ようやくトリグラフ駅に着いた列車から抜け出し、地上の改札へ向かう階段を駆けのぼる。
急がなくては、予定時間をずいぶんと過ぎてしまった。遅れる旨をメールで知らせたけれど、返信はない。
まだ彼は待ってくれているだろうか。
駅舎を抜けてチャージブル大通りを走る。靴底が削れるような勢いで必死に足を進めていく。普段は意識しない肺が異様なまでに存在感を放っていた。胸が苦しい。

やっと待ち合わせ場所が見えてきた。通りの中心部にあるクランスピア社前。
歩幅を小さくして息を整えながら彼の姿を探す。しばらく視線を巡らせて、パン屋のワゴンに並ぶ人垣の向こうに彼を見た気がした。
良くも悪くも目立つから、きっと当たりだ。待ってくれていたことにほっと胸を撫で下ろしながら駆け寄る。彼も私の存在に気づきこちらへ向かってきていた。

「そっちから場所を指定しておきながら、こんなに待ちぼうけを食らったのは初めてだ」
「ごっごめん、リドウ」

穏やかな口調ながら不機嫌さをにじませる待ち人の彼、リドウに頭を下げる。

「その、今回は不測の事態というか……メールも入れたんだけど、読んでない?」

問いを受け、GHSを取り出して操作するリドウ。言い訳はあまりしたくなかったけど、口で説明するよりメールを読んでもらった方が早いと思った。
リドウはしばらくGHSに視線を落として不服そうに腕を組んだ。

「つまり、地下鉄がトラブルで遅延して動けなくなっていたと?」
「うん……だけど、メール気づいてなかったのね」

重ねて遅刻の詫びを入れるも、リドウは依然ぶっすりと機嫌が悪く、組んだ腕の指先をいらいらと跳ねさせている。そんなにふて腐れなくても……と考えてしまうのは自分勝手だろうか。困惑する私をよそに小さく舌を打つ音がした。

「ナマエを待つ間、あの男の馬鹿げた呼び込みを何度聞いたことか」

忌々しげにリドウが睨みつける先にはパン屋のワゴンがあった。奇抜な品揃えと確かな味で人気のパン屋は、いまだ人の列が絶えない。そこで盛んに呼び込みをしている男性店員の口上は一度耳にするとしばらく記憶に残るキャッチーなものだ。

「パンパカパーン、ってなかなかよく考えたものだと思うけど」
「興味もないのに聞かされる身にもなってみろよ。頭が痛いぜ」

私の遅刻と店員の呼び込みの相乗効果でリドウの機嫌はねじれてしまったらしい。
ならばせめて、離れた場所で待っていても良かったのに。そのまま言葉にするとリドウは呆れたようにため息をひとつ吐き出した。

「ここを離れてすれ違いでもした方が面倒だろ」
「それでもリドウがいやな思いをするよりずっといいよ」
「長く人を待たせたクセに強気な物言いじゃないか……もういい」

行くぞ、と私の腕を掴んで駅とは逆の方向へ連れて行かれる。エスコートにしては荒っぽい。
どんな理由だろうと遅刻してしまったのは事実。だからおとなしく腕を引かれるけれど、せっかくの日に苛立たれていては楽しみだった気持ちも濁ってしまう。
きりきりと締められ少し痛みを感じる腕、リドウの歩調に合わせて忙しなく駆ける足。
デートなのに、と思わず口をつく。

「俺だって一応楽しみにしてたんだけどなぁ。だからあの場にいたのに、ああ言われるとはね」
「どういう意味?」
「どうって、そのままの意味さ」

リドウの言葉に、後ろを振り返る。
クランスピア社前は大通りの幅より広くスペースをとっているため、腕を引かれながらもまだそのエリアを抜けていない。待ち合わせの指定場所としては街一番のシンボルだけれど、これほど広ければ合流しにくいと気づいたのは今日だ。
ほとんど声が届かないほど遠くであの店員が熱心に励んでいる。クランスピア社前の角、駅に近いあの場所で店を構えて呼び込めば、人目を引くには最適だろう。
そう、駅に一番近いのだ、あの場所は。

「……リドウって、分かりにくいけど分かりやすいよね」
「それ、矛盾してるって気づいてるか?」
「うん。遅刻してごめんね。待っててくれて、ありがとう」

緩んだリドウの手から解放された腕をそのまま彼の腕に絡ませる。気持ちを察してか、振り払われることはなかった。
どこへ行こうかと話しながら、デートらしく、同じ歩調でトリグラフの街を歩いていった。


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