ソファで寛いでいた午後。ふいに手元の雑誌に影が落ちた。
顔を上げる間もなく、前髪の一部を摘み上げられて少しだけ視界が開ける。
自分の髪と彼の指先と、彼の顔。直線で並ぶそれらを見上げると、リドウは摘んだ髪を指に巻きつけて弄んでいた。

「この前髪。いい加減うっとうしいと感じないのか、不思議でならないよ」
「まだ、目に入らないからいいかと思って」
「あっそ。だけど俺には、邪魔で仕方なく見えるぜ?」
「リドウと比べたら、そうかもね」

何せ、リドウ自身は綺麗に切り揃えた前髪を保っているのだ。その美しさには細かな手入れが欠かせないはずだけど、そういえば彼が美容院に通っているなんて考えたことなかった。他人に触れられるのを嫌うイメージをどこかで浮かべているからかもしれない。また、その逆も。
今も、こうして私の髪をいじっているのが珍しくて、どう反応すればいいか少し困っていた。

「おいおい、逃げるなよ」

知らず知らずのうちに身を引いていたらしい。頭皮がつっぱる感覚とソファの背もたれが退路を阻む感覚で板挟みになってしまう。

「髪を掴まれていたら、意識してしまうわ」
「くくく。ナマエに警戒されるなんて、心が痛んで泣けてくるなぁ」

そんな言葉を裏切って、笑みが浮かべるリドウは上機嫌さを隠しもしない。嫌な流れだ。
なんとか逃げ道を探しているうちにリドウの片膝がソファに乗り上がる。詰め寄られた分のわずかな距離を下がってみても、今度は後頭部がソファに当たってしまう。
……どうにも後手に回りがちだ。
ここはリドウの部屋で、彼の縄張り。リドウとの間にある読みかけの雑誌が頼りない防御壁だった。

「俺に良い考えがあるんだが、試してみる気はあるかな?」
「……それ、拒否権ないでしょ」
「別に断ってくれて構わないよ。ただ、その時は、ね?……君は素直でいいねぇ、ナマエ」

抵抗の意思なしと見るや否や、リドウはあっさり体を離して立ち上がった。くしゃくしゃの前髪を気持ち程度に撫でつけながら、これからのことを考えると気負けしそうだ。

「さて、ナマエにはこのままでいてもらう。そうだな、その雑誌、使おうか」
「リドウでいうところの良い考えって何をするの?」
「いやね、見ていて不快に感じるものは切って捨ててしまおうと思ったまでさ」
「切る……私の髪を?」
「そう悪いようにはしない。気楽にいこうぜ」

宥めすかすような笑みを残して別室に去るリドウ。
別に、彼を信用していないわけじゃない、と思う。予想もつかない行動に移るから戸惑ってしまうだけで、人の髪型を不快だと言ってのけるのが少しばかり面白くないだけで。
思いのほか早く戻ってきたリドウの手には鋏が握られていて、これが冗談ではないと再認識する。医療用の鋏じゃなかっただけマシだと自分に言い聞かせ、目の前に立つ彼を見上げる。
だがしかし、それでも、刃物を手に迫り寄るリドウという状況はもの恐ろしい。

「おっと、動くのはナシだ。 義眼の値段、知りたくないだろ?」

なんて抑制力のある言葉だ。ずるい。
ぴくりとも動かなくなった私をリドウは喉の奥で笑い、躊躇なく前髪に鋏を入れ始めた。

さく、さく、ちょっきん。
顔の前に据えた雑誌の上に切り離された髪が落ちていく音がする。まばたきの動きも怖くて目を開けていられないけど、感じるリドウの手つきは思っていたよりもやわらかだ。
聞いた話では、リドウが扱う医療用黒匣はとても精密で、そのパーツは気が遠くなるほど細かいらしい。そんな医療用黒匣の第一人者、医者としてもゴッドハンドとさえ称されるリドウにとって、私の髪を切るなんて行為はちょろいものなんだろう。
滞りなく髪をすくって鋏を動かしていく様子に、器用だな、と思った。

「O.K。こんなもんだろう」

ゆるく前髪をかき混ぜて毛先を整えられる。まだ目は開けない。顔の前の雑誌を下げれば、リドウの手が頬に残った髪の切れ端を払っていく。
……もういいだろうか。二、三度まばたきをしてみると以前と比べ、前髪が睫毛に触れる感触がなくなった。そして軽い。どれくらい切ったんだろう。
鏡を、と思ったそのタイミングで差し出された手鏡にどきりとする。シンプルな手鏡だ。受け取ったそれに恐る恐る自分の顔を映すと案外普通な、綺麗に整った前髪がそこにあった。

「正直なところ、仕上がりに不安もあったけど……上手いね。前よりまとまってる」
「当然。だって俺が手掛けたんだぜ? これくらい出来ないと」
「視界が広がった気がするし、いいかも。切ってくれてありがとう」
「ああ、どういたしまして」

経緯は無茶苦茶だったけど、結果が良好で気分はすっきり晴れやかだ。我ながら都合のいい。
後片付けをするリドウに合わせ、雑誌の上に載った髪の残りを処理する。
そういえばこの雑誌、読んでいる途中だった。ぱらぱらとページをめくって流し読む。
……そこでピン、と目を引くものがあった。
すぐにリドウの元へ歩み寄り、良い考えがあるの、と話を持ちかける。

「ふうん……聞いてあげるよ」
「じゃあ、出掛けましょう。雰囲気の良さそうなお店を見つけたの。奢って"あげる"わ」

白々しく言葉を強調し、雑誌の記事を示す。リドウは一瞥をくれると唇に指を当てにやりと笑った。

「名案だ。仕返しにしては随分カワイイ」
「お返しだと受け取ってもらって構わないけど?」
「それはナマエ次第じゃないかなぁ」
「リドウの解釈次第でしょ」

言葉遊びで戯れて、見上げれば視線が合った。何だか、一段とリドウの顔が見えやすくなった気さえする。
妙なくすぐったさに顔を伏せると、切り立ての前髪がさらりと揺れた。


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