「それでアーストさんは、ミュゼさんに巻き込まれてこんな羽目になったのね」

「気の毒な話ね」と世間話をする余裕がありながら、ナマエの手はきびきびと働き続ける。
その処理能力に、ガイアスは手に持った泡だらけのスポンジをぐじゅりと潰して返すしかなかった。

連れのミュゼがこの店の品をつまみ食いしたせいで弁償を求められたガイアスだが、「昼時で人手が足りない」と口のうまい店主によって労働力の代価を支払うことになってしまった。
店に与えられた仕事は皿洗い。しかも時給15ガルドの薄給だ。エレンピオスの最低賃金法はどうなっているのかと考えを巡らせたところで、今はつまみ食い犯の仲間扱い、さらに市井の男・アーストとして身分を伏せている身のガイアスには手が出しにくい問題だった。
そうして案内された厨房で一人、身を転がすようにして切り盛りするナマエから、助かるわ! と大歓迎を受けたのが、つい数刻前の出来事。

「ところで、彼女はリーゼ・マクシア人? 精霊術は浮くこともできるの?」
「いや、あれは」
「私、こう見えて精霊なのよ」

ふわり、見計らったようなタイミングで件のミュゼが厨房の入り口に現れる。ミュゼの唐突さに慣れているガイアスはともかく、ナマエは目を丸くして驚いた。

「精霊! 初めて会った。案外、人みたいな外見をしてるのねぇ」
「あら、そうでもないわよ? 羽があるもの」
「わあ! 精霊のイメージだわ!」
「うふふ。綺麗でしょう?」

優雅に羽を揺らめかせるミュゼ。
その姿にはしゃぐナマエだが、手はフライパンを放さない。この店唯一の料理人である彼女の手が止まれば、飲食店としての動きが滞ってしまうのだ。客の回転も早く、ガイアスが洗う食器類の量もなかなか減らないほど。
また一品、料理を仕上げて客席フロアに繋がるカウンターにのせると、店員が運んでいく。
そんな慌ただしい中でも、いつの間にかミュゼとナマエは名前で呼び合うことに話が流れていた。
我関せず、黙々と食器を洗い続けるガイアスを一瞥したミュゼが口を開く。

「彼、よく働いているわね。こんなにたくさんのお皿を洗うの、初めてなんじゃないかしら?」
「そうなの? 最初に手順を教えただけで覚えてくれたし、要領もよくて慣れてると思ってた」
「だってアーストだもの。これくらい容易いわよね」

その言葉にガイアスが顔を上げ、睨みを利かせる。

「ならば、ミュゼ。お前が代われ」
「そうねぇ。精霊術を使ってもいいのなら、考えてあげる」
「精霊術……まだ見たことないわ」
「過度な期待はやめておけ。店が消えて無くなるぞ」
「あはは、アーストさんったら」

低い声の脅しをジョークと受け取って笑うナマエにミュゼがにこりと微笑む。
意味深な含みに気づいたナマエがガイアスを見やると静かに首肯を返され、ナマエの動きは目に見えて緩慢になった。

「精霊術って、すごいのね……」
「術者の技量に依るが、ミュゼは加減というものを知らないからな」
「ナマエは精霊術に興味があるの?」
「うん。私にはおとぎ話だったから。一度リーゼ・マクシアに行ってみたいんだけど、暇がなくて」

仕事は楽しいけどね。
そう続け、フライパンの中身をひと混ぜして皿に盛り付ける。カウンターに回したあと、次のオーダーを確認するナマエがこの店に欠かせない存在であることは、出会って間もないガイアスたちでもすぐに認識出来た。

「……仲間に精霊術に長けた者がいる。近くに寄る機会があれば、話を通してみよう」
「本当!? ありがとう、アーストさん」

ガイアスの提案に喜ぶナマエ。それを見てミュゼが柔らかく目を細めた。

「優しいのね、アースト」
「リーゼ・マクシアに興味があるのなら助力するだけだ」
「それじゃあ、優しい二人にサービス。店長にはヒミツね」
「まあっ!」

ナマエは新たなフライパンを火にかけ、サッと賄い料理を手がける。それに目を輝かせるミュゼが順調に餌付けをされている光景を、ガイアスは手元に集中することで許すのだった。


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