今日は何して過ごそうか。 身を寄せるアイフリード海賊団の船が寄港地に着いたのは数刻前。 担当の仕事を手早く済ませ、ささやかな自由時間を手にいれた私は久々の陸地に浮き足立っていた。航海中に消費した日用品を補充したいし手持ちの本はすべて読み終えた。海の上は存外、暇を持て余し気味なのである。 行商の声かけが賑やかな通りを進んでいると、とある一角に見知った姿が見えた。本の行商が店を構えるそこで手元の本に集中しているのは、アイフリード海賊団副長アイゼンだ。 「そんなに睨むと本がビビっちゃいますよ」 「あいにく、眼鏡を持ち合わせていなくてな」 茶化したもの言いも気にせず肩をすくめてみせる副長の手には、見た目も内容もかたそうな本。表紙に『最新版・古代遺跡建築理論』とある。どこかで聞いた名だ。記憶を巡らせて、あっ、と声をあげた。 「前にエレノアとライフィセットが言っていた……。自分の知識が古いこと、気にしてたんですね」 「……まあな。初版から何十年も経っていないのに、こうも定説が覆されると考古学の奥深さを感じる」 「聖隷の感覚だと、あっという間なんですかね」 副長は聖隷と呼ばれる存在。いくら不老不死に近い寿命をもつとはいえ、改訂を重ねるたびに読み直していては知識の渦にのまれてしまいそうだ。人間の自分にはそう想像することしかできないけれど。 静かにページをめくる副長の横で、いい機会だからと自分好みそうな本を選択する。副長は変わらず鋭い眼差しを本に落としていて、そのあまりの人相に頬が緩みかける。近視と言っていたから裸眼では読みづらいのだろう。 何冊か気になるものを手にとってみたところで、ふと視線を感じた。 「ナマエはいつも何を読むんだ?」 「えっと、暇つぶし用の小説です。おそらく副長は興味がないジャンルです」 見たほうが早いだろうと、やわらかな色彩の表紙を示す。 「『ユークリッドで泣き濡れて』? ……恋愛小説か」 「ええ。冒険譚は読まなくても実際に経験できていますし。他人の恋愛模様を一から十まで見れるのは物語の中くらいなもので、けっこう好きなんです」 話ながらも序章に目を通していたが、パタンと閉じて行商の男に声をかける。 好きなシリーズの新刊だ。買うしかない。 「おや、姉ちゃんいいのかい? こりゃあアンタがよく買う年の差話じゃないんだが」 「えっ」 勘定の手を止めて聞きただす行商の言葉に思わず硬直する。なぜ知っているんだろうと男の顔を凝視すると商売人らしい笑顔が返ってきた。そういえばこの顔、覚えがある。 「年の差……ナマエは年上が好みか」 「い、いえ! 年下相手の話よりは好きかなあって程度で……」 副長の言葉で我に返り、行商の男に購入の意思を伝える。 商売のコツはいかにして馴染みの客を増やせるかだ。客の顔を覚えるのも、その客の趣向を把握するのも仕事のひとつ。行商として素晴らしい仕事ぶりだ。 でも、だからといって今このタイミングでそのスキルを活かして欲しくはなかった。 支払いを済ませて品物を受け取ると、隣に立つ副長も手にしていた本を陳列場所に戻していた。 「あの、副長。私に付き合わなくても、読んでいて良かったんですよ」 「それよりも興味を引かれるものがあってな」 「そう、ですか……」 ひやりと走る焦りをなだめて店を離れる。当然のように副長も続くものだからますます心がざわつく。 恋とか愛とか、そういう話題は一度だってしたことがない。つい気持ちが高まって自分の趣味をさらけ出してしまったことを悔やんだ。 「それで、他に好きな傾向は?」 脆くなったところに追撃をかけるのが、副長である。 「な、ないです。あったとしても本の趣味なだけで」 「身分差が関わる話も人気と聞くが……。町民と貴族、種族の――」 「あの! それ以上、突っ込むとお互いのためにならないと思います……!」 悪あがきする私の声を海風がさらっていく。港町ではどこにいても届く潮の香り。それも今は隣を歩く海の男を強く意識させるだけだった。落ち着かず視線が中空を漂う。そっと盗み見たはずなのに、目が合った。 「俺は、前に進みたい」 どこへ、なんて無粋なことは言えなかった。 前に踏み出すことを恐れた心が揺さぶられる。この胸の高鳴りはもう、抑えなくてもいいのだろうか。 back |