ざくりざくりと踏みしめる雪への感動はずっと前から薄れていた。
指先に息を吹きかけても、湿り気を帯びるばかりでまったく温かくならない。
幸いなことに風は弱く、どんよりと鈍い色をした空から降る雪はちらつく程度だ。少しでも吹雪いてきたら凍えて動けなくなってしまうだろう。
ヒールの靴と膝上丈のスカート。寒冷地にそぐわない服装で雪原を渡るはめになったのは、隣を歩くリドウさんのせいだ。

「街まであとどれくらいですか? 寒くて、痛くて、死にそうです」
「そう睨まなくても、簡単には死なないもんだ」

視線を受け流して立ち止まったリドウさんは手持ちのワールドマップを広げる。
この寒空の下、彼も防寒具を着ていないけれど寒くないのだろうか。
マップ上に『ザイラの森』と記された地名をたどり、『カン・バルク』で止まった指先は真っ赤な手袋でおおわれていた。素手よりずっと暖かそうだった。

「残り三分の一ってところだ。ただ、街に着いても寒さは大して変わらないがな」
「私は屋内で暖をとっているので、その間に仕事を終わらせてください」
「何、怒ってるんだ? もしかして、社の制服じゃ寒すぎるか? それとも分史世界進入に巻きこんだことかな?」
「ご理解いただけているようですので、答えません」
「おやおや、随分ご立腹のようだ」

茶化すように笑う姿にますます腹が立ち、リドウさんがマップを閉じるのを待たず先へ進む。つま先から雪がしみて靴の中が気持ち悪かった。
私の仕事は、データを解析して分史世界への進入点を探査することであり、分史世界への進入と探索、および破壊は管轄外だ。
その上、戦闘訓練を積んだ優秀な者でも分史世界からの帰還率はとても低い。
それほど危険な世界への進入を、通路の曲がり角という死角で試みていたリドウさんに接触した結果がこのざまだ。なんて運が悪いんだろう。
慣れない悪路を一歩一歩、慎重に踏みしめている隙に、リドウさんが余裕ありげに距離をつめてくるのがくやしかった。

「離れるとホーリィボトルの効果範囲から外れるぞ。対象は俺なんだからさ」
「でしたら、その限界距離を歩きましょう。魔物が出たらおまかせします」
「可愛くないなぁ。お前を置いて行ってもいいんだぜ?」
「見捨てたら帰還後に訴えます」

売り言葉に買い言葉で突き放して、追いつかれないように進む。
前に目をやると、まっ白な雪の中で色づいた部分があった。雪に埋もれたそれをつま先で掘り起こせば、あざやかな色が残る花の姿があらわれた。
なぜ、雪の下に花が。不思議がっている間にリドウさんが隣に立っていた。

「不枯の花だ。自然にできたドライフラワーってのはけっこうレアだぜ? まあ、花としての命はもう失われちゃってるけど」
「へえ、きれいですね」

ひと目でそれと分かる物知りなリドウさんに感心しつつ、思いがけない掘り出し物にほれぼれと見惚れる。
どれほど綺麗でも、この世界の物質は正史世界へ持ち帰ることはできない。

「もの欲しそうに見つめなくても、正史にもあるんだけどなぁ。そんなに気に入ったんなら贈ってやろうか?」
「それは……口止め料とか、そういうのですか」
「これでナマエが黙って揉み消せるなら安いもんだが、そうもいかないのが社会だろ。帰ったら始末書が待っている俺の情けを、ありがたく受け取ったら?」
「えっ?」

ひやりと現実を感じさせる言葉に思わず声をあげた。

「エージェントじゃない人間を分史世界に連れて行ったけど無事に帰ってきました、だけで済むと思ったか? そりゃあ過失は俺にあるから仕方なく処分は受けるが、前方不注意で俺の胸に飛び込んできたナマエの責任はどうなるかなぁ」

いやらしく笑うリドウさんを前に、止まった思考を働かせる。
私の責任。あのときの私は、所用で急ぐあまり時計ばかり気にして周りに注意を払っていなかった。そこを突かれるととても良くない。私にも非はあるのだ。
周りの冷気と異なる冷たさが体を襲う。つんと目の奥になにかが生まれ、目の前が真っ暗になってしまいそうだった。

「ははは。いいねぇ、その顔。分史世界に放り出されたとき以上だ」
「その冗談、笑えません……。こうなってはもうぼやぼやしていられません、早く帰りましょう!」
「そう急がなくても、あの室長様なら規則どおりの処分を下すだけだろうさ」
「処分、あるんじゃないですかぁ!」

焦燥感に駆られ、立ち止まった時間を取り戻そうと雪道を急ぐ。
しぶしぶと後につづくリドウさんを再度急き立てるのは、だいぶ距離が離れてからだった。


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