刹那に終わる | ナノ

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刹那に終わる
花狩十八



「貞政、いよいよ今日になるそうです」
 姫君はそういって、俺に目を向けた。幼いながらも真剣な、漆黒の瞳が、俺を映している。屋敷の外を見れば、数少なった兵士たちが屋敷を守るように、各々の武器を掲げていた。
 時は戦国。隣国との戦が繰り返される毎日だった。どうやらそれも今日で終わるらしい。昨日行われた隣国との戦で、姫君の国は負けてしまったそうだ。そして今日、その隣国がとどめを刺しにこの国へ攻めてくる。この国も、きっと今日が年貢の納め時、なのだろう。どうにかして姫君だけは逃したいのだけれど……きっとそうはいかないだろう。
「わたくしは、逃げも隠れも致しませんからね、貞政」
 姫君は、俺の心を見透かしているようにそう言った。屋敷の外を見やるその瞳には、幼いながらも確かな意志が宿っていた。一度言い出したら聞かないのがこの姫君だ。俺を拾った時から、その性格は変わらない。傷だらけになって野良犬のように捨てられていた俺を拾い、周りがとめるのも聞かず、自分の側近と勝手に定めたこの幼い姫様。その時から、今日まで俺はこの姫君の側近を務めさせられてきた。俺がこの屋敷を抜け出さなかったのも、俺がこの屋敷から放りだされなかったのも、この姫様が俺を勝手に側近と定めたからだった。このご時世にありえない話だ。
 屋敷の外では夕日が赤く燃えていた。あの日も同じ、赤に包まれた日だった。
 一番鮮明に残る赤は、炎の赤だった。俺がいた屋敷は、その赤に包まれていた。俺は、当時その屋敷の主に雇われた忍びだった。別にその主に思い入れがあったわけじゃない。最後の賃金をまだもらっていなかったから、屋敷に蓄えられた金を持ち逃げしようと思っただけだった。それがどうやら間違いだったらしい。金より命を大事にしろ。兄弟子の言葉が身に染みた。
 俺が屋敷にいる間に、屋敷は火にまかれ、結局俺は金を置いて、命からがら逃げだした。結局金を置いて出るなら、取りになんていかなきゃよかったなんて思っても、後の祭りというやつである。火にまかれ、あちこちにやけどを負った、その上に文無しの俺は行き場もなく、道中にへたり込んでいた。それなりに腕が立つ方ではあったが、体中にやけどの痛みが走り、腹の減った状態じゃ、そうそう動く気にもなれなかった。そんな中、ガラガラと音が鳴り、目の前を一台の牛車が通った。きらびやかな牛車には衛士が四人、まとわりつくように隣を歩いていた。どっかの貴族の車だろう。襲って金をせしめても良かったが、そんな気さえ起らないほどに俺は疲れ果てていた。何をする気さえ起きず、牛車をただぼーっと見つめていた俺の前で、牛車は音を立てて止まった。そして、俺のもとへ響いてきたのは幼い鈴のなるような声だった
「そなた、このようなところでなにをしておる?」
 下ろされた御簾のその奥から、その声は響いてきた。
「あんたみたいな御簾の奥の方には関係ないことだ、気にすんなよ」
 そう答えると、御簾の奥の声は鳴りを潜めた。そのまま俺の前から通り過ぎるかと思えば、そんなことはなく、それは束の間のことだった。カラカラと音を立てて、御簾が上がった。
「これで御簾の奥の方ではなかろ?で、なにをしておる?」
 御簾の奥で、その声を放っていたのは、年端もいかぬ少女だった。まだ、五、六といったところだろうか。赤い豪奢な着物をまとった少女。彼女は俺を見卸し、笑っていた。
「ん?怪我をしておるのか?誰か、手当てをしてやれ」
 俺を見ている間にやけどに気が付いたのか、彼女はそういって眉をひそめた。そして周囲の衛士たちは一瞬戸惑いを見せたが、それもつかの間のこと、すぐに牛車に積んであった道具箱をとり、近くにやってきた。このご時世に見ず知らずの俺にそんなことをするなんて、なんてお人よしだと思ったものだ。今思えば、衛士たちは一度言い出したら聞かないこの姫君の性格をよく知っているのだろう。そして、黙って手当てをされている俺に対し、さらに彼女は一言言い放った。
「そなた、行く当てもないなら、ともに来い。わらわの側近にしてやろうぞ」
あって間もない、素性の知れない男相手にそんなことを言えるだなんて、どんな世間知らずのお姫様だと思ったものだ。
 そして時は過ぎ、一人称がわらわからわたくしに代わり、口調もいくらか大人びた。鈴のなるようなころころとした声も、凛として涼やかな声音へと変化を遂げた。
「貞政は、わたくしと最後まで一緒にいてくださるんでしょう?」
 その涼やかになった声が、俺へと向けられる。
 彼女を見やれば、彼女は俺を見て笑っていた。自分の死を目の前にして、自分とともに死ねと、そういって笑うのだ。年端もいかぬ幼い少女が。
「まぁ、乗りかかった船だしな。沈むまで付き合ってやるよ」
 そう返せば、嬉しそうに彼女は俺のたもとを掴む。自分の手に比べて、小さく見えるその手は、小さく震えていた。どうやら、怖さは感じているらしい。というよりも、本当は怖くてたまらないのだろう。それでも、怖いとは口に出さないのだろう。それがこの姫君の精一杯の強がりだった。
 遠くで炎が燃えている。法螺貝の音が響いてきた。どうやら戦が始まったらしい。いつの間にか、姫君の手の震えは収まっていた。そして、小さな手は俺の袂から離れていく。
「貞政、剣を抜くのですか?」
 彼女の瞳は、俺の腰に差さった脇差に向けられていた。姫君からいただいた朱塗りの鞘が夕日に照らされ、より一層赤に輝く。
「お前の命に害が及ぶなら、な」
 脇差の柄に手をかけて、そう言うと、姫君は悲しそうな顔をした。
 殺生が嫌いな姫君のことだ、鞘から刃が放たれるのがそれだけ嫌なのだろう。そのまま姫君はうつむく。
「どれだけ嫌でも、抜くからな。何もしないまま死ぬ気はねぇ」
「……わかっていますよ。わたくしも、あなたに何もせず死ね、とは言いません。あなたに逃げろ、と言えない分。好きなだけ暴れまわればよい、とでもいいましょう」
 そういって、顔を上げた姫君は、うっすらと笑みを浮かべていた。そして俺をまっすぐと見やる。漆黒の瞳は、ただでは死なないといっているように見えた。
「まぁ、今回は最後まで一緒にいてやるよ。前みたいに逃げやしないさ。最後まで、お前のためにくらいついてやる」
 轟音が響く。門が破られたのか、下では敵兵と味方の衛士が入交り、騒ぎが起きていた。こっちにまで上がってくるのは時間の問題だろう。
「下がってな、姫さん」
「あなたの後ろから離れる気はありませんからね」
「そうしてくれ。あんたの側が俺の死に場所だ」
 朱塗りの鞘から脇差を放つ。構えた刃には、夕日が映り込んで、赤く燃えていた。出会った時から別れる時まで、どうやら俺たちには赤と縁があるらしい。そういえば、姫君は今日は白い色の着物だった。夕日で部屋が赤く染まる中、俺の影に入った姫君の白い着物だけが、この部屋の中で異彩を放っているに違いない。
 バタバタと下から階段を上ってくる音がする。敵兵が上がってきているのかもしれない。こんな状況じゃ、後ろの白い着物姿を改めて拝むわけにはいかなそうだ。
「ねぇ、貞政」
「姫さん、ちょっと黙っててくれ」
 バタバタという足音が近づいてくる。さらには悲鳴や怒号までもが耳に入ってくる。やはり足音の主は敵兵らしい。この部屋は階段から離れてはいるが、ここまでたどり着くのも時間の問題だろう。
「ねぇ、貞政。今日の衣は白にしました」
「知ってるよ。だからちょっと静かにしててくれ」
「私の死に装束、汚さないでくださいね」
 姫様は、涼やかな声でそう言った。どうやら、俺は死に方さえ指定されたらしい。


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