そこに光が降り注ぐなら | ナノ

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そこに光が降り注ぐなら
白飯かぶき



ヒールの下の、不安定な弾力が赤く弾けた。
瑞々しかった少年の肌は赤く裂け泡立つ肉を覗かせている。
牢の朽ちた石畳を汚す赤黒い染みに乱れ散った銀糸が土埃にまみれている。
痩せた体を抱え込むように蹲り、荒い息を必死に吐き出している。

可哀想に。こんなところ(・・・・・・)まで踏み込んでこなければ、ここまで堕とされることもなかっただろうに。

私の足元で跪くように頭を垂れていた少年は呻く。
絶え絶えの吐息と共に吐き出されたそれは悔恨と、怯えと、忌まわしい名前だった。

「その名前で呼ばないで」

無表情で見下ろしていた瞳を歪め、私は吐き捨てた。
どうして、と少年から縋るような声が漏れる。

「可愛い私の騎士。『女王』を守る為の騎士。……ねえ、どうして言ってくれなかったの」

少年が身じろぎする。

「私を、殺すために、側にいたんでしょう?」

私の言葉に動揺した少年が息を飲む。
その反応に心が冷えるのを感じながら、私は紅を引いた唇を引き上げた。

「魔女殺しの一族……全て淘汰されたと聞いていたけど、まさか生き残りがいたなんてね。魔女の一族から王位を取り返そうとしたお馬鹿さんでもいたのかしら? それとも」

私は伏せた目を歪に細めた。

「一族の仇討にきてその無様な姿を晒しているのかしら?」

床にへばりついた金色の瞳が僅かに震え、侮蔑の色を帯びたのに震えたのは私の心だ。

血の気はとうに失せて青白い少年の肌に不似合いな赤黒い血潮がカサついた唇を滴り顎下まで汚している。
まるで血肉でも喰らったようだなとぼんやり思う。

「……貴方様だけは、違うと思っていた。……いいや、いいや……そう信じたかった」

「違う? なにと? 私は所詮あなた達のいう悪逆非道の血の頂点。夢が覚めただけでしょう」
「……ほんとうに。それが貴方の本音なのか。少なくとも、誰も、存在しない時の貴方は歳相応の、ほんの少し頼りなげに儚く笑う少女だった。けしてくらい運命に飲まれてほしくないと、思って、しまった」
「それは貴方の願望でしょう。………身寄りの無い身を幻想で満たしていたにすぎないわ」
ふふ、と嘲笑めいた私に、何故だか彼は哀しげに見える色を滲ませて眼差しを伏せた。

「…………君は、本当は、……抗いたいと思ったんじゃないか。自分自身に。その、玉座に。……なあ。『   』」

ぼそり、と紡がれた言葉に血が沸騰する錯覚に陥る。

「その名前で呼ぶなといったでしょう!

私の喉奥から叫びあげた声に粘り気のある空気が呼応し、耳障りな音を立てて破裂する。
足元から広がった波紋状の亀裂の中心で、私は肩を揺らし呼吸をする。
衝撃の余波を受けた少年は頬に、首筋に、その四肢に真新しい赤を滲ませ、苦しげに眉を寄せていた。
私は一つ、気づかれぬように息を吐き、努めてうっそりと微笑んだ。

「…………飽きたわ」

指を鳴らすと、頑強な牢屋の錠が弾けた。
瞠目した少年は警戒した様子でこちらを睨む。

「…………何のつもりだ」
「文字通りよ。飽きた、といったの。貴方じゃまるで私を殺すなんて不可能みたいだしね。わざわざ私が殺す程でもないような夢見がちな『こども』みたいだし」

困惑する少年は痛む体を堪え、こちらに体を向ける。

「どうせなら、どうしようもなく踊ってくれたなら、屠り甲斐があったのに――貴方の一族のようにね」

息を呑む、気配がした。絡みつく空気がじっとりと重くなる。
私と少年の視線がぶつかる。

「お前だけは、生かしておけない」
熾烈な怒りを湛える金色の瞳に射抜かれた。
私は答えず、湧き上がる感情を押さえつけて震えそうになる指先を叱責して乱雑に彼の顔をつかみ。
乾いた鉄さびの中を探るように唇に噛み付いて鮮血をすすった。

「さよなら」

殺してやる。
聞こえた言葉は私を震わせる。


そうよ、それでいい。



朽ちた石畳をヒールが石を打つ音が虚しく響く。女王の帰還を待ちわびていたがらんどうの玉座は暗い淵の底に沈んでいるようだった。
静かに腰掛け、瞼の裏に鮮烈な金色を思い起こす。

懐から赤錆色の本を取り出す。
日に焼けた本をぱらぱらとめくり、乱雑に書き殴られた文字を眺める。
文字はところどころ滲み、時に荒れ狂う勢いで破かれているところもある。
饐えた鉄さびの匂いが鼻につく。

その匂いに似つかわしくない淡い木漏れ日のような日々が、綴られていたページで指を止める。
かつての彼の瞳を陽だまりと称したあの幼い日の淡い渇望。脳裏によぎるのは、私を見据えるあの――。

「……あれは、陽だまりなんかじゃないわね。やきつくす業火だわ」

憎しみを燃やす断罪の色だ。

私は魔女。悠久の時を歴て民衆の血を続けた血族の女王。
暴虐邪智の限りを尽くした呪われた一族。

誰よりも強い力を持つ私に、一族の誰もがこの薄暗い欲の箱庭の安泰を期待した。
しかし、人の理から外れた私には、己の運命を知るなど容易いことだった。

幼い心は理解していた。一族が背負った咎を清算するために生まれてきたのだと。
荒れ狂う民衆が私を灼き尽くす未来を何度も夢に見せられて、戻して、あがいたところで変わらないのだと気づいたところで。
無感動にそうか、と受け止めていた私がいた。諦めだった。

もうどうでもよかったのだ。私は結局政の道具で、冷たく閉ざされた世界で人形の役目を全うして終わるだけ。それだけのものに心をやれと言われても困る。

だから、そう、だから。
あの金色が私の名を呼び、真っ直ぐに貫いたあの日。無遠慮に差し出された手が、忘れかけていたぬくもりを惜しげも無く伝えてきた時。
どうしようもなく涙が溢れて、彼の手をとって、生きたい、思ってしまったことなど。

これはけして恋などではない。けれども愛と呼ぶには歪すぎるだろうか。

私は詰めた息を弛めた。湧きでた思考の馬鹿馬鹿しさに笑いになりそこねた声が漏れる。
普通の愛が何かなんて、理解できるような世界でなど生きてこなかったくせに。
陽の光をガラス瓶に集めたように瞬く人見に見つめられると落ち着かなかった。
形の良い唇が、私の名を呼ぶたびに心が躍った。

細長い指が私の頬に滑る度――私がのうのうと生き続けても良いのだと錯覚するようでとてつもなく恐ろしかった。

朽ちていく心を寄せ合う絵空事のような日々は、一生分の心を捧げるには十分だった。
それだけできっと、僥倖なことなのだろう。

幸せ、だった。
恐る恐る口にした言葉は、擦り切れた心にさざ波を立てて暗い愉悦で満たしていく。

もう、終わったのだ。互いの心を乞うおろかなこども達は、今日、私達が殺した。――そして、彼は愛した少女を喰らい尽くした女王を殺しに来るだろう。

唇に乾いた血を舐めとる。

「……待つわ。いつまでも。だからここまでいらしゃい」


今はまだ、消えそうなほど心もとない灯火だとしても、彼は、かならず来る。
そして、血だまりで昏く染まって見えない玉座を照らしだせばいい。

背徳に染まった歓びが背中を駆け上がる。
これを、愛と呼ばずしてなんといえば良いのだろう。

「貴方が魔女()を終わらせるのよ」
それまで、何人たりともこの生命をくれてはやらない。
私の未来は一族のためにくれてやる。ならばせめて全て奪ってくれるものを唯一望んだって良いじゃないか。

玉座に君臨する少女の抜け殻は、光に焼かれる日を焦がれながら静かに息をする。


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