、眠気も空腹感もない。何一つ変化がないナマエは、もしかしたらそのままかもしれないね」
「それはいやだなあ」

今はカノヌシやアルトリウスさんが会話をしてくれるが、それもいつまで続くのか。
絶景だけれど、何もない。何も持っていない私はひとり。ずっと過ごすのは辛すぎる。

「すべてが終わってもまだ存在するのなら、下の世界におろしてあげる。穢れさえ生めない無力な君だから」

そう言ってカノヌシは私の肩をとん、と押した。いよいよ始めるらしい。
促されるまま、下にのびる階段へ向かう。自分の命運が儀式にかかっているなんて、ずいぶんとスピリチュアルだ。
一度だけ振り返るとカノヌシはあの星を見ているようだった。その背中は小さな少年のものなのに、凛とした重みがある。
がんばってね。なんて、口のなかで小さく転がした言葉でも超常の存在である彼に届いてしまうようだ。前触れもなく振り向いたカノヌシがかすかに微笑んだように見えて、気恥ずかしさがこみ上げる。照れ隠しに小さく手をふって、今度こそ階段を進む。
あの星はどんなところなんだろう。帰れない場合の想像ばかり浮かぶ頭を抱え、私は下へ降りていった。


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